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〈お茶以外の話をしようじゃないか〉大学院での教え|桜でなく梅になれ

最近、大学院(MBA)に興味をもつ何人かの後輩から立て続けに相談を受けました。

ただ、面と向かうと「大学院は手段なんだから、そもそも自分はどうありたいの?そして何をやりたいの?」という会話に終始してしまい、、

おっさん特有の質問がえしを反省します。

というわけで、卒業後10年の実務経験をふまえて、実際に役に立った大学院での3つの学びを共有します。

ちなみに、写真と題名は「春になったら咲く桜ではなく、冬に咲き、春を連れてくる梅のような人物になりなさい」という教授からの卒業メッセージ。

干からびて梅干しにならないように頑張ります。

それでは本題に。

卒業後、10年間とその後

2011年3月、一橋大学大学院商学研究科を卒業(当時33歳)

卒業式の2日後、3月25日に中国・上海へ赴任。
6年間の海外駐在を終えて帰国し、4年間、東南アジア・中国を管轄する日本本社の海外事業部に勤務。計10年間、海外ビジネスに取り組みました。

そして、2021年3月に20年間勤務した前職を退職。
家業のお茶屋に入り、小さい会社で45歳から学び直し、鍛え直しの毎日です。

役立った学び①:経営用語を正しく学ぶ

とにかく言葉は重要です。
語学のことではありません。

経営学では、科目名が既に重要な経営用語です。
経営戦略・マーケティング・財務会計・ファイナンス・経営組織…からはじまり、各分野内にもPPM、CRM、DES、WACC…と無数の用語が溢れます。

まずは経営用語を理解する。
そうでなけば自分自身で考えることも、他者と議論することもできません。
なので、経営学を学ぶとは、経営用語を理論的かつ現実の事例と結びつけて学ぶことだといえます。

知識は認識を変えます。
言葉が無いと課題認識ができません。

たとえば、身体の調子が悪いとき。
お医者さんは、身体の各機能への正しい理解をもとに、表面化する症状の原因がどこにあるのか、を推測・判断します。

会社の規模にかかわらず、企業経営も事業運営も同じです。
一見すると、戦略あるいはマーケティングの問題にみえているものは、実は組織の問題なのかもしれません。あるいは全く関係のないようにみえるガバナンスに先行課題があり、それが根本原因なのかもしれません。
経営用語を正しく理解し、それらを使うことで問題の言語化・特定・解決を試みることができます。

もちろん知識は全てを解決しません。
名経営者と称されるひとが必ずしも経営学を学んだわけでもありません。
むしろ余計な知識は、些末な問題に捉われる可能性を高めます。

何事にも両面があります。

だから、まずは自分自身が経営学を学ぶのか否かを決めること

冒頭のおっさんの質問がえしを繰り返してすいません。
それでもやはり「はじめの一歩」は、自分がどうありたいか?何をやりたいか?

あなたは、どんなお医者さん(経営者or事業責任者)になりたいですか。
それはなぜですか。
その手段は、経営学を学ぶことですか。
そして、わざわざおカネと時間をかけてまで大学院に行くべきなのですか。
おっさんの質問がえしには一応意図があります(言い訳)

役立った学び②:「コトバ遊び」への対抗力

経営学とは経営用語を学ぶこと、と書きました。
でも、やっかいなのは、現実のビジネス現場では新しい言葉が次から次へと生まれることです。
卒業後の10年間でも、DX、D2C、SDGs、パーパス経営…

そして更にやっかいなことは、それらの言葉を使った「コトバ遊び」が世の中に溢れていることです。

問題は、新しい経営用語そのものではありません。
その言葉を一体どういう意味で使ってるのか、という共通理解がないまま、議論(というか「コトバ遊び」)が進められることが問題です。

これはビジネス現場の話だけではありません。
メディアやSNSを含めた全ての情報インプットにも注意が必要です。

これが簡単なようで難しい。
私も気を抜くとすぐに流されます。

なぜか、新しい言葉には奇妙な力があるのです。
何だかよくわからないのだけど「すごく正しい」感じがします。

これからはDXだ。
これからはD2Cだ。
これからはSDGsだ。
これからはパーパス経営だ。

どうでしょうか。
結構な勢いを感じませんか。
ちなみに、どれも10年前には無かった言葉です(たぶん)

