見出し画像

私の不可解な思考と行動の記録

お立ち寄りいただき
ありがとうございます。

私は幼少期の頃から
不可解な思考や行動が多く
おそらく周りの人を困らせたことが
多々あったのではないかと思っています。

私の不可解な思考や行動を
記憶の限り
その時の心情とともに"ここ"に記録しておきます。

ツインレイに出逢っている人は
ランナーとチェイサーという役割それぞれ担います。

男性がランナー側になることが多いと言われており
私達の場合、女性の私の方がランナーでした。

女性のランナーに関する情報は
男性のランナーに関する情報と比較すると
圧倒的に少ない。
男性のランナーがこのように
言葉として残しているケースは少ないように感じます。

男性と女性では違う心情かもしれませんし
それぞれのツインレイでの
ランナーの心情が違うかもしれません。
生きにくさを感じていたり
"愛"というものにブロックがあったり
大枠なところは共通しているのではないかと感じます。
あなたがツインレイとの関係性を進めていくうえで
私のこの記録が
何かの気付きや解決のヒントになれば嬉しく思います。


私は幼い頃から
干渉されることが好きではありませんでした。

元々私が持っている気質が
魂由来によるものと
三姉妹の真ん中という生まれ順に
関係したのかもしれません。

干渉されることが好きではありませんでしたが
時々、自分の方に関心を向けていて欲しい。

特に両親に対して
ずっとそのように思っていました。

無関心さが伝わると
寂しくなり自分から距離をつめて近づく。
一転し、干渉され始めると
瞬く間に離れ距離をとる。

寂しいときに寂しいと、言えなかった。

距離を縮め、心満たされると
また離れ、一定の距離感を保つ。
大人になってもずっと繰り返していた行動。
それが無意識の行動になり
その行動の理由を深く知ろうなんて思わなかった。

両親共に
兄弟、姉妹の真ん中という生まれ順もあってか
私の気質を理解してくれていたと感じます。
幼少期は
程よく放っておかれ
あまり干渉もされずにいました。

私が2、3歳の頃。
姉が祖母に抱っこされ
私が祖母と手を繋いで歩いていた、と
母から聞いています。
母からすると
本来、妹の私が抱っこされ
姉が歩く、絵を想像していた様子。
私は自立心が強かったのか
ひとりでも全然平気で遊んでいたそう。
当時の記憶はありませんが
私はその状況がきっと心地よかったはずです。

ただ。
思春期の頃や
社会人になり大人になった頃
あまりにも私が本心を言わないため
私の行動が読めず
特に父の干渉が強くなってきました。

娘を心配する親心からだと感じますが
いかに本心を読まれないように
探らせずにすむのか
いつも考えをめぐらせていた。

私は幼少期から
自分という人間を理解されたくない、と
両親に対してすらそう思っていて。

なぜ、と聞かれても。
私自身もよくわからない。
よくわからないけれど
理解されなくて全然平気でした。

天邪鬼かもしれません。
理解されないよう、
突拍子もない行動をよくとっていたと感じています。

私の行動を読めない母が
あなたは一体何を考えているのかわからない、と
言われた時には
心の中で"よしっ!"と
ガッツポーズをとるほどに。

理解し難い思考回路で風変わり。
何を考えているかわからない。
けれど、
素直で従順な一面も持ち合わせていたため
かなり育てにくかっただろうと感じます。

それは、両親であろうとなかろうとです。
すべての周りの方々に対して
そのような態度でした。

幼少期にお世話になった母の知人に
大人になってから偶然お会いしました。
幼少期の頃を知るその知人は
私が"まともになった"と母に伝えたようで、
母から
"子どもの頃あなたは一体何をしてきたの?"と聞かれ
"何をしたかは記憶にないけど
その通りだと思う"と答えました。
大人になり
多少"まとも"になったかもしれませんが
気質は変わらずそのまま。

友人には
いつも知らないところで物事が完結してる、と言われました。
好きな人がいて、"今だ"と直感で感じたまま
突然思いを伝えたことがあります。
友人に相談する、という思考回路がない。
いつも自分の"今だ"というタイミングで動く。

その時もそうで
友人に話したのは随分時間が経ってからでした。
友人、みんな驚いていました。

友人に相談するという思考回路がない理由は
自分がどうしたいか答えがわかり
自分で行動できるから。
すべて自分の中で完結してしまう。
決して友人を信頼してないからじゃない。
答えが自分で導き出せているから
相談するという思考回路がない。

