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【警察エッセイ】正義の見方

ハイどうもぉ。
皆さんの心の中の道路の神様。
元警察官の花山烏一はなやまけいいちです。

皆さん、交通ルールは守っていますかい?

『てめぇの記事を読み始めてからちゃんと守る様になったぞ、この野郎。』というツッコミは置いておいて、世の中には『え!?それも違反なんですか!?』って思わず言ってしまう様な違反があるんよね。とは言っても、警察官だっていつも違反ばかり見ているワケじゃないし、実際の所、形骸化している様な違反もあったりとかなかったりとか。

元警察官が言う様な事じゃないけども、交通ルールをガチガチに守るのは大切だという事を前提に、ある程度は道路上の流れに沿った運転が必要だとも思うんよね。

例えば、だけども60km/h出せる一本道があったとして、そこを20〜30km/hぐらいで走るのは違反ではないけども、そこに後続車を思いやる愛はあるんかいと花山は思うんよ。   

他にも、別記事で書いた事があるんだけども、『ありがとう』での意味のクラクションとか、道を譲ってくれた時のハザードランプとかは、ハザードランプは違反じゃないけどクラクションは厳密には違反であるんよ。

そんなこんなで、道路上における正義ってのは皆さんの中にもあると思うんよね。

そんな事について、元警察官である花山は何を思うのかってのが今回のハナシ。


■正義は見る方向で変わる

『嘘付くんじゃねぇよ花山。』と思われるかもしれないけども、警察官時代の花山はプライベートでも、まぁまぁガチガチに交通ルールを守っていたんよね。警察官の中には、プライベートだと横着な運転をする人もいたりして、意外と交通事故を起こしたり、交通違反をしたりするのね。

事故や違反をすると、すこぶる面倒くさいという理由があったから花山は最安全運転を心掛けていたんだけども、今はどうかと言うと、正直、ちょっとだだくさになってる。と言っても、バカみたいな運転はしないし、目も当てられない様な運転はしてないんよ。

コレについては、『花山のバカ。信じていたのにもう知らない。』と言われても仕方ないんだけども、一つ言い訳をするのであれば警察官という立場ではなくなったからなんよね。

立場が人間を作るというか、事故や違反をやらかしたら面倒くさいってのもあるんだけども、何より自分の中で何ともやるせない感情が生まれるからだと思うんよ。プライベートだろうが、警察官である事に変わりはしないから、常に自分の頭の中には『自分は警察官』というのがあるし、警察官として事故や違反は正義に反するのね。

一方で、言葉を選ばず言うと、警察官みたいな仕事じゃないと、違犯や事故に対する正義って持ちにくいと思うんよ。中には、実体験で自分なりの正義を持つ人もいるだろうけども、警察官みたいに仕事として正義を植え付けられるって事は少いと思うのよ。

だから、どんだけ規制を強めようが違反はこの世界からなくならないし、あおり運転も平気でやっちゃうんよね。その人達からすれば、いかに早く目的地に着くのかが正義であるし、自分の運転に酔いしれる事が正義であるんよね。

正義だから何でも理解を示さないといけないってワケじゃないけども、あまりにも自分の正義にのめり込んでしまうと見えなきゃいけないモノも見えないのかもしれないね。

■まとめ

正義は立場で変わるとはよく言うけども、それを対等に具現化したのが法律なんよね。

法治国家の日本にとっては、法律のおかげで生活が守られているし、何をやったらダメでどこまでやっていいかが分かるおかげで、不当に罰せられる事が少いんだけども、そんな法律でさえ時代と共に変わっていかないといけないんよね。

もしも今現在、視野が狭まってるなと感じられる様な人がいたら、色んな正義に触れるのもアリなのかもしれないよね。

今回は以上となります。
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