そして、上記のフレーズは、組織の上から下へ、外から中へ、と得体の知れない重力によって加速をつけ、現場に迫ります。

だから「対抗力」が必要です。
それは、なんだか「すごい感じ」のする用語をいちいち正しく理解しようとするチカラともいえます。

このとき、大学院で経営学の基本用語をひと通り学んだ経験は役立ちます。
というのは、よくわからない言葉を遠慮なく確認する癖がつくからです。
また、既存の経営用語は新しい言葉を確認する際、その差異を含めた共通理解にも活用できます。

「〇〇とは、例えばこういうことですか」
「ここでの〇〇は、従来の考え方に、この点を加えたものですか」
「〇〇は言葉の言い換えではないのですか。具体的な事例を教えてもらえますか」

経営学は何かを生み出しません。
クリエイティブな能力も磨かれません。

でも、それは巷に溢れる「コトバ遊び」への対抗力を高めます。

世の中の経営トレンドに対して斜に構えよう、ということではありません。私もNewsPicksの有料会員です笑

大切なのは、現実の世界で生まれ続ける「新しい言葉」への正しい理解を怠らず、本当に自分たちがやるべきと信じること、そして具体的に行動していくことは何か、を見極め、実行に移すこと。
経営学は、その一助になります。

番外編:経営学で学べないこと

話は変わりますが、海外ビジネスの現場では「生まれては消えていく経営用語」は不要です。
役に立たないだけでなく、邪魔です。

通訳の問題ではありません。
異なる文化のなかで事業を前に進めるには、平易な言葉が必要です。

丁寧に説明すれば良い、は間違いです。
「あの日本人、よく分かんないよね」で一発アウト。

物事を前に進める方法は世界共通。
それは、なぜやるか、いつ何をやるか(何をやめるか)、どうやってやろうか、という実行の積み重ね。

家業の小さなお茶屋で働くスタッフの方へ、私がよくわからない経営用語を使ったとします。
「家業に戻ってきたドラ息子、よく分かんないよね」で、やはり即アウト。

経営学では、経営用語を学べます。
が、現場・現実を変えるチカラは得られません。
私もまだまだ修行中です。

役立った学び③:経営学は答えを教えない

役立った学びがテーマのわりに、元も子もない学びですいません。

ただ卒業後10年間の実務経験をふまえても、当時、経営戦略の授業を担当していた教授の言葉は重いです。

問題に対する解答は、各人がその場その場で自分の頭で考えて出していくべきものだ。だから、経営学は答えを教える学問ではない。
しかし経営学における理論的思考は、各人が自分の置かれた状況を分析する際の指針とか思考の手順程度のものは提供できると筆者は考えている。

沼上幹『組織戦略の考え方』

卒業証書を手渡すときにも、卒業生全員へ以下コメントされていました。
10年以上も前のことですが、今でも鮮明に覚えています。

すぐに役立つ学びは、すぐに消える。
ここでの「自分の頭で深く考える」という学びは、10年、20年たって、じわじわとボディーブローのように効いてくるものだ。

安心して卒業しなさい。

何をもって成功とするか、はともかく、私自身が「自分の頭で考え、現実の経営で答えを出していく」というプロセスの真っ只中です。

ただ卒業後10年経ち、当時の学びは随分と強烈なボディーブローだったようです。
いまだ吐きそうなぐらい効いています。
冬に咲き、春を連れてくる梅になるからには、やるしかありません。

というわけで、ボディーをバチッと鍛えることにご興味ある方は下記まで。

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働きながら学び続けようとする皆さん、また同じような小さな会社やお店で踏ん張る皆さんの参考となれば幸いです。

・ここから宣伝するのは無理がありますが笑
・お茶に興味がある方に

・勉学のお供に(リラックス効果が期待できます)

・ご自宅に急須がない方には

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