自分の中の答えは
意識せずとも自分の中にあり
その答えはほぼ決まっている。
その決断に対し
背中を押してほしかったり
共感してほしかったりする。
その"相談"という行動が
友人関係を密なものにしていくものなのでしょう。
私の友人関係が希薄なのは
そこに一因があるようにも感じます。
頼る、ということをしないから。
それでも全然不都合なかった。
むしろ。
誰にも踏み込まれない
その距離感が心地よかった。
心地よかったから
誰にも踏み込ませなかった。

次第に。
誰も私の心の中には
徹底して踏み込ませないようになっていった。
自分以外の誰にも。

それが問題化し浮き彫りになったのは
ことに恋愛においてでした。

心の中を見せず踏み込ませない私に苛立ち
離れていく人もいました。

好意をもってくれた相手に
冷たくしたこともあります。
そこには私なりの理由があって。
どんなに好意をもってくれても
その人の好意に応えられないとわかっていた。
私自らが好きじゃない相手と
おつきあいしたとしても
自分の想いが変わるとは思えなかった。
だから、最初から隙を見せず
距離が縮まらないよう
常に一定の距離感を保った。

好きだと伝えてくれるなら
応えられない、と伝えられる。
何も伝えてこない状況で好意だけ見えても
私には思わせぶりな態度をみせられなかった。
たどり着いた考えは。
徹底して隙を見せないことがベスト、だということ。
その人の悲しんでいる姿が見えようとも。
その姿勢を崩さなかった。
私なりのその人への優しさのつもりだった。

追われれば追われるほど、逃げた。
その想いに応えられない、私の意思表示として。

恋愛はひとつひとつ終わりにしないと
次への恋愛に進みにくい。
想いが残ったままでは
なかなか次の恋愛には進めない。

私はひとつの恋愛が終わるごとに
それまでの想いも思い出も
終わりにしてきました。

周りには恋愛が終わった後でも
おつきあいした人と
友人関係で続いてる友人がいましたが
私には全く理解できない行動でした。

新しく恋愛する人に対し
以前の恋愛関係にある人との繋がりは
失礼だと思っていたから。

これが。
私の恋愛観の軸になっているように感じます。

その恋愛観に反し
平気で私に迫ってきた人がいた。
どなたかに想いを残したままや
複数人の女性を思わせるような人も。

私に対し失礼なことをする人とは
どんなに私が好意をもっていたとしても
おつきあいする気にはなれず
身を引いたこともありました。
自分の想いが残り
多少引きずりもしましたが
時間の経過とともに忘れていく。
なかには失礼なことをする人だとわかっていても
どうしようもない想いを経験したこともあります。
案の定、上手くいきませんでした。

私は真面目すぎたのかもしれない。
もっと軽く考えれば
色んな人を知る、という意味では
もっとフランクに
恋愛してみてもよかったのかもしれない。
実際、好意をもってくれた男性から
そう言われたことがあります。
他の人には、簡単かもしれない。
ただ、私にはそれができなかった。
中途半端な想いでのおつきあいは
相手を傷つけてしまう。

私は、そもそも"つきあう"ということ自体が
よく理解できなかった。

好きでもない相手とのおつきあいは
すぐ別れると行末がわかる。
なのに。
なぜ、好きでもない相手とつきあうのか
理解できなかった。

好きだと、いう感情はわかる。
大人になり年齢を重ねれば重ねるほど
好きな想いだけでは
上手くいかないことがわかってきた。
幼かったんだと思います。
大人になれば
想いだけでは満たされない。
大人になれば
好きだという想いの他に
身体という複雑な関係性が加わり
自分が感じる好きだという想いだけでは
上手くいかなくなった。

きっと私は心と身体が乖離していた。

私が相手に心を見せられなかったことが
大きく影響していたように感じます。

たとえ想いが通じあっていても
私が心を見せないことは
次第に相手が感じとっていく。
心に踏み込ませない姿勢を続けた結末は
私が一番傷つく方法で終わりを迎えました。
自業自得といえば
そのなのかもしれない。

人を好きになる感情があっても
それを表現できず
感情を外に出せず
結果、私自身が苦しんだ。
心を見せたいと思った相手がいても
心の見せ方がわからなかった。
どう表現していいかもわからない。

