絵を飾るとは
絵画を買った。ずいぶん前から、部屋に飾る絵が欲しいと思っていた。一度、ウォーホルのマリリン・モンローを購入したが、家に飾る段になって手放したことがある。手放した理由は色々あるのだが、一つに、部屋に置くには主張が強すぎた、というのがあった。
YOU ARE WHAT YOU EAT. という言葉がある。それに影響されたわけではないが、YOUR MIND IS WHAT YOU HAVE SEEN. 「心は、今まで見てきたもので作られている」という気がしている。
日々の生活の中では現実的な問題や課題に意識が集中して、自分自身のコンパスが埃をかぶってしまうことがないだろうか。私のコンパスは動いたのがいつだが思い出せないほど、深く埃をかぶっていた。だから、家の中に、自分の心のコンパスを動かすような何かが欲しいと思っていた。それが絵なのではないかという気がしていた。そんな変化を与えるような絵なのだから、目に止まるものでなければならない。だけど、部屋を侵略するほどの主張があっては飲み込まれてしまう。同時に、自分だけでなく他人が見ても不快ではないものであってほしい。これはなかなか難しくて、主張があるけど悪目立ちしないという、一見相反する特徴を両立する必要がある。
それから5年以上経って、町で開かれていたアートフェスティバルでtuku.mo氏の絵に出会った。色がきれいで、心がふわっとする。見ていると、シンボリックに描かれているわけではないのに、風や音や建築や心の揺らめきや鼓動、いろいろなものが自分の体の中に浮かび上がってくる。人は生き物であるという点でいえば、感覚を絵で想起させることはある意味で簡単ではあるが(刺激に対して何かしらの反応が起こらざるを得ない)、優しくて温かい感覚を想起させることは難しいのではないか。
かくして、私のファーストアートのお迎えが決まった。家に帰り、いそいそとtuku.moさんから購入した絵を、引っ越してこの方ほとんど使われていなかったピクチャーレールに飾ると、部屋の空気が一変した。それまで家にいてもなんだか落ち着かなかったのに、急に「自分の場所」という感覚がした。家に一人でいると孤独を感じていたのが、一人ではなくなった感覚。ここは安全な場所であるという感覚。飾った絵は、私の目を引きながら、部屋と協力しあって、この場所をよりよい場所に変えてくれた。
自分に合う絵を探す旅が思ったより長くなってしまったが、待った甲斐があった。アートを置くことが、思ったよりも多くを自分にもたらした。いや、自分にもたらしたというより、自分をささえてくれる感覚。コンパスが動いて、迷子にならず、行先を決めていけるような、あるいは、焦らず、自分の場所がわかり、その場にとどまっていられるような。
自分でアートを選ぶことは、自分に一番必要なものを選べるということ。そんなことが可能になるのがtuku.moさんの絵だと思う。色々な人が、違う絵で、きっと同じように自分に必要な支えやひらめきや寄り添いを、tuku.moさんの絵から得ることができるのだろうと思う。
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