放蕩息子の「兄」から学ぶ
もっとも有名であろう聖書のたとえ話「放蕩息子」
先日聞いた放蕩息子のたとえ話からのメッセージが、自分の過去についてすごく考えさせられるものだったので、証も含めここでシェアしようと思う。
※放蕩息子の話はルカの福音書15章11節〜32節より。この記事を読みながら一緒に読んでもらえるとより楽しめるはず。
放蕩息子といえば、文字通り「放蕩した息子」の話であり、弟サイドにフォーカスされがちなメッセージである。しかし人によっては弟ではなく兄に賛同する人も多いのではないだろうか。この点については以前からたびたび学ばれていた内容であり、私自身「そうだそうだ」と思っていた。
私は昔からいわゆる《優等生》だった。事実私は姉で、自分の好きなように自由に生きているのはどちらかと言えば妹の方だった。
放蕩したことも、親に反抗したこともない。(心の中では反発したことは大いにある。)
だから私は弟よりは兄の気持ちがわかるなぁと思っていたのだ。そりゃ遊んで帰ってきた弟のためにパーティをひらくなんて怒るだろうと。
しかし、今回学ばれた内容は、さらに兄の心境に焦点を当てたものだった。このたとえ話のひとつひとつのシーンにおいて、兄はこれらをどう見ていたのだろうかとあらためて考えてみると、私のこれまでの人生とあまりにも重なり過ぎていて心からアーメンと言わざるを得なかった。
昔からうちの両親(というよりは母)は妹に甘かった。
私は両親が言う通り、そのレールに従って生きてきたが、妹はそのレールをことごとく無視して生きていた。妹がこれがほしいあれがやりたいと言う時、なんだかんだ言いながら最終的にはそれが叶うことが多かったように思う。そして私はそんな両親に思うところが様々にありながらも、それを静観して生きてきた。私は私なのだから構う必要はないと。
そうした結果、妹はたいそうわがままに育ってしまった。年々それに苦労するようになっていった母は私に言うのだ。「もう、、本当にあの子はどうしたらいいのかしら。」
ほら言わんこっちゃない。
そんな妹を育てたのは他でもないあなたたちだ。
きっとこの兄もそのような気持ちで黙って見ていたのではないだろうか。
そして放蕩した弟が帰ってきた。
今まで私が一度も両親や妹を咎めなかったのは、最終的に困ることになるのが彼らであると思っていたからである。両親が妹に困れば、私のありがたみに気がつくことになるだろう。妹は社会ではそのわがままが通用しないことに気がつくと苦労するだろう。
妹が両親にそれだけの苦労をかけても、変わらず妹にばかり甘い対応をする両親が私は嫌で嫌で仕方なかった。どう考えたって私の方が良い子で役に立つのに。なんで私の方は見向きもしてくれないんだと。
妹がどうとかは私にとってはどうでもいいことだった。私はただ両親から愛されたかったのだ。
この兄もきっとそうだったはずだ。《遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると》とあるが、弟が遊女と遊んでいたと断言しているのは、おそらく弟が家にいた頃からその気があったのだろう。そして「弟」ではなく「あなたの息子」と言うところに、苛立ちの矛先があくまでも弟ではなく、父であることが理解できる。
兄は弟に対しては直接一言も責めていないのだから。
私は今まで両親に感謝をしたことがあっただろうか。何不自由なく与えられていた衣食住、進学にかかる金銭。あたりまえのものではないのに、まるでこれらをあたりまえだと思っていたのではないだろうか。
確かに妹は自由に好き勝手生きてきた。
しかし私は両親の言う通りに生きて何か不自由があったのだろうか。いやむしろ社会で今生きやすいのは間違いなく両親のおかげである。
それをあたかも自分が自分の力で獲得できたかのように思い、さらには妹に嫉妬するとは、なんて私は愚かなんだろうか。それどころか妹の方がよほど両親に感謝しているではないかと。
そもそも私は妹のように何か両親に求めたことがあったのだろうか。「きっと言うこと聞いておけば私は愛してもらえる」それは何より私自身が選択したことではなかっただろうか。
この兄だって、「子山羊が1匹食べたいです」と一度でもお願いしたことはあったのだろうか。この父は頼めばきっと喜んで与えてくれただろう。自己中心的な思いで生きていたのは兄の方なのではないだろうか。父が言うように「あなたの弟」でもあるのに、兄は家族を愛することさえもできなかったのだから。
今まで私は「恵み」というものをなんとなくふって湧いてくるようなイメージでいたのだと思う。
でも実は恵みというものは、今すでに手中にあるもので、それに気がついて感謝できるようになった時はじめてそれを恵みとして認知できるようになるというものなのかもしれない。
そんなことを思わされた学びでした。
はなよめ
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