本来の自分がどういう人かも
わからなくなっていた。

自分の心を隠したまま
まわりが受容れてくれるだろう人物像を
演じていくようになったんだと思う。

身体は成長しても
心は成長していなかった。

相手に頼れなかったように
相手を求めることも
何をどう求めていいのかわからなかった。

好きだという感情だけで
その先どうしていいのか
わからず年齢を重ねてきていた。

愛する、愛される、
愛、そのものが
私にはわからなかった。

こうして改めて振り返ってみると
相手と向き合えてなかったことより
自分と向き合えていなくて
いつも自分以外の誰かの想いを優先させ
肝心な自分の心を大切にできなかった。

だから、自分のことなのに
自分のことがよくわからなかった。

よくわからないながら
自分がされて嫌なことだけは、はっきりしていた。

干渉されることが好きじゃない延長に
束縛されることも含まれていました。

束縛=信頼されていない、信頼していない

恋愛において相手を信頼できずにいると
束縛という行動になって
表れてくることがあった。

束縛がきつくなればなるほど
私の心が頑なになり
一歩たりとも心に踏み込ませなかった。

鳴り響く電話に
敢えてでないことも度々あった。

この行動もまた不可解だと思われるかもしれない。
相手から想われるというのは
本来嬉しいものなのでしょう。

私は逆だった。
追われれば追われるほど
束縛されるほどに私は逃げた。
理由も告げず逃げるから
相手からすると
他に誰かいるのかと疑われたり
不信感をもたれた。

頑なに心を見せず
疑われるような行動をしているのに
疑われることが嫌だった。

私には相手を想う気持ちがある。
他の誰かのところに行く、なんて選択肢はない。
相手から心は離れてない。
どうして疑うんだろう、
何を不安に感じるんだろう、
なぜ私を信じてはくれないのだろう、と
踏み込ませない心の内でそう思っていました。
そんな心の内も相手には見せなかった。

自分の行動や何処にいる、誰といる、
そのような情報も人に知られたくなくて
SNSが好きじゃない理由もそこにあった。

最近になり
こうして”ここ”にいますが
ツインレイの彼に出逢う以前は
全くSNSに興味がなかった。

言葉で伝えなくても伝わってると思った。
独りよがりで
言葉が足りなかった、と今は理解できます。

ツインレイの彼と出逢い、
彼は私を私以上に理解しつつも
私の不可解な思考と行動が
理解できずにいたようでした。
彼に私の感情が伝わっていましたが
言葉や行動にして想いを伝えない私の不可解な思考と行動は彼の心を乱しただけでなく、傷つけてしまった。

出逢った当時。
普通じゃない出逢いと
急激に惹き寄せられる恋愛感情に心乱れ
私は自分の心をコントロールできず
出逢ってしまった、という感覚を感じていました。
なぜこのタイミングなんだろう、と
特別な出逢いだと感じたのは気のせい、だと
取り柄がない私では彼とつりあわない、とか
何より、当時は私が既婚状態で
身動きできなかった。

ツインレイという言葉を知ったのは
彼と出逢って数日後、早かったと思います。
だけど。
彼とツインレイの関係性にあるのかは
ずっとわからなかった。
それだけ特別な出逢いだと認識しながら
わからなかった理由は。
婚姻関係にあった人とも
何か縁を感じていたから。
誰が自分のツインレイなのか。
正直、似ているところもあり
答えがでるまで時間がかかった。

ずっと半信半疑だったものが
間違いないなく"彼"がツインレイだと
はっきりした。

本質が全く違う。

その迷いも彼に伝わっているとは
知らなかった。

ツインレイの彼に出逢い
関係性を進めることに、すごく葛藤し悩んでいた。

追われれば追われるほど逃げた理由。

当時の私の状況では
現実的に彼の想いに応えられない、ことや
子どもが未成年だったこと。
社会的地位を築いてきていた彼を
世間から非難されるような関係性に
巻き込んではいけない、と。
私の方が年齢が上ということもあった。
社会的モラルや秩序といったルールを守らなきゃ、と
ものすごく強く彼に惹き寄せられる感情とは
真逆で自分の想いを抑制させる感情も働いていました。
一瞬でも気を抜いてしまえば
彼を強く想う感情にのまれてしまう。
自分を正気に保つのが難しく苦しかった。
怖さもあった。
自分が自分でなくなってしまう怖さだった。

