見出し画像

仕事つくる#20 スポーツ引退後の営業職のすヽめ

本日はスポーツ選手のセカンドキャリアについて私なりの考察を述べたいと思う。これまでの人生をスポーツ一筋で生きてきて、競技を引退するにあたり次に何をしたらいいのか迷っている方に、本日の内容が少しでも参考になればうれしい。


私の競技人生

お前誰なんだよってなると思うので、はじめに自己紹介と私の競技人生をサクッと紹介させていただく。

半田守と申します。28歳(2019.04.25現在)。岡山県の西粟倉という山村で、(株)sonrakuの一員としてバイオマス事業に携わっている。また、個人事業としてレスリングウエアのオリジナルブランドを企画し、販売を通して現役選手にエールを送っているつもりだ。

次に競技人生の略歴。
1990年京都府網野町生まれ。6歳の時に友達に誘われて網野町レスリング教室を見学にいったのがきっかけで、私のレスリング人生がスタートする。負けず嫌いな性格がレスリングという一対一で行う競技とマッチしていたのだと思う。小学校までは週二回の練習だったが、真面目に通い続け、5年生の時に全国大会で優勝することができた。それが自信になり、中学、高校とレスリングに打ち込み、大学は神奈川にある専修大学へ進学。大学ではソウル五輪金メダリストの佐藤満コーチをはじめ、先生方の熱心な指導のお陰様で2度の学生日本一になることができた。卒業後も2年間現役を続け、そして、24歳になる年に競技引退を決意。その時の感情は「もう練習しなくていいんだ〜」だったと記憶している(苦笑)。

画像2


競技引退後、OEMメーカーへ

前述したとおり、6歳からレスリング一筋の人生を送ってきたため、引退したころはそれ以外のスキルが何もなかった。ただ、気持ちとして自分の人生は自分で決めようという思いだけはあり、色々勤め先のお誘いはいただいていたがコネを一切使わず自分で就職活動をすることにした。当時4社受けたが、体育会系のノリがよかったのかそのうち3社から内定をいただくことができた。ちなみに落選した1社は最終面接の場所を間違え遅刻したて落ちた。

内定をいただいたのは、大手通信会社、飲食系ベンチャー、OEMメーカーの3社だったが、その中でOEMメーカーに就職することを選んだ。その理由は、ものづくりが好きだったこと、100人規模で自分の存在意義を存分に発揮できぞうだったこと、それから社長が稲盛和夫さんの経営論を大事にされていたこと、の3つであった。

さあ、ここからが本日の本題になるため、もうしばらくお付き合いいただきたい。


営業という仕事

ものづくりのスキルを一切持ち合わせていなかった私は、技術職ではなく営業職を任されることになった。具体的な仕事内容はこんな感じ。アニメグッズやライブグッズをつくっている会社に、「うちの会社はこんなバッグやキーホルダーがつくれますので一度伺わせていただけませんか」と電話をかけ、訪問し、仕事をつくっていく。ちなみにOEMとは、original equipment manufacturerの略で、他社ブランドの製品を製造することをいう。 日本語では「相手先(委託者)ブランド名製造」、「納入先(委託者)商標による受託製造」などと訳される。

こーれがとても楽しかったのだ。

何がよかったかって、粗利目標という数字が私を駆り立てた。それは、スポーツで目標を達成していくイメージに近い。また、大きな数字を打ち出せた時、会社のみんなが喜んでくれる環境がそれを加速させていった。好きこそものの上手なれ。休日も関係なく、時間も忘れて営業に集中していたので自ずと数字がついてきた。そして、入社3年目で一般社員部門1位という明確な成果を残すことができた。狙って達成できたのがまたよかった。

上司、サポートの業務さん、デザイナーさん、製造現場のおばちゃん、仕入先さん。本当に多くの方に担ぎあげていただいた結果であり、私一人の目標達成ではないことを明記しておく。

画像3

営業時代の親愛なるチーム


レスリング界から出た2人の巨人

私なんぞより、営業職で活躍されている元スポーツマンはたくさんいる。特出した例として紹介したいのは、レスリング引退後、保険業界に進出したお二人の話。

中村大悟さん。大学までは名門早稲田実業で野球をしていた。早稲田大学進学後にレスリングをはじめ、4年生の時に大学2位まで上り詰めた方だ。卒業後、スポーツ報知社に就職し侍ジャパンを追いかけた。その後ジブラルタ生命の営業マンに転身。1ヶ月目から会社記録を塗り替える業績を叩き出し、新人王を獲得。今もなお勢い止まらず、次は全社一を射程に入れている。


二人目は、金久保武大(たけひろ)さん。この方も大学からレスリングをはじめた人物だ。高校までは柔道をされていて、そのバックボーンもありメキメキと頭角を表した。日体大卒業後も大学院へ進学し競技を続行、全日本選手権で7度の優勝を成し遂げた。引退後はソニー生命の営業マンに転身。転身前に宅建やファイナンシャルプランナーなどの資格を取得されるなどし、転身後すぐに会社記録を次々と塗り替えるなど、大活躍をみせている。


このお二方には、私もたくさんアドバイスをいただき、大きな影響を受けている。営業職を離れた今でなお、背中を追い続けたい人物である。参考としてそれぞれに特集記事を添えたので、是非とものぞいて見てほしい。


