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歌詞考察「僕のこと」

こんにちは、好き子です!

今回は

ミセスグリーンアップルさん

僕のこと

の歌詞を
勝手ながら私が考察する内容です。

大ファンの方や、色々とご存知の方からすると
的外れな内容が出てくると思いますが、
一個人の一意見、色々知らない個人が
考察してみることで
こんな風に解釈する人もいるんだ

という感覚で
優しく見ていただけたら嬉しいです。

早速!

始まり

「僕と君とでは何が違う?
おんなじ生き物さ 分かってる
でもね、僕は何かに怯えている
みんなもそうならいいな」

・・・

自分と他人では何が違うかな?
生き物という分け方で言えば
同じ存在。
そして、何かに怯えている。
何かに怯えているのは本能ベースかな?
本来の暮らし方から読み取ってみると
ほか生物の存在に怯えながらに
生きていた過去(自分が生きてからではない細胞レベルの記憶)がある。

おそらく、何かしらに怯えているのはみんな一緒だから、
「みんなもそうならいいな」の共感して欲しいなというところ
そうだよね!をとても柔らかく伝えているような感じ
願望としてそう思っている
そんな一面あるよ。

・・・

次の段落


「がむしゃらに生きて誰が笑う?
悲しみきるには早すぎる
いつも僕は自分に言い聞かせる
明日もあるしね。」

がむしゃらに生きていて笑う人なんかいない。
がむしゃらに生きたっていいじゃない!
がむしゃら肯定派!がむしゃらに行こうぜ!
という投げかけから「悲しみきる」という語。
「悲しみきる」というのは「やりきる」感覚の言葉なのかな。
悲しみきっているのってまだまだ先でいいのでは?
生きているうちは無くていいのでは?くらいの勢いある言葉。
まだまだ早い、そんなに悲しみ疲れたとか
悲しく感じることはもうやり切ったよ。というのは
まだまだそのように言ってしまうのは早すぎる。

そんな風に思うくらい悲しい思いをした時に
いつも自分に伝える言葉は
「明日もある。」
まだ終わりではない。まだ続いていく。
まだまだ自分には「明日」を迎えることができる
そのくらい前向きにいける。と、自分自身で
自分の背中を押して、一歩進んでく。
前向きに。

サビ部分

「ああ なんて素敵な日だ
幸せと思える今日も
夢敗れ挫ける今日も」

「あぁ」と、つい漏れちゃうくらい
素敵な日。一日1日が素敵な日だ。
幸せと思える今日
「幸せ」という時はその時によって違うけれど
例えば、
元気に過ごしている当たり前が崩れずにいる今日
美味しいご飯を食べることができている日
好意のある方と一緒にいれる日(友人・家族・好きな人など)
好きなことができている日(ゲーム・歌うこと・話すことなど)
「夢敗れ挫ける今日も」
一方、夢敗れ挫ける今日もときました。
夢、自分のやりたいこと、達成したいこと
ずっと憧れていたもの、頑張っってきたことが
報われなかったそんな日でも「素敵な日だ」
そんな風に一生懸命に生きてきたことも
前向きに取り組んできたことも
諦めなかった気持ちも
さまざまなことがあった1日1日が素敵な日
そんな体験・悔しい感情・悲しい・怒り・などを
思いっきり感じられるくらいに
心揺さぶられ、真剣に向き合ってきたことがあるって素敵
だから自分の取り組んできたことがたとえ
自分の思うような結果にならなかったとしても
そんな風に大きく突き動かされる感情を抱ける素敵な日だ。

「ああ 諦めず足宛いている
狭い広い世界で
奇跡を唄う」

自分の思うような結果にならなかったとしても
自分のできることは全てやり尽くして
少しでもできる・達成する・勝つ方向に
向けていけるように、取り組む。
がむしゃらに。諦めないでできると思い浮かぶ全てをやってみる
ぶつけてみる。

「狭い広い世界」
狭い広い対照的な言葉を両方使ってそんな世界って?
狭いと思っていても実は広い
広いと思っていても実は狭い
世界ってそんなもんだ。

サビ2

僕らは知っている
空への飛び方も
大人になるにつれ忘れる

「空への飛び方」もなんでも
実は知っている。割と全てのことを。

だけれど、大人になっていくにつれて
どんどんと忘れてしまう。忘れてしまうんだ。
忘れたくないのに、
さまざまな常識と言われたり
当たり前と言われることを
教えてもらい
その代わりに当たり前・常識とは
言われないものは
どんどん忘れていってしまう。


限りある永遠も
治りきらない傷も
全て僕のこと
今日という僕のこと

「限りある永遠」矛盾している言葉です。
死ぬまでは永遠と呼ぼうではないか。
時間は死ぬまで。限りがある。
実際にはそうとは限らないけれど。
「治りきらない傷」治りきらないくらいの
大きな傷、それは体の外傷かもしれないし
内側の精神的・メンタル的な傷かもしれない。
または両方。
「全て僕のこと、今日という僕のこと」
内側外側、全てひっくるめて自分のこと。
今日までの自分。
「今日という僕」面白い表現です。

2番目

得ては失う日々 意味はある?
伝わることのない想いもある
だから僕は時々寂しくなる

「得ては失う日々」意味はある?
得する日もあれば何かを失う日もある
増えたり減ったり総合して考えた時に
変わってないとしたら

そこに何か意味はあるのか?
「意味」が必要かどうかという風にも
考えてしまうけれど。
「伝わることのない想いもある」
想っていたって全て伝わるわけではない。

伝わらない、思いが