私を踏みとどまらせた一番の理由は。 
社会的地位を築いてきていた彼を
世間から非難されるような関係性に
巻き込んではいけない、だった。
彼が見えないところで努力し続け
築き上げてきた地位。
彼の社会からの信頼を私は奪えなかった。

あの時、私が分別を間違えていたら
今の彼の姿はない。
これだけははっきり分かり、断言できる。

仮に当時、関係性を進めたとするなら。
彼は社会から離脱せざるを得ない状況に陥り
すべてを失っていたでしょう。
彼の輝かしい未来を奪うだけじゃなく
生きていく気力さえも。
その上、私の悪評価も予見される。
大人である私の分別ない行動への非難。
私を大切に想う彼がそれを知り、傷を負う。
そこまでわかった。

彼が仕事を大切にしてきたことが
理解できるだけに苦しかった。

その反面。
彼と魂が繋がった時。
彼からの私を大切に想う感情が伝わってくると
どうしようもなく嬉しかった。

日々、彼を想う気持ちは強くなっていく。
今まで以上に自分がわからなくなった。

ツインレイの彼に出逢った当時。
婚姻関係にあった人とは既に破綻状態だった。
未成年だった子どもが
高校卒業までは頑張ると
心にずっと決め、過ごしていた。
私はツインレイの彼との想いを貫くより
現実を優先させた。
私がどんなに彼に心揺さぶられようとも
子どもには関係のないこと、として受けとめ
親としての責任、
それを果たさないと、と自分に言い聞かせていた。

この間にも、あり得ない出来事が多発。

ツインレイの彼の元に行こうとすると。
子どもを奪われそうになり
それでも彼を選ぶのか、と
問われた。

ツインレイの彼を優先させていれば
間違いなく現実として
私は子どもを失っていた。

私がどんなに彼を想っても
彼の想いに応えたくても
子どもを優先せざるを得なかった。
それでも彼への想いを諦めきれず
彼の仕事場まで行く機会があれば逢いにいき
彼の姿だけをみて帰っていた。
当時、子どもの心が不安定だった。
親なら子どものそばにいるべきなのでしょう。
不安定な子どもをひとり留守番させても
彼に逢いたかった。
彼に逢いに行った。
留守番している子どもが心配で
帰宅してまずお風呂にいき、
キッチン、子ども部屋と確認する。
寝ている子どもの布団が上下しているのをみて
どれだけ安心したか分からない。
この感情の行き場がなかった。
本当にどうしようもなく
彼を想う心と現実との狭間で苦しかった。

彼に連絡したくても連絡する術がない。
どうにも動けず
現実を生きながら
彼に募っていく想いを
自分でコントロールできなくなってきていた。

既婚状態にある自分が嫌だった。

怖がって何も行動できない自分が嫌だった。

ある時。
彼が入院したと聞き、
いてもたってもいられなかった。
何もできないことは重々わかっていた。
入院先が前職の研修施設の近くだったこともあり行ってみても、誰とも名乗れず、関係性も言えず、ただ行くだけで本当に何もできなかった。

心が繋がっていても
現実的には全く見ず知らずの関係性、
それを目の当たりにした。

これが、現実、だと。

自分の心のコントロールの歯止めがきなかなくなり
既婚状態を続けている自分が嫌になり
婚姻関係にあったその人を
疎ましく感じることが増えてきた。
自分が行動できないことを棚に上げ
その人が自分から離れていくよう
本気で好きになった相手ができてほしい、とか
挙げ句の果てには
病気や事故も考えるほど私は危うかった。

それが現実化しそうになった。
その人の運転する車が
事故になっていてもおかしくない状況が起こった。
寒気がした。
その人が生きている姿をみて猛省した。

婚姻関係の終わらせ方を間違えてる、と知らされた。

自分の行動する力と真っ当な方法で
その人から離れる方法を考えるようにした。

徐々に私の心が限界に。

その頃、その人の単身赴任が決まった。
絶妙なタイミングで。
あと少しタイミングがずれていたら
私は赴任先についていかなくてはならない状況でした。
ついていけない状況に私は心からホッとした。
何とか私の心が保たれた。

