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「多数はパワーだ」 八万四千体地蔵尊

日本各地の大仏さまを巡り、もう12年ほどが過ぎました。私が大仏巡りをはじめる根底にあったのは「大きいはパワーだ」ということ。「大きい」は、ただそれだけで全てを凌駕するパワーを持っていると思うのです。そういうものに圧倒されたくて、私は今も大仏さまを巡りをつづけています。

最近ここに「多数はパワーだ」が加わりました。

実を言うと、わりと最近まで小さいものがどこまでもワーーーッと連なる図に、背筋がゾゾゾとするような恐ろしさを感じることがありました。これには幼い頃のトラウマ的な記憶が絡んでいます。それで、真逆の大きな孤高の存在に惹かれていたのかもしれません。

以前の私の興味の対象は、大きな仏像、大仏さまのみでしたが、それが仏像全般へと、石の仏像である石仏へと広がっていきました。そうすると、小さな石仏がどこまでもワーーーッと連なる光景にもたびたび遭遇するようになります。そして、そこに大仏に感じる「大きいのパワー」と似ているようで違う「多数のパワー」を感じ、同様に惹かれるようになっていきました。

つまり私が強く惹かれるのは、現実と少し解離した光景、つまり『異観』なのでしょう。

上野にあるお寺、浄名院さんもそんな多数のパワー、そして異観をヒリヒリと感じられるお寺です。

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浄名院の境内奥に並ぶのは、その名も八万四千体地蔵尊。縦約35cm、横約25cm、正面に地蔵立像が刻まれ「八万四千体地蔵尊」と「第○○○○番」という通し番号が入った石のお地蔵さま。この同じ形状のお地蔵さまが、境内を埋め尽くすように並ぶ様は、まさに壮観のひと言。

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昼間に参拝しても充分に壮観で、非現実感を抱く光景だと思いますが、夜になるとさらに現実感が薄くなります。上の写真とほぼ同じ場所から撮影した、夜の八万四千体地蔵尊がこちらです。

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東京の都心も都心である上野に、こんなあの世と見紛うような景色が広がっていようとは…ほとんどの人が知らないのではないでしょうか。

元々この灯は万灯会(まんとうえ)というお盆の法要のためのもの。それが新型コロナウイルスの感染者が報告された2019年から、終息の願いを込め、毎晩灯されつづけています。

江戸時代に創建された浄名院は古くから地蔵信仰のお寺で、明治時代に当時の妙運和尚が八万四千体地蔵尊建立を発願し、現在では約二万六千体の石地蔵が浄名院に安置されています。調べてみると、浄名院以外のお寺にも八万四千体地蔵尊はあるのだそうで、いろいろ探してみるのもいいかもしれません。

仏法で「八万四千」とは「無数」を表す言葉です。無数の石仏が整然と並ぶ圧倒的パワーの前に、人はただ言葉を失うのみ。多数の美しさ、多数のパワーを心底味わいました。

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※撮影はお寺さまに許可を得て行っています。お寺は祈りの場です。ご参拝の際は、どうぞ節度を持ってご参拝ください。

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