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景色の価値vol.2

 朝7時半ちょうどに目覚めて、気分でいつもより丁寧に化粧をし、おかげで時間が無くなったのでバナナ片手に家を出た。少し肌寒かったが、夏が芽吹いていることを知らせているような太陽をみて複雑な気持ちになった。働くもの、学ぶものたちと足音を鳴らしながら駅へ向かった。それらの音で、彼ら各々の気分が伝わってくるような気がした。

 電車に乗り込むとほとんどの人が顔を下げていた。親指を上へ上へと必死になっている。しばらくすると、いつもの川がみえてきた。水面が私たちを歓迎するみたく、輝いているじゃないか。この小さな感動を分かち合えそうな人は1人もいなかった。光る板なんていつでもみれるのに、日々移り変わる景色に誰も目を向けようとはしなかった。

 景色の何が面白いのか?それは当に人それぞれの価値観によるものではあるが、人々の活きた証を見出すことができるものだと私は考える。この写真はそれを顕著に表している。

大阪散歩途中に見つけた家(?)の跡

 私はついこのようなものを見つけると、そこにあった暮らし、日常を想像してしまう。

 いつかの記事でも同様のことは述べたが、景色は観る者がいて成り立つものである。車窓からの景色は写真に収めることは少し難しい。だが、それらは「こっちを見て。」と言わんばかりに乗客に視線を向けていたりするので、ついついシャッターを切りたくなる。電車がゆっくり動けばなぁと不意に思うことがあるくらいだ。

 いつでもみれる保存版の画面より、その時その一瞬を観察するほうが人間らしくないかな。

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