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どっきりかと思ったら

 ゴールデンウィークもそろそろ終わろうとしていたその日も、夕方いつものように銭湯に行った。
 べつに実家に帰りたくなかったわけではないのだが、我が地元ではGw恒例の浜松祭りに、今年は松潤が来るというので、例年よりもさらに多くの人が地元に訪れることが予想されるため、施設生活の身としても、新型コロナウイルスへの感染が不安だったこともあり、今回は帰省を断念した。なのでこの連休もずっと大阪の施設にいた。

 その日もいつも通り、若干冷たいお湯の出るカランで体を洗い、ハンドフリーではない固定型のシャワーで髪を洗った後、大きくて広い暑めのお風呂に浸かってから泡風呂に向かった。
 (ん…?)
 異変に気づいたのはその時だった。
 泡風呂に入ろうと、へりに手をかけた時、左手の指先がお湯ではない物に触れたのだ。
 それは何かの固まりのようだった。
 一瞬胸がドキッとした。我々全盲者にとって、いつもとはちょっとでも違う想定外のことが起こると、それだけでものすごく不安になるのだ。
 恐怖を感じたので、今日は泡風呂に入るのはやめようかと後ずさりしかけた。でもせっかく来たんだしなあと、もう1度泡風呂に手を伸ばした。
 (これ何だろう?)
 伸ばした手の指先で、思い切ってお湯の上に浮いている固まりを一つ摘まみ上げてみる。
 それは小さくて、少し柔らかい触り心地がするお人形だった。魚のような形をしている。
 とりあえず怪しい物ではなさそうだったので、ようやく泡風呂に入った。
 ぼこぼこと泡の出るお湯にのんびり浸かっていても、周りに浮かんでいる無数のお人形たちが、腕や肩にまとわりつくようにぶつかってくる。正直あまり良い心地はしなかった。
 それでもお人形の存在が気になったので、周りにあるそれをいくつか手に取ってみる。魚の他にも、アヒル(?)や船(?)など様々な形の物があった。
 そこではっと思い出した。そういえば体を洗っていた時に、隣の男子風呂から子供たちの声や、キュッキュとおもちゃを鳴らすかわいらしい音が聞こえていた。
 同じように男子の泡風呂にも無数のお人形たちが浮かんでいるのだろうか。
 もしかしたらここにあるお人形たちも音が出るのかもしれない。
 そう思って早速その中の一つを手に取ると、お腹の部分を2.3回押してみた。しかしそれは空気の抜けるようなシュッシュという間抜けな音しか出なかった。
 もう2.3個試してみたが、結果はどれも同じだった。少し残念だなあ。
 それにしても、いったい誰がこんな物を浮かべたのだろうか。
 お客さんがいたずらで入れたのだろうか。もしそうだとしたら非常に迷惑だ。
 いや、それとも銭湯の人だろうか。それならまだ良いけれど、もしそうだったなら入る前に番台で一言言ってほしかったなあ。
 いや待てよ!もしかしたらこれはどっきりかもしれない。よく「モニタリング」や「水曜日のダウンタウン」なんかでやっているようなどっきり企画が、今この銭湯に来ているのかもしれない。
 「銭湯の泡風呂に突然アヒルや魚の人形が浮かんでいたら人はどうするのか」というような企画で、どこかに隠しているテレビカメラが、私たちの様子をこっそり撮影しているのかもしれない。
 しまった、それならもうちょっとテレビでうけそうなリアクションをすればよかった。
 てかテレビでうけそうなリアクションとは具体的にどのような物なのだろうか。
 「えー何これー!」と売り出し中の若手女性タレントのごとく、いかにも大げさな感じで叫ぶとか…?
 うーむ、テレビは見るのも出るのも興味が無いからよく分からん。
 まあいいや、いずれにしても、帰る時に番台のおじさんに聞いてみれば良いのだ。

 「ありがとうございました。おうきに」
 着替えを終えて脱衣所から出て番台の前を通りかかる度に、おじさんはいつもそう言ってくれる。
「ありがとうございました」
 そして私もそうお礼を返す。だがこの日はそれにもう一言付け加えた。
「あの、今日泡風呂のところに魚とかアヒルのお人形が浮かんでいたんですけど、あれはおじさんが入れたんですか?」
「そうです。うちが入れました」
 とおじさんはにこやかに答えてくれた。
 そっかー、あれはおじさんが入れた物だったんだね。きっと前後に子供の日があったからかもしれない。あの無数のお人形たちは、テレビのどっきり企画ではなく、おじさんの粋な計らいというやつだったのだ。

 下駄箱で靴をはいている時に思った。
 「あれどっきりかと思ってビックリしましたよー」と言うのを忘れていた。そんな冗談が言えるほど、銭湯のおじさんとはまだあまり打ち解けられていないので、その時は言えなかったのだ。

 外に出たら雨がぽつぽつと降り始めていた。慣れてきた施設までの道を、白杖を突きながら少し速足で歩いた。

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