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今年は切れません

秋は運動会の季節である。
 私は幼稚園から高校まで15年間地元の盲学校(現在は視覚特別支援学校)に通っていた。そこでも毎年運動会が行われていた。今回はそんな盲学校の運動会で特に衝撃的だったエピソードについて書いてみたいと思う。

 運動会の衝撃的なエピソードと聞いてまず思い出すのが、小学部1年生の時にやった『アンパンマン救出大作戦』なる協議だ。かわいらしい名前に反して、それは今思うとかなりアグレッシブな協議だった。
 まず平均台を渡り、その次に急な斜面を登り、さらに跳び箱を飛んで、最後にマットの上で前回りをして、ゴールにあるアンパンマンのぬいぐるみを持って帰ってくるという物だった。
 その練習中、私は跳び箱を飛ぶのに失敗して落ちた。左ひじを打撲して、少しの間整形に通うはめになった。しかも今だから言える話、跳び箱を飛ぶのが怖いと半泣きで訴える私に対し、体育の先生が「いいから早く飛べ」と言わんばかりにせかすので、慌ててジャンプしたところ落ちたのだ。打撲で済んだのは落ちたところがマットの上だったからだろう。
 「盲学校は目が見えない生徒に何をさせているんだ!治療費を払え!」などと今だったら盲学校側に苦情が入りそうな話かもしれない。しかし両親は苦情を入れることも、治療費を請求することもしなかった。それだけ約30年前は緩くて平和な時代だったのだろう。

 運動会での衝撃的なエピソードとして、たぶん母校では今でも伝説になっているんじゃないかと思われる話がある。
 それは小学部3年生か4年生の時の綱引きでのこと。ズバリ綱引き中に綱が切れたのだ。ミシミシと音をたてながら、スッポーンと…。
 母校の運動会での綱引きは全体協議だった。そのため下は幼稚園児から、上は理療科に通う大人の方まで、幅広い年齢層の人たちが、1本の綱を同時に引っ張るのだ。様々な種の力が一気にかかっても、それまで綱が切れることなんて1度もなかったはずなのに…。
 よほど使い古した綱だったのかもしれない。負傷者が出なかったのがせめてもの救いだった。
 そんなことがあったからか、翌年の綱引きのサブタイトルは、「今年は切れません」だった。これには苦笑いするしかない。

 それからは綱引き中に綱が切れることはなかった。だがそれ以来私は今だに綱引きが怖い。綱を引っ張っている最中に聞こえてくる、あのミシミシという音を聞く度に、綱が切れるのではと思うとひやひやせずにいられないのだ。もう綱引きとは縁のない生活を送っている今では、そのような恐怖に怯える心配もないのだけれど。

 15年も同じ学校に居たのだからもっと良いエピソードがあるだろうと思うかもしれないが、今のところこれぐらいしか思いつかない。また何か思いついたらその都度書きたいと思う。
 運動会、今年も大きなけがや事故も無く、スムーズに楽しく執り行なわれることを願っている。

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