無邪気な笑顔と手をつなぐ、親の心は生きていますか
たくさんの人に助けられて生きているな、と感じる。
姉、母、父。
保育園、会社。
児童館の方、立ち寄ったお店の方、通りすがりの方。
たくさんの人に支えられて、子育てができている。
昨日の仕事終わり、子ども食堂に行った。
月に1回の私たち親子の楽しみ。
主催者の方は料理人で、本当に美味しいご飯が食べられる。
昨日は、子どもたちにスライム作り体験、そして親には整体師による無料マッサージまでしてくれた。
マッサージを受けながら、楽しそうにスライムを作る子どもたちをみて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
この子ども食堂は主催者のお兄さんが個人ではじめて、ボランティアスタッフさんと共に開催しているそう。
「どうしてここを開いてくれているんですか?」
若く見えるお兄さんに、素朴な疑問を投げかけた。
お兄さんは少しずつ、自分の経験を話してくれた。
いつもニコニコと物腰柔らかなお兄さんだけど、大変な苦労をしてきたことが感じられる話だった。
「だから、子育てしている親が安心できる場所をつくりたくて」
そのお兄さんの言葉に、胸がじんとなった。
子ども食堂は各地で開かれていて、その目的はさまざま。
「孤食の子どもを減らしたい」「貧困世帯の支援」「家族で食卓を囲んでほしい」
など、その方針は団体によって異なる。
しかし、多くの団体に共通しているのは、「子どものための」子ども食堂であるということ。
当然の話だ。子ども食堂なんだから。
だけどお兄さんは、子どものためはもちろんだけど、それ以上に「親のため」に子ども食堂を開いてくれているという気持ちが伝わってきた。
だから、率先して子どもたちと遊んでくれるし、プロのマッサージも受けさせてくれる。一つ一つのテーブルをまわって、子どもと、親とコミュニケーションをとってくれる。
それがありがたい。
子どもは大事。だけど親だって、大事にされたいのだ。
お兄さんの子ども食堂にいくと、心が緩む。
緩んだ心で子どもたちと接すると、子どもたちがうれしそうに笑う。
これはある一つの、「正解」なんだと思う。
帰宅後、食事の写真とともに「ありがとうございました」とメッセージを送った。
「いつも頑張っていると思うのであまり無理をしないようにしてくださいね!」
と返ってきた。
頑張ってきた人の言葉だ。
子どもたちを愛している。
覚悟のうえで生んだ。覚悟のうえでここにきた。
だけど、それでも。
声に出せない「なんで?」は、時にわたしをひどく蝕む。
その「なんで?」の辛さは、のぞき込んではいけない深い穴。
穴から湧き出る闇に足を取られそうになったとき、私を救うのは、たくさんの人たちとの関わり。
健やかに笑う子どもと手をつなぐ私の、蝕まれた心が緩む、安心できる人や場所。
お兄さんのこども食堂は、そんな場所だ。
いつか、私の「なんで?」が私のもとを去ったとき、私を助けてくれたたくさんの人たちのように、私もだれかを助けたい。
可愛い子どもと手をつなぎ、心で泣いている親を、大事にできるような何かをしたい。
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