辞令としても異例中の異例。
本来の転勤ルートではなかった。
仕事ができる人だったから
栄転を周りは不思議に思っていない。
その人は私から離れることを嫌がり恐れ
栄転を断ろうとしたらしい。
入社した頃から
目指していたポジションだったにも関わらず。
断る選択ができない状況に
その人の感情がよみとれた。
私の心が離れているのを感じとっていて、
現実的な距離が離れば本当に終わってしまう危機感を感じていたと、わかった。

その人がずっと目指してきたポジションに就くことで
私のお役は終わった、と感じていました。
そのポジションに就けば、
その先は確約されたようなもの。
私が離れても大丈夫、だと。
闘病中だった義父に
栄転の報告をできたのも絶妙なタイミング。
現実のすべてが絶妙なタイミングで動いた。

誰も傷つかない方法で。

それがある冬のことでした。
その後、一気に現実が動き始めていった。
義父の死去、
子どもの受験、
単身赴任先への引越し、
私自身フリーランスで仕事しようとしていてその準備に追われ、時間が足りない日々。
そんな日々を過ごすなか
彼が私から離れていきそうなのがわかり
かろうじて保たれていた私の心は壊れそうだった。
もう心が限界だった。

ツインレイの彼に出逢う前。
私は、生理が始まった頃からずっと生理不順でした。
数ヶ月ない時もあり
そのことに慣れてしまっていた。
それがツインレイの彼に出逢った頃から
生理不順がなおり定期的な周期に。
今の今まで定期的な周期で生理がきたことがなかったから、彼との繋がりを身体を通して感じていました。

私の心壊れそうな時期、
再び生理不順になり
ホルモンバランスも崩れていった。

彼がいることで
私は生きていた。
生きる力を見いだせていた。

彼が離れていく理由も納得いかなかった。
私を強く想いながら
他の女性のところへいこうとする彼。
理解できない。
激しく心を揺さぶられ、
離れていこうとする彼に対し怒りも込み上げた。
心の行き場が
どこにもなくなっていった。
その女性に嫉妬し
ますます私は自分に自信がなくなっていった。
女性として私には何も勝るものがなく
生きている意味を見いだせなくなっていました。

彼があの時。
本気で離れたら。
私は今、生きていなかったと思う。
自分の命を簡単になくしてしまえるほどだった。

彼に訴えた。
あらゆる方法で
離れないで、と訴えた。 

彼の心が私から完全に離れてしまえば
もう元には戻らない。
それは、一般的な恋愛も同じ。
過去の恋愛で
心が離れた人にどれだけ戻ってきて欲しいと
願い望み、すがりついても無理だと学んでいた。
彼が本気で私との関係を諦めれば
私がどれだけ訴えても叶わない。
彼がその女性を本気で好きであったのなら
私も諦めがついた。
そうじゃない。
彼は私への想いを抱えたまま
他の女性のところへいこうとしていた。
なぜ好きでもない女性のところにいこうとするのか。
彼の行動が理解できない。
上手くいく訳がない、そう感じそう願ってもいた。
嫉妬心と女性として魅力がない自信のなさが渦巻き
彼に対しての執着が強くなる。
私は私と向き合えず
依存状態に陥りました。

自分が既婚状態であるままなのに。
わがままだとわかってる。
それでも、
彼が他の女性とこの先の人生を歩いていく、
想像するだけで辛かった。

きっと彼の方も辛かった。
既婚状態を続けている私がいて
当時彼に応えられない感情が伝わっている。
それこそ
好意が見えるけれど
どうにもならない状態を私がつくりだしていた。

現実が動かないことがもどかしくなり
彼に逢いに行った。
電車に乗ると人身事故に遭遇し
彼の元に辿り着けない。
逢うことが許されなかった。
その前に、することがある、と
言われるているようだった。

彼の方も引き戻されていたことがわかり
安堵した私はようやく自分と向き合えるようになり
生理不順が定期的な周期に戻ってきた。

離婚を現実的なものにしようと行動し始めた。
自分と向き合い
心を少しずつ彼にみせられるようになってきた。
彼はどんな私であろうと
理解しようとして受けとめてくれた。
不可解な思考や行動がなかなか直らなかったとしても。
そこまでして想い続けてくれたのは
彼だけだった。

