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センバツに沸く

前の記事でも書いたとおり、高校時代は野球部に所属していた。

決して強いとは言えないチームだったのだが、日本中の高校野球部の例に漏れず、甲子園を目標に練習に励んでいた。

阪神甲子園球場。
日本中の高校球児にとって、夢の舞台。

そもそも、野球は幼い頃から好きだったわけではない。
小学校から大学まで野球をしていた父はテレビでよくプロ野球を観ていたが、ルールもわからず面白さは感じられなかった。

初めて野球の試合を最初から最後まで観たのは、忘れもしない2010年春のセンバツ決勝戦。
東京日大三高と沖縄興南高校の試合だ。

3歳年上の姉はわたしより先に高校野球のマネージャーをしていて、センバツの試合を観ながらひたすらスコアをつけていたのだ。

そんなわけで常にセンバツが流れている我が家であったのだが、わたしの方は特に興味ももてず、たまたま決勝戦だけを横目で眺めていた。

試合の内容ははっきりとは覚えていないのだが、かなりの接戦で、最初は横目で見ていたわたしも、ルールがわからないながら徐々に食い入るように観るようになった。

以下、曖昧な記憶で記載するため事実と異なる部分があるかもしれないことをご了承ください。

試合は攻守拮抗し、5対5の同点のまま9回を迎える。
9回表の興南高校の攻撃を無失点で抑えた日大三高は、士気を奮って9回裏の攻撃に挑む。

打線が続き、2アウトフルカウントで、満塁。
一本打てば三塁ランナーがホームに帰り、さよならの場面。

ドキドキしながら見守った。
どちらを応援していたわけでもないけど、テレビの前で手に汗を握っている自分がいた。

勝敗を分ける重要な局面で、代打が出たと思う。
初めて向き合う打者に対し、島袋投手が投球する。

そして、バットがボールを捉える。
いいバッティング!
長打に備えて後ろで守備をしていたレフトの手前にスピードのある打球が向かう。レフト前ヒットを確信させるような打球だ。
日大三高側の会場が沸き、サヨナラのランナーがホームを目指す。

が、そこで、サードが高くジャンプし、ボールを捕らえたのだ。
打球の速度は速く、誰しもヒットを予測した中、サードの咄嗟の判断と運動神経が好守備を実現した。

捕ったー!!!
右手を高く振り上げるサードの笑顔が目に焼き付いている。

沖縄興南高校のスタンドは大いに沸いた。
沖縄特有の指笛が鳴り響き、会場全体が興奮に包まれた。

そこから会場全体として、流れが変わったと思う。
延長12回表、日大三高は小さなミスが続き一挙に5点を失点する。
対する興南高校ら、12回裏の日大打線を三者凡退におさえ、春のセンバツの優勝校として君臨した。

何もルールを知らないわたしだったが、とても興奮した。
まだ10代の高校生が大きな球場で堂々とプレーすること、一人一人のプレーがたくさんの人の心を動かすこと、そして勝利は、チームの強さだけではなく、甲子園球場によって導かれるということ。

わたしの心は甲子園にとらわれた。

その後、高校に入学したわたしは野球部の一員として甲子園出場を目指すことになる。
もちろん本当に出場できたことなんてないのだけど、1年生の春のセンバツは、部活動の一環として甲子園球場まで観戦に行った。
その日はちょうど、21世紀枠として同じ県内のいわき海洋高校が出場する日でもあった。

バッターボックス裏の客席で、甲子園球場でプレーする、同じ県に住む同い年の球児を羨望の眼差しで見つめた。

そして今年の選抜は、同じく21世紀枠として福島県の学法石川高校が出場する。
久しぶりにセンバツの入場行進をテレビでみた。
見慣れた学石のユニフォームを着た球児たちが甲子園球場を闊歩する姿を見て、応援する気持ちに加え、羨ましいなぁという気持ちが湧いてきた。

甲子園球場の土の上は、今でもわたしの憧れの場所だ。

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