スポーツ選手と営業職の相性がいい理由

私の経験や、まわりで活躍されている人たちを見るに、スポーツ選手と営業職は相性がいいといえる。その理由は大きく5つあると考える。

① 明確な目標がある
② 専門技術を必要としない
③ 挨拶や返事など、基本的な礼儀が叩き込まれている
④ 目標を達成した時、チームが喜んでくれる
⑤ 逆境につよい

上から順に解説していく。

① 明確な目標がある
私はこれが一番の理由だと思っている。競技スポーツには常に目標が存在し、それを達成するために辛い練習を乗り越える。努力の向こうになんともいえない達成感が待っていることを知っているスポーツマンは、営業においてもその過程を楽しむことができる。また、達成するためにはどうすればいいかを考える力が鍛えられているため、彼らは試行錯誤して前進することが得意である。

② 専門技術を必要としない。
営業職は、デザインやプログラミングなどのスキルがなくてもはじめられる職種である。もちろん、ものづくり業界の営業ではデザインができるなどのスキルがあればそれは武器になるが、必須項目ではない。すぐにスタートできる職種は意外と少なかったりする。

③ 挨拶や返事など、基本的な礼儀が叩き込まれている
スポーツで勝ち上がるためには厳しさが必要である。その厳しさの根源となるのが礼儀作法であり、一流の選手ほどこの部分がしっかり備わっている。営業職では、お客様や仕入先様、それから社内の仲間にいかに協力してもらえるかがポイントになる。その点、礼儀は必須項目であり、好感を持たれることは間違いない。

④ 目標を達成した時、チームが喜んでくれる
これは営業職に限ったことではないが、達成したことに対して喜んでくれるメンバーがいることはモチベーションになる。スポーツにおいても、応援してくれる人の存在は欠かすことができない。自分のためだけを考えているとすぐに心が折れてしまうが、自分が勝つことで周りの人が感動してくれることを想像すると、またやる気が湧いてくる。営業職は明確な目標があるため、他の職種よりこのことをたくさん実感することができる。


⑤ 逆境につよい
めちゃくちゃ強い。そもそも打たれ弱かったらスポーツで結果は残せない。同じく営業職も逆境との戦いといえ、どんなに徹底していてもクレームという脅威が必ずやってくるものだ。そんな時でも諦めず今できる最善を考え行動し、お客様に誠意をみせることができれば、逆にチャンスになることもある。そのしぶとさが備わっているのも、スポーツ選手の強みだと私は思う。

以上がスポーツ選手と営業職が相性がいい理由になるが、反対にスポーツ選手の中でも営業職で活躍できないであろうと思う人たちも存在する。


営業職に向いていないであろうスポーツ選手

それは、その競技をやること自体が楽しいからが続けてきた人たちだ。例えばフィギュアスケートの村上佳菜子選手がその例だ。彼女は、誰かに勝とうなどとは一回も思ったことがないらしく、スケート自体が楽しくてずっと続けてきたのだとか。ちなみに、この情報は以前テレビでやっていた彼女の特集をみて感じた記憶であるため、少し間違っている部分があるかもしれない。

ただ、そういった人が営業職を務めてもおそらく身にならないであろう。営業職に向いている人は、その競技が好きなのではなく、負けず嫌いであるということが大事なように思う。


営業で活躍することは、それ以降の社会人生においての大きな一歩になる

まず、ここまで読み進めていただけたことに感謝したい。そして、いよいよまとめに入る。

スポーツ選手のセカンドキャリアとして営業職をおすすめする理由は前述した通り相性がいいということであり、つまりは成果が出やすいと言い換えるかとができる。そして、このスポーツ以外で成果を実感することが何より大事だと思うのだ。この経験は自己肯定感を飛躍的にアップさせてくれ、次のチャレンジに大きく寄与する。

自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感と同じ意味あいで用いられる。

これは私が実感していることなので自信を持ってお伝えできることだ。前述した通り私は24歳までレスリングしかしてこなかった。そして社会に進出するにあたり何もできないのではないかと不安だったが、営業職で成果を出すことができ、スポーツ以外のことでも努力すれば結果が残せるということを知った。そして、今は全く新しい木質バイオマスエネルギーの分野で一旗揚げ、社会に貢献できる人間になりたいと思っている。まだまだヒヨッコなのだが、スポーツ×営業職の経験が自信になり、新しいジャンルでも必ずやカタチにしてみせるという気持ちにさせてくれているのだ。

本日言いたかったことは、営業職が絶対におすすめだということではない。スポーツ一筋の人生の次に、他のことで成果を出すことができれば、一気に視野が広がるということを伝えたかった。

最後に。元400mハードル日本代表の為末大さんがサードキャリアという言葉でアスリートにヒントを与えてくれている記事があったので、こちらを紹介させていただき、本日の締めくくりとする。

ではまた。

**********
半田 守
1990生、京都府出身。6歳からレスリングをはじめ、網野高校卒業後、専修大学へ進学しレスリング大学日本一になる。2018年から岡山県西粟倉村に移住し
自然エネルギーの勉強をスタート。同時にレスリングウエアブランドMAMOを立上げ、現役選手にエールを送り続けている。
MAMO:https://www.mamo-wrestling.com/
twitter:@handamamoru
note:”仕事つくる”をテーマに連載中!

読んでいただきありがとうございました。
よろしければ、フォローもよろしくお願いします!
**********

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?