仕事つくる#35 理にかなっているものは美しい
このタイトルでnoteを書く目的は二つで、一つはどのくらいの人が同じような感覚を持っているのか知りたかったこと。もう一つは、仕事をつくる上で非常に大事な概念だと思っているので一度文章に整理しておきたかった、ということです。
僕は、仕事においても暮らしにおいても「理にかなっているものは美しい」と常々感じる人間です。この感覚を理解してほしくて文章にまとめていますが、言葉で説明するのが非常に難しいことに気づきました。この感覚を説明するにあたって、まず「美しくないと感じるもの(こと)」を先に列挙する方が理解していただけるのではないかと思い、今回はその道筋で文章を整理してみます。
美しくないものたち
暮らしについて。たとえば灯油ストーブを僕は美しくないと感じます。僕も含めて現代人は地球の反対側から遠路はるばる運ばれてきた化石燃料で暖をとっています。そして灯油を使えば使うほど大気は汚染され、さらに埋蔵量にも限りがあるらしいです。全てのことが理にかなっておらず美しくないです。しかし、残念なことに現代は全く持続可能ではないこの代物に頼らざるを得ないという実態にあります。
住まいについて。狭い土地に立った細長い建物の中にギュウギュウ詰めになって暮らしている状態にも違和感を感じます。少し都心から外れれば広大な土地が手に入るというのに、わざわざ狭い建物に高い家賃を払って暮らしている人がたくさんいます。都心には仕事が集中するので稼ぎも高くなりますが、出ていく生活コストや教育環境、食事の雑さを考えると、現代が生んだ歪みのように思えて仕方がありません。
話が飛躍しましたが、どうやら僕は持続的でないと分かりきった暮らしを理にかなっておらず「美しくない」と感じるようです。
次に仕事(ビジネス)について。たとえば延々と補助金に頼り続けている状態を僕は美しくないと感じます。そのものだけでは成立しておらず、補助金を得ることが当たり前の体質になっている事業は意外とたくさんあります。なんだったら補助金を得ることが目的になっているケースも見受けられます。そういったものほど立派な大義名分が掲げられていたりします。
事業をつくるときは回収見込みが大きいほど最初に大きな赤字を掘ることになりますが、その赤字を少しでも緩和させるために補助金を活用することは有効と考えます。事実、僕自身も有効な補助金があれば積極的に活用します。しかし、その状態が2年3年と続き。補助金があることがだんだん当たり前になっている状態はとてつもなく美しくないです。
補助金漬けよりは全然マシなのですが、その企業の基幹ビジネスで稼いだお金で別の事業を支えつづけているケースも似たようなものを感じます。新事業立ち上げ時は全てこれに該当しますが、本気で事業計画を練らずに「やっていること」自体に満足している経営者は少なくないです。コンサルティングをやりながら実店舗では赤字を垂れ流し続けている事業者は結構いるものです。しかしながら、そういった太っ腹な経営者のおかげで世の中が豊かになっているとも言えるので、そのこと自体は「悪」ではなくむしろ「善」だという考えも持っています。「美しくない」とは、僕がもっている感性の話ですので、その点ご留意ください。
また、集客を外部要因に依存している状態も美しくないです。集客を外部要因に依存するということは、市場の穴をついた一見賢い方法に見えますが、外部要因がそっぽを向いたとたんに危うくなる状態は危険であり、事業としては非常に不安定で美しくないです。
これらを整理すると、ビジネスも暮らし編と同様に持続性に乏しいもの、それからその事業自体で成立していない状態を「美しくない」と感じているようです。ただし、単体では赤字の事業でも他の集客の要になっている場合もあります。キャッシュポイントを後ろの方に意図的に設計しているこのパターンはむしろとても美しいモデルだと感心します。
いかがでしょう。なんとなくご理解いただけていますでしょうか。次からは上で書いたことを踏み台にして、僕が美しいと思うことについて書き連ねていきます。
美しいものの共通点
消費されまくっている言葉なので使うことを渋りますが、「持続可能かどうか」ということはどうやら重要な観点になってきそうです。当然、無限に持続していくものなどありえませんが、ある程度未来に対して持続していくものは理にかなっていると考えます。
たとえば、薪ストーブを僕は美しいと思います。薪ストーブの燃料は田舎であれば裏山から調達することができます。手間暇はかかりますが金銭的な調達コストはゼロ、そして木は成長するので枯渇することはありません。いまいち普及しない要因の一つは導入コストの高さでしょう。薪ストーブは灯油ストーブとは違い煙突を設置しなければなりません。煙突設置費用はおおよそ本体代の倍と言われており、一軒家で使える薪ストーブを導入しようと思うと本体代と合わせて100万円弱がかかります(ケースバイケース)。一方で灯油ストーブは1万円で設置可能、エアコンも10万円あれば設置が完了しますので、どうしてもそこと比較されてしまいます。ただ、つくりがシンプルな分故障も少ないのでランニング的には非常に理にかなった代物だと思っています。美しいです。
