図書館の記憶
小さい頃から本が好きだった。いつからかは覚えていない。
1番昔の本の記憶は、就寝前のベッドの上で、母親に甘えてくっつきながら絵本を読んでもらったあどけない記憶。
本をこよなく愛する私にとって、図書館は楽園のような場所だった。
いつの記憶が定かではないが、きっとうんと幼い頃、車にのって時計塔のある大きな図書館が見えた時のワクワクした気持ち。地元の小さな分館には親友と歩いて何度も訪れた。学校にいっていなかった時期には、母が市で1番大きな図書館にしょっちゅう連れて行ってくれた。
中学生の頃、15分休みになると足を運ぶのは図書室。読みたい本を全て読んでしまったから、本棚の"あ行"の最初から順に借りて読んでいった。そこで出会った有川浩は今でも大好きな作家の1人だ。
高校の頃、女子同士でグループを作って昼食を食べる時間が苦痛になり、ひとり図書室に足を運んで勉強をした。ある日、「いっしょにいく」と言ってついてきて、2人で勉強するようになった女の子は今でも親友だ。
大学受験の勉強も市立の図書館で励んだ。
老若男女、たくさん人がいるのに静かな空間。その心地よさは昼夜勉強に明け暮れる私の心を癒した。
大学の図書館も最高だった。
嗜好本こそないものの、参考文献の宝庫。板で仕切られた個別ブースがあるのもお気に入り。
レポートやテスト勉強に忙しい週末は、9時の開館に合わせて足を運んだ。ハンドルを回して本棚を動かす書庫はワクワクした。
図書館という場所とともに生きてきた私だが、妊娠し子どもが生まれて、本を読もうとした矢先に子どもに呼ばれるフラストレーションから活字からも遠ざかっていた。
図書館など行く余裕もないし、行ったところでゆっくり過ごすことなどできやしない。
が、そんな私から生まれた長男は、絵本をこよなく愛する子だった。
0歳の頃から簡単な本を読み聞かせ、反応こそないがよく聞いてくれた。
初めてできたお気に入りの本は「ぱんぱんでんしゃ」。
次男が新生児の頃の早朝、ソファーで寝落ちする私のところにその本を持ってきて、何度も何度も読んでくれと催促をした。当時1歳2ヶ月、まだ歩いてもいない。
それから、「もいもい」「しまじろうシリーズ」「おはようはたらくくるまたち」。お気に入りの本は毎日毎日なんどでも読んだ。こちらが終わりにしない限り、彼の「もっかい!」は続いた。私は文章を暗記してしまった本が悠に10冊はある。
本が好きなのは彼の長所だ。
何度も読んだ本の内容は覚えていて、ひらがなが読めないのに次男に読み聞かせたりする。そしてなにより、集中力がある。3歳目前のいま、対象年齢4ー5歳の絵本も集中して最後まで読める。
こんなに絵本が好きな子は珍しいですよ、と保育園の先生や児童館のスタッフさんにも言われた。
そんな子どもの良いところを潰しちゃいかんと、最近近くの図書館に通いはじめた。利用カードの履歴によると、実に3年半ぶりの図書館だ。
自分の好きな本をゆっくり選ぶ時間も、読む時間も当然ない。
でも子どもは喜んで、あっちこっち手当たり次第に本を持ってくる。
簡単な本だったり、難しすぎる本だったり。
何冊か一緒に読んで、それから借りる本を選ぶ。家に帰って、寝る前に借りてきた本を読む。自分で選んだ本はお気に入りで、1週間毎日読むのだ。
その流れがとても好きだ。
そしてそれは、図書館があったからだ。
幼い頃母と連れていってもらった図書館は、親友と2人で出かける場所になり、1人で心落ち着かせる場所になり、そしていま、子どもと心通わせる場所になった。
図書館が彼にとって身近な場所になればいい。
絵本が好きなのは今だけで、本なんて読まない国語が苦手な少年になるかもしれない。それでもいい。
身の回りに、気楽に足を運べる場所は、ひとつでも多いほうがいいのだ。
こんなにも幼い頃からひとつの物事に集中できるという彼の長所は、もしかしたらこの先の人生で生きにくさを生むこともあるかもしれない。
そんなときに立ち寄れる逃げ場のひとつになるかもしれないから。
だから、わたしにできることは、図書館に愛着を持ち気軽に足を向けることができるような、人生のベースの一部分をつくること。
そのリターンにわたしは彼らとの幸せな思い出をまた1つもらうのだ。
本がわたしたちを繋げる。
親から私へ、私から子へ。
そしてわたしはまた、図書館の記憶を積み重ねる。このさきわたしは図書館で、どんな時間を過ごすのか。
私の子どもたちは、どんな時間を過ごすのか。
どうかわたしと同じように、私の子どもたちの温かい時間を図書館が守ってくれますように。
願いを込めて、今夜も絵本をよみきかせる。
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