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高校一年生、地獄の合宿。

高校の入学式から1週間もしないうちに、合宿があった。
1年生全員強制参加の合宿である。

実は私の通っていた高校は、ほぼ女子校。
2割くらいは男子がいたのだが、クラスは別、校舎も別。
おまけに合宿は日にちがズレていた。
運動会と文化祭が男女唯一いっしょ。
それ以外の男女の交流は0に等しい。

そんなこんなで、まだクラスの顔も覚えていない状態で合宿て……。
しかも3泊4日もなにするんだよ。

携帯電話やお菓子などを持ってくるのは禁止。
娯楽禁止。
絶対楽しくないやつじゃん、とクラスメイトたちとぶちぶちいい合っていた。

合宿の施設は、中学一年生の頃にオリエンテーション(1泊2日)をした場所と同じ。
あの時は楽しかったが、今回はみんなテンションが低い。
だって、合宿のしおりの内容を見るに、楽しくないやつだ、これ。

1日目
午前中は山登り(低い山)
午後は体育の授業(なぜだ)

2日目
午前中は校歌の練習(?!)
午後は体育館でバスケ(また体育かよ!)

3日目
午前中は周辺散策。
午後は合宿所の掃除。

4日目
午前中は合宿所(外)の掃除
午後に帰る。

こんな感じだったと思う。
ぜんぜんワクワクしない……。

合宿所では体操服を着用。
うちの高校は、ゼッケンに苗字と、それぞれ番号があった。

なので合宿中は、番号で呼ばれる。
番号の方がデカデカと書かれてあるからだと思う。
なんかもう気分は囚人。

食事中の私語は禁止。
というか基本的に死語禁止。
他の班の部屋に入るの禁止(こっそり入ってたけど)
テレビや漫画、小説、ゲーム禁止。

合宿という名の嫌がらせのようだった。

で、そこで一番偉そう……もとい生徒指導の教師がいた。
それは、近澤先生(仮名)である。

近澤先生は、30歳過ぎの体育教師。
顔が怖く、雰囲気に圧がある。
喋り方も偉そう。

隣のクラスの担任教師で、隣のクラスの子いわく。
入学式が終わった直後、近澤先生はこういったらしい。

「辞めたいなら今のうちだ。やる気がない奴は辞めろ」

ちょっとは入学祝ってよー!

隣のクラスじゃなくて良かった……。
そう思ってしまうほどに、近澤先生は怖いし嫌な先生だった。

そして合宿中に、近澤先生の「嫌な先生」度はどんどん上がってく。

「〇〇(番号)、廊下で私語をするな!」
「消灯時間(九時)は絶対に守れ!」
「班全員の行動が遅い!(その後説教)」

こんな感じだった。
近澤先生はいつも誰かを怒っていた。

体罰や暴言などはないのだけど。
なんというか、嫌な先生だなと私含め周囲が認知していく。

先生という共通の敵を得て、生徒同士の団結力は高まる。
山登りなどは、みんなで励まし合ったり、体育のバスケは運動神経の良い子が積極的に点を入れ、早めに試合を終わらせてくれた(その後は自由時間になるので)

夜はこっそり一部屋に集まり、クラスの女子たちでおしゃべりした。
まだお互いにはじめましての状態。
でも、この時のおしゃべりで距離は縮まっていく。
楽しかったなあ。

この地獄の合宿。
あえて、厳しくしていたんだろうなあと思う。
近澤先生含め、教師が厳しく接し、それにより共通の敵ができる。
そうすると、生徒同士は団結し、仲良くなり、絆ができる。
合宿が終わってから、より接しやすくなる。

……たぶん、そういう魂胆だったんだと思う。

だけど、私もクラスメイトたちもそんなこと分からなかった。
とりあえず嫌なもんは嫌なのだ。
なんでこんな窮屈な生活を強いられねばならないのか。

合宿最終日。
合宿所(外)の掃除をしながら、班の子たちと言い合う。

「あー、今日でようやく帰れるー!」
「長かったね……」
「帰ったらお菓子食べたい」
「私、ポッキー食べたいなあ」
「わかるー」

こんな感じで、和気あいあいと掃除をし、合宿所を後にした。
私たちは、無事に4日を生き延びて家に帰り着いたのだ(大げさ)

合宿から帰って、通常の学校生活に戻った。
やっぱり近澤先生は、怖いし嫌いな先生。
そのイメージはこびりついたままだった。

しかし、このあと。
私は近澤先生に片思いをすることになるとは……。
自分でもまったく予想できなかったのである。

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