魂が繋がっている、とわかり
ツインレイは普通の恋愛とは違うと
腑に落ちたのは結構時間経ってから。
一般的な恋愛感情から抜け出せず
長くもがきました。

彼と離れて過ごすうち
時間をかけて自分という人や
”愛”というものを
少しずつ理解してきていた。

ずっと見て見ぬふりをし続けていた私の心は
深く傷ついていた。
それを理解できたとき、心が痛かった。

彼に心を見せるという行動。
これまでしてこなかったことをするには
勇気がいった。
彼は私を理解してくれる。
うけとめてくれる。
そう信じて。 
今の私が"ここ"にいるのも
彼のおかげです。

実際。
すべて受けとめてくれたと感じています。

自分の心が傷だらけになっていたことを
放置し続けていた自分が可哀想に思え
また心が痛かった。

彼と出逢わなければ
自分という人を知ることもなかった。
”愛”を知ることもなかった。

私のこれまでしてした恋愛と
ツインレイの彼との恋愛は全く違う、
それも理解できた。

何があっても
お互いにお互いを想いあう心は
時代を超えても変わらない。

彼の強い想いが
私を支え守ってくれた。

多忙な彼が私と出逢い辛い想いをしながらも
私を支え守り続けてくれた。
彼の仕事で残した功績を知れば
彼がどれほどの精神力の強さを持ち合わせているか
知ることができる。

ツインレイという関係性を進めていくことは
強くなければ進めていけない。

ツインレイと出逢う意味は
お互いに成長するため、なんだと理解できる。

自分が一番苦手とするものに対峙して。

私の不可解な思考と行動が
紐解けてきています。

離婚についても
時間は要しましたが
協議離婚で揉めることなく
双方の話し合いで終わりました。

きっとこの行動も不可解に思われるでしょう。
離婚届は一緒に出しました。
私なりにその人への感謝をこめて。
今世だけでなく
その人とも縁あり長くともに生きてきた。
その人自身にも無意識下で
私を手放すようにと知らされていたのかもしれません。
子どもが高校卒業するまで頑張ると心に決めていても
そのことを忘れてしまうことがあり
決して嫌なことばかりでもなく
幸せな時間もあった。
離れたくても離れられなかった関係性。
今世は関係性を終わらせる機会を与えられた。
しかも自分の力で。 

彼とのこの先の未来を望めば
私は乗り越えなくてはいけなかった。

怖がって何もできない自分に打ち勝つしかない。
乗り越えたところで
彼が受容れてくれるかもわからない。
ひとり生きていくことになったとしても
その選択したことに悔いが残らないのか。
怖かった。
まだ依存が残っていた。
そのうち。
ひとりになったとしても
自分の選択に悔いない、と思えた。
覚悟ができた。

今も自分のした選択に悔いありません。
この選択をしてよかった、と感じています。

私が私を生きてる、と実感できている。
今、という時間軸を
私が精一杯生きている。
それが嬉しい。

人として生まれ
本当に様々な感情を知った。
どれが一番かは優越つけられないほどに
私はたくさんのことを学んだ。
 
自分のことがわからないながら
闇雲に心隠したあの時の私は、もういない。
深く傷ついていた私を受容れられた。

"ここ"で自分の心を打ち明けられるようになった。
大きな成長。

自分が何者であったとしても
自分が何者でもなくても
私という人は、私しかいない。

私は遥かに長い時間をかけて
自分を知る旅をしているように感じた。

婚姻関係を解消したことで
浮上した母との関係も整理できた。

彼との現実が動かないことをどうにかしようとするより
自分の現実を動かしていく方が
上手く物事が動いていくこともわかった。

不思議なほどスムーズに。
抗うほどに反発し摩擦が増え
対峙する物事が増えていく。

ツインレイという関係性は
それだけ徹底的に自分と向き合う。

ツインレイとしてとか関係なく
彼という人への信頼、
私自身への信頼がある。

彼の周りには彼を慕う女性がいるでしょうし
私より綺麗な人もたくさんいる。
だけど、気にならない。
彼の心は動かないとわかり
私には自分に価値がある、と信じられているから。

彼の心が揺るぎない。
私の心が揺るがない。

逢えない時間を過ごし
たどり着いた今がとても充実しています。

私なりの彼への”愛”は
私が私を大切にすること
想いを言葉にすることと
それらを行動することでしか示せません。

この先も行動で示していく愛を
人生の時間を使って体現していきたい。

私の心を"ここ"で伝えていくこと。
今の私だから、できました。

すべての出逢いがあったおかげです。
成長する機会をもらいました。
心から感謝です。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?