余白で伝える文章を
このゴールデンウィークは車で県内をたくさん走った。
会津へ、いわきへ、福島市へ。
2人の子どもをのせて。
高速道路は山の間を縫うように走る。
気づけば山は新緑で、可愛らしいモコモコとしたフォルムになっていた。
たまに現れる山間の集落は、水を張ったばかりの田んぼがキラキラと光っている。
会津の山々はまだ冠雪していた。
遊び疲れて眠ってしまった子どもたちを乗せた夕暮れ。
子どもたちの寝息を聞きながら、日暮れが近づく山々を走る。
夕焼けを背から浴びた山の稜線が美しい。
茜色の空を背景に、くっきりと浮かび上がる、山の色。
その色を表す色の名前を私は知らない。
名前の知らないその色に、ただただ心を奪われる。
秋は夕暮れというけども、夕暮れはいつだって美しいのだ。
思わずため息が漏れてしまうほど美しい景色を、最近いつも携えている一眼レフで撮りたいのだけど、運転中にそれは叶わない。
だからせめてその景色を目に焼き付けて、それを表現する言葉を探すけど、結局見つからないまま、この文章を書いている。
見たものを見たまんま伝えられればいいのに、と思う。
同時に、見たまま伝えられない余白を、想像で埋める尊さを感じる。
文章には物事を伝える強さもあり、余白を楽しむ柔らかさもある。
むしろ、本当に心に届く事がらは、文章の余白にあるような気もする。
はるか昔に綴られた「春はあけぼの」が今に至るまで愛されているように、文章の美しさは色褪せない。
だから私は、書くことが好きなのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?