住まいについて言えることは、これだけ空き家が溢れかえっている現状でわざわざ新築を建てる必要性を感じないということです。空き家を安く借りて暮らすか、もしくは買ってしまってDIYしながら理想の空間に仕上げていくか。どちらにせよすでに余っているものをうまく活用していくことに合理性を感じます。新築を建てることは世間体からすれば立派に見られることですが、まだまだ使える余っているものを活用せずにどんどん新しいものをつくるという発想に美しさを感じません。(結婚式を開催することにすら疑問をいだく人間の言うことなので普通ではないです、悪しからず。)
また、最近は家庭養鶏に関心があるのですが、ニワトリは人間によく懐くかわいい存在にとどまらず、ほぼ毎日健康なたまごを生んでくれるありがたい生き物。最近はたまごの値段も高騰しており、その価値がますます高まっています。これも薪ストーブ同様多少の手間暇を覚悟する必要はありますが、安心安全で健康なたまごを持続的に調達できることを考えるととても魅力的に感じます。また、ニワトリは生ゴミを食べてくれるので、家庭養鶏はゴミを減らすという観点からも理に適っています。
次からのビジネスの話にも書きますが、理に適っている美しいものは必ず一石二鳥以上を得られる仕組みになっているものです。
一石二鳥以上の仕組みは美しい
先に言いたいのは、むしろ一石二鳥以上の仕組みになっていないビジネスは成立しません。それはビジネスの成功要因は他よりも秀でることだからです。考えたらわかることで、1働いて1しか利益を生まない仕組みでは儲けはでず事業を維持できません。1働けば2も3も利益をもたらす仕組みではじめて成立します。それがビジネスモデルというものです。私が実際にやっている事業の例を2つ紹介します。
薪工場とゲストハウスを経営していますが、薪工場では薪を生産して温泉に供給するのが基幹商売。ゲストハウスでは宿泊や飲食が基幹商売になります。このまま別々のことをそれぞれしているだけだと、1働いて1しか利益を生まない構造ですが、薪工場からでる廃材を利用してゲストハウスのお風呂を沸かしたり、部屋を暖めたり、お米を炊いたり、薪窯製法でビールをつくったり、焚き火というエンタメを提供したりしています。ゲストハウスのテーマは「森を味わう」であり、薪を使えば使うほどテーマと合致して魅力が増していきます。薪工場を運営している我々にしかできない宿の形であり、一石二鳥にも三鳥にもなっています。
もう一つの例。スポーツウェアの企画・販売をする事業では、納品した商品がそのまま広告宣伝になる仕組みになっています。主に取り扱っている商品が試合着なので、選手が試合で着用することで自然と認知を拡大していける仕組みです。また、基本的にリピートモデルのビジネスであり顧客が積み上がる仕組みになっていて、ほとんど営業はせずとも年々売上を上げ続けています。詳しくは以前まとめたnoteがあるのでそちらを覗いてください。
成立しているビジネスには「一粒で二度美味しい」がちゃんと組み込まれています。僕がやっていることなんかはまだまだ序の口です。世の中には研ぎ澄まされたビジネスモデルがたくさんあり、それに出会った時は「美しい」と感嘆してしまいます。
最近美しいと思うビジネスモデルに「古民家一棟貸切宿」があります。使われなくなった古民家をリノベーションして快適な宿に生まれ変わらせ、人的コストを抑えて運営します。非日常の空間を貸切で味わえるため単価は高く設定でき、なおかつ従業員を現場に配置しておく必要がないです。ゲストハウスを運営している身として従業員配置不要の魅力はえげつないです。また、Beds24というサイトコントローラーとstripeという決済システムを連携することで事前決済&無人チェックイン対応もできてしまいます。急速に広まりつつあるビジネスモデルなので飽和が気になりますが、美しいものはとことん合理的で無駄がないという好事例だと思います。
最後に好きな話をさせてください
最後に突拍子もない話題で恐縮ですが、僕は歴史小説が大好きで、なかでも司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」は人生のバイブルにしているほど好きです。なぜ好きかというと、主人公の竜馬の発想と行動が非常に合理的で美しいからです。
坂本龍馬は夢に生きた男みたいに思われていますが、それは全く違って、外国から日本を守り抜くという目的に対するアプローチは誰よりも合理的でした。同郷同世代の人間たちが武力で外国勢を追い返そうとしていたところ、竜馬はそれは不可能だと察して、開国派である幕府の軍艦奉行・勝海舟のもとに弟子入りします。同郷の志士からは幕府の人間と仲良くしていることで煙たがられますが、それでも正しいと信じた方法を貫き、薩長同盟、大政奉還をやり抜いて、ついには新しい世を築きます。
坂本龍馬だけでなく、司馬遼太郎の長編小説の主人公は合理的なアプローチで世を変えていった者たちばかりです。中学生の時に読んだ燃えよ剣から司馬作品のファンですが、「理にかなったものは美しい」という僕の感性のルーツはここにありそうです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。「実は自分もそう思っている」という方がいらっしゃいましたら、いいねやコメント、シェアで教えていただけるとうれしいです。それでは。