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入梅

雫の重たい、雨が降っている。

昨日、掴んだっ、と確かに思った最も美しかった瞬間
風の通る家で、涙が出るような、あぁ今ならわたしは何だってできる、そんな心からの悦びに近いものが迫ってきてそれをことばにしないよう、しないよう必死に守ったあの瞬間と、同じ音楽をかけている。その音は、驚く程に雨の音にかき消されていた。いや、かきけされてなんかいなかったかもしれない。美しく調和していたかもしれなかったその音を、わたしがそういう風に、聞いていただけかもしれない。


とある大好きな小説家に憧れて、壮大なロマンチスト発言を、惜しみなくするようにしている。
人はこのために生まれてきた!とか、今日も幸せでたまらない!とか。自然がなければ生きてはいけない、とか、いい風や光を、いい風や光だ、と言葉にするとか。

誰かに必ず否定されうる根拠の無い意見を堂々と言えるあの感じ、贅沢でかっこいいし、自分はなにを気にして言葉を発しているのだろうと思う。くだらないことを考えることはやめて、私もそう在りたい。


昨日は、間違いなくいい日だった。
おとといも、その前の日も。
悲しいことや、胸を締付けることから逃れたわけでも、自ら逃げたわけでもなかったはずだが、それでも先月の自分とは違っていた。

わたしは家にいる時間を増やした。仕事も家で出来るものを増やし、日々、過剰にキッチンに立っている。掃除は、毎日掃除機の充電が切れるまで丁寧に、かけている。

一昨日、人生で初めて、煙草を吸った。

ベランダで手作りのご飯を食べた後、片付けをする前
一緒に夕飯を済ませたふたりが吸っている煙が、やけに羨ましく思えた。煙草なんて、とどこかで思っていた。喫煙所に集う人々の顔を見る度、私がそこに混じることは人生かけてもないだろうと思う。シチュエーションに酔うために吸う人の気持ちなら、お酒を飲むからなんとなく、分かるので否定的でもないのだが。

しかしこの日は羨ましかった。
わたしはお願いして、1本もらって、はじめて火をつけて息を吸った。一息で、ゴホゴホおえぇ、っとなる自分を想像していたが、最後まで、普通に吸えていた。

そんなわたしを見た彼が、嬉しそうに巻きタバコを巻いてくれた。わたしはもう一本、火をつけた。



次の日は昨日、近くのワイン屋さんで巻きタバコのフィルターと草を買った。濃い藍色の花柄ワンピースと、赤いカバンにした。

いつもよく話をしてくれるお父さんお母さんのやっている店。店の煙草コーナーでは、海外からやってきたであろうそのくしゃくしゃのビジュアルと、甘苦いバニラの香り。彼はお父さんと絵の話をし、わたしはお母さんと店頭の紫陽花の話をし、友人たちは買った煙草を早速吸っている。来ると必ず入れてもらうセラーは木の堪らない香りがする。ジャケットで選んだワインを、レジの煙草の横に並べた。


そのまま、すぐ近くのホームセンターへ向かった。
家庭菜園を、はじめるためだ。欧州にいそうな少し病んだ少女っぽい自分の見た目は、その格好をそのままに、裕福な家庭にいそうな婦人っぽさを放っている。対極のようであり、同じように思えた。いずれも幻想であり、ただのいつもの普通のわたしである。オクラとバジルの苗と、ルッコラの種を手に入れた。


家に帰って1本、煙草を巻いて吸ってみた。お洒落な服装に似合わない不格好な吸い方だった。シャボン玉みたい、と友人が言った。昨日の夜より味がして、苦かった。肺が変に痛くて、わたしは歯を磨いた。もう、しばらく巻かないだろう。


ワンピースをぬいで、Tシャツにカーゴパンツをはいた。土とプランターを抱えて、煙の匂いのする庭へ戻る。一人、黙々と植物たちを植えた。話しかけ、水をたっぷりとやり、顔を蚊に刺された。


昨日もやっぱり最高にいい日だった。

そして今日は、あまりよくない日だった。


嘘は無い。喧嘩もない。きっとひとりでもない。
食べ物も、音楽も、ここにある。でも、沢山泣いて怖くて震えている。寂しくて堪らない。帰ってきてほしい。誰かに、そばにいてほしい。未来のことなんて考えたくもない。自分のえらぶひとつひとつが、誰のためなのか分からない。明日も明後日も、雨な気がしている。

起きたことは、ここに並べなくとも、わたしには聞いてくれる人がいた。充分だ。雨は雨でも 今日は雨の音が聞こえているのだ。花瓶の中のトルコキキョウは、枯れてしまったけれど花びらを落とすことも茎が折れ切ってことも無く、美しい曲線で下を向いている。



今日も最高にいい一日だ!と、何度も大声で叫んだ昨日や一昨日が懐かしい。ケニー・Gは、それをちゃんと、お風呂あがりのわたしに思い出させてくれた。

わたしはまだ、大丈夫そうだ。


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