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【映画】花束みたいな恋をした

今更ながら、2021年に公開された映画
『花束みたいな恋をした』を観て、
色々思うところがあったので綴ります。
(※ネタバレあり)

邦画の恋愛映画をちゃんと観たのは
多分”ホットロード”ぶりくらいで、
この”ホットロード”が驚くほどつまらなかったので
それ以来、ずっと邦画の恋愛映画は自分の感性に合わないのだと、遠ざかっていました。
(好きな人いたらゴメンナサイ)


あらすじ

終電を逃したことにより偶然出会った、
麦くんと絹ちゃん。
趣味や好きなもの、雰囲気の似ている二人が
付き合って、一緒に暮らし始める。
大学卒業、就活、仕事、趣味との付き合い方、
普段、そして性のコミュニケーションなどなど
様々なすれ違いによって、別れてしまうまでの期間を描いた映画です。

感想

最初の見方

まず、最初に観た時(2週間ほど前)は、
『何故、この二人は別れてしまったんだろう?』
と思い、この映画を観たことのある人を探し、
”別れた理由”考察弁論大会を繰り広げていました。

私が最初に考えたのは、
【二人が結婚出来なかった理由】でした。

・燃え上がるような恋をした後に、
 恋愛感情がなくなった後の家族像を
 描くことが出来なかった。

・”似ている”けれど、"本来は別々の人間"
 それを分かっていなかった。

どちらかと言うと、前者がとても大きいと感じて、
『二人は出会うのが早すぎた』
つまり、大人になってから結婚相談所で出会った二人なら、結婚出来たものだと考えたのです。


2回目以降の見方

友人達とのホームパーティで
映画があまり好きではない友人に観てもらったり、
我が家への来訪者に観てもらったり、
この1週間で2回連続で観て、一緒に映画を観た人の感想を聞いたことで、この映画の印象や思うところが変わっていきました。

みなさんの見解
・同い年だと、人生のターニングポイントが
 同時に訪れる為、すれ違いが致命傷になりやすい
・最初から合わない部分があったのに
 目を瞑っていた
・最初から喧嘩すら出来ない二人だった
・実はお互いのことを考えていなかった

”同い年の恋愛、難しい説"
とってもシンプルですが、結構納得しました。

また、最後の『実はお互いのことを考えていなかった』説について…
1つ、映画の中で印象的なエピソードがあります。

麦くんの先輩が、お酒に酔って、
亡くなってしまった時の話です。

麦くん視点:
かつて同じ夢(クリエイター)を追いかけていた。
ちょっぴりぶっ飛んだところも個性的で面白くて好きだった。
そんな先輩が突然亡くなって、悲しくって。
一晩中絹ちゃんと語り合えたら良いなと思った。

絹ちゃん視点:
お酒に酔ったら必ず女の子にちょっかい出したり、
彼女(絹ちゃんにとっては友達)にDVをしたりしたこともあった。
亡くなったことは悲しいけれど、
麦くんと同じ温度感で悲しむことは出来ないよ。

二人の住む家に帰ってきてすぐに、
絹ちゃんが寝始めたことに対し、麦くんは大きな虚しさや寂しさを感じます。

二人それぞれの視点は理解出来ます。

絹ちゃん自身が悲しめないことは仕方のないこと。
でも、その上で、麦くんの悲しさに寄り添ってあげることが必要だったんじゃないかって。

立場が逆(麦くんが寄り添わないパターン)のエピソードもあって、
二人の歩み寄りが足りないな…と、感じました。

「花の名前を女の子に教えてもらったら
その花を見るたびに、その子のことを思い出すんだよ」


その後の見方

その後、一人で色々考えていたのですが
そもそも、
破局=失敗
この図は正しいのだろうか?
という根本的な問いに回帰しました。

私はずっと、
「どうしたら二人は別れなかったのかな」
「どうしたら二人は結婚出来たのかな」
そう考えていました。

もちろん、そう考えること自体は物語上の考察として別に間違いではないと思うのですが、
麦くんと絹ちゃんが5年目のカップル…
という事で、少し自分たちにも重ねてしまう心象がありました。

5〜6年事実婚から別れた後、
「20代の一番良い時間を無駄にしたね」
とか、なんだかんだ『無駄』『失敗』みたいなネガティブワードをよく耳にしました。
私自身、なんだかなぁと思う事もありつつ、
別れてすぐは、愚痴なんかも漏らしつつ、
深く考えずに日々を過ごしていました。

一方で、正直なところ
”あんなに仲良くて、心地の良い日々を過ごしていたのに、結局結婚出来なかった”

けっして、どちらかに致命的なエラー(不倫した、犯罪を犯した、嘘をついた等)があったわけではないのに、別れてしまったからこそ、
”これでダメだったんだから、一生結婚出来ないんじゃないか?”
というような考えがありました。

元々同じ会社の人だったので、共通の知人に「捨てた」みたいな言い方をされることもあって、
”もう誰かとお付き合いできる立場に無いのでは?”
と、考えることもありました。

・・・

『花束みたいな恋をした』の最後
二人が別れた後の話。
ある日、二人はばったり再会します。
お互い知らないフリをしてすれ違うのですが、
最後に後ろを向いたまま、手を振り合うのです。
その日、麦くんが一人の家に帰ってから、
ある物を見つけ、笑みを浮かべるシーンが
この映画のラストシーンです。

たしかに、別れの瞬間、その瞬間は悲しいけれど
必ずしも、”バッドエンド"や"失敗”ではなく、
今回それはそれでハッピーエンドだったのではないか?
そう思うようになったのです。

引用:『花束みたいな恋をした』公式X

”別れるお付き合い” ”結婚しない恋愛”
それもまた必要な関係性であり、必要な時間だったのでは?

たしかに、結婚しないことや別れることを前提とするお付き合いは、あまり無いと思います。
どんなカップルも、永遠を目指すものでしょう。

でも、別れる結末=不必要な時間ではないのでは?

麦くんと絹ちゃんの恋愛は、
ただの悲しいバッドエンドなんかじゃない。
二人にとって、必要な時間だった。
そんな【必要な時間】を過ごした二人の物語だったのでは?と。
そういう見方をするようになりました。

そしたら、なんだか自分の過去の恋愛も
今日に至るまでに必要なものだったと思えて…
なんだか憑き物が落ちたような、スッキリした気持ちになりました。

最後に


ハッピーエンドは、いつだって自分次第さ

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