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山形市の高校生たちによるまちなか文化祭の実現

本日9/2 9:00より、山形市中心市街地で市内高校生たちが自分たちで連携し、それを地域の大人と関係機関、クラウドファンディングの賛同者が後押しをした「第一回山形まちなか文化祭」が2日間の日程で始まりました。

Instagram → https://www.instagram.com/ymgt_bunkasai/


高校生たちが主体的に動き、”まち”が実現を支援する

この文化祭の素晴らしいところは、探究活動などでまちや地域活性化を学習、実践していた高校生などが自ら発起し、学校の壁を破って連携、動いたこと。それを学校、地域や商店街、行政、まちづくり会社が実現できるよう後押しをしたことではないでしょうか。
しかも高校生たちは、この行事の企画に先立って、なんと
自分たちで市内の高校生や大学生約千人にアンケートを取って、分析をし、結果のみならず自分たちの提案を各方面に実施した
というのだから、その熱意と行動力に尊敬の念を抱かずにいられません。

若者が幻滅し、去っていくまちはまだ多い

全国的に、学生の地域行事への関りは「大人」や「地域」が「労働力」として「肉体作業」を押し付けてきたり、大人の視点からこうあるべき、ということを学生にさせたりということが一般的でした。

企画にも関われず、決められた内容を押し付けられて汗をかいている若者たちの横の「本部」で、地域の大人や関係者たちが作業もせずに酒を飲んでいる。

何か新たなことを興そうとすると、途端に地域の論理を押し付けて動きを鈍らせる。
大人や地域が若者の手を引っ張り、背中を押すのではなく、足を引っ張って思い・時間・やりがいを搾取していく。

そうやって、多くの若者が地域に幻滅し、去っていったのです。

今回の山形市での高校生と地域・クラウドファンディング支援者との関係は、その対極であると感じています。

カムバックサーモンという言葉

出所 山形まちづくり株式会社

この文化祭の実現の背景には、中心となる高校生人材がいたことがもちろん本質的なところですが、一方で、そういった人材を探究活動などを通して積極的かつ実践的に支え育ててきた高校の先生がた、地域の関係者の存在も大きかったと言えます。
例えば、山形市中心部七日町商店街の完全民間出資まちづくり会社、山形まちづくり株式会社(https://yamagata-machizukuri.jp/)では
「カムバックサーモン事業」という事業を展開しています。

積極的に若者たちがやりたい事、実現したいことを着想、企画、実践できるための場づくり・地域との調整・事業後押し・必要な汗かきをしている事業です。
これは、目先の「賑い」づくりではなく、5年後10年後を見据えた人材の育成であり、若者の”母川回帰”(ぼせんかいき)を通した地域への投資です。

大切なことは、何かをしたい、行動力がある、という高校生や若者は
最初からはいない、どこかからか、沸いてくるものではない
ということです。
こういう視点もあるよと気づける。考えを伝えられる、学べる、イメージを膨らませられる、、、、、いくつもの段階での場づくりやきっかけづくり、それを通した人材育成が根本に必要なのです。

”ノールールプレイス”大人の目線から”若者の場”はつくれない

今年1月に実施した、具体的な空物件を想定した高校生居場所づくりWS

私は山形まちづくり株式会社の依頼をうけ、昨年は高校生にもグループインタビュー、今年の1月はある空店舗を想定した高校生の居場所づくり妄想ワークショップをしてきました。
複数の高校からの探究活動や生徒会活動を通して地域に関心のある生徒たちによるワークショップです。
ワークショップで、あるグループから出されたその居場所のコンセプトにハッとさせられました。
それは
”ノールール・プレイス 人をダメにする場所”
というもの!
恥ずかしながら、私は勝手に
「優等生が集い、もしかしたらよく大人が作った場にある忖度したまじめな内容が出てくるのかな」
等とうすうす思っていました。
しかし、全くその視点は打ち破られた。
彼らは、自分たちでルールを創れ、心安らいだり楽しめる場を創りたいと考えました。
大人が
「若者はきっと、こういうところがいいんだ、必要なんだ」
と勝手に決めつけた無機質で飲食もスマホも禁止の「自習室」など、支持・利用されるわけがない!

若者の居場所を考え創れるのは、利用する若者たち、日ごろから関心が持てるきっかけに接してこられた意識ある若者たちなのです。

そして、このワークショップの参加学生は、今回の山形まちなか文化祭のコアメンバーへとつながっています。

このような場を学校とまちづくり会社、商店街、支援者などが連携して創るということの大切さや有効性をつくづく感じました。

まちなかは、可能性に満ちたキャンバス

空物件、低未利用地、使われていない公共空間などが増え、それゆえ活力の減退が進む中心市街地、まちなか。
私は、可能性に満ちたキャンバス、だと思っています。
色々と色付けしていける余白、関わりしろがある、と。

それが可能性ある資源となるのか、単なる減退を加速する負の遺産となるのかは、その余白に関われるようにする地域のプラットフォームやコーディネート機能、そして地権者・物件オーナーの意識と協力の有無と言えます。

今回の第一回山形まちなか文化祭の実現は、実際はいろいろな苦労や壁があったと思いますが、一方では一つのまちなかのありかたを示す好事例ではないでしょうか。


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