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地獄の強歩大会<前編> ~やる気スイッチは突然に~

中学二年の冬に、40キロ歩行という行事があった。
40キロを夜通し歩いてゴールを目指そう、というものだ。

私が通っていた中学では、強歩大会ではなく別の呼び方をしていたが、強歩大会という言い方のほうがわかりやすいので、ここではそう呼ぶことにしよう。

クラスで4人で1組の班をつくり、班で一緒にゴールを目指す。順位は一応、競うのだが、目的は完歩。

二年生全員が体育館に集められ、学年主任の先生からそんな話を聞かされたのは、強歩大会の何か月か前のこと。
正直、めちゃくちゃ面倒だな、休もうかな、と思っていた。

しかし、うちの母は「体調不良じゃなければ何があっても学校に行け」というタイプだし、小学校の頃に散々、心配をかけたのでなるべく元気に学校に行っているフリをしていた。

だけど、40キロ歩くとか正気の沙汰じゃない。
中学への通学の片道2キロだって歩いてて遠いのに……。

だるいなーと思いつつ、適当に参加するか、と思っていたら担任教師に呼びだされた。
なんだろうと思ったら、職員室に呼び出した先生は心配そうな顔でこう言ったのだ。

「強歩大会、参加するんだな。でも、辛くなったらいつでも車に乗りなさい」

強歩大会は、途中で気分が悪くなったり、心が折れたりした生徒を先生が車に乗せ、ゴールまで車に乗せていってくれるらしい。

担任教師が私にわざわざそんなことを言ったのは、私の持病を心配してくれたからだろう。

私は小学校高学年ぐらいから中学一年まで、歩くことが困難だった時期がある。
持病の影響だ。
中学一年の終わりか二年ぐらいに、とある事情で歩行能力が回復した。
思い込みが強いこともあり、ぐんぐん回復していき、昔のように歩けるようになったのは、中学二年生を過ぎてからである。

持病の影響でできないこと(というか今までできていたことが突然できなくなる)はいくつかあるのだけど、普段通りに歩けるようになったのはうれしかった。回復してからまったく問題なく、むしろ歩くことが困難であったことは忘れていたほどだ。

まあ、そんなことは置いておいて。

私としては、今は前のように普通に歩けているから、車に乗ろうとは思ってはいなかった。
だるいな、とは思っていたけれど。

そして、担任教師がやる前から「車移動」という私にとってのパワーワードを出してきたことにより、私のやる気に火がついた。

絶対に車乗らない!
完歩する!

担任教師は、私を心配しての発言である。
大人の配慮である。

でも、当時の私は中学二年生。
いわゆる中二病の真っ盛りであった。
大人の言う事をまともに聞かないどころか、反抗したくなるお年頃だ。

強歩大会前日、二年生は午前中授業で家に帰される。
早めに食事を済ませ、夕方5時頃に寝ろ、と強歩の心得みたいな紙には書いてあった。
出発は深夜2時。
バスで、少し離れた海沿いの町まで行き、そこから大会スタートである。

家に帰って目覚まし時計をかけながら、「こんな時間に寝れないよー」とか言いながら、すぐに寝た記憶がある。

学校まで母に車で送ってもらい、夜の学校に到着。
グラウンドには何台もバスが停車していた。
他のクラスメイトも両親に車で送ってもらっていて、辺りは車と生徒で賑やかだ。

バスで30、40分ほど離れた町へ向かい、先生の何かしらの話を聞いて、午前3時近くに、とうとう大会がスタートした。

後編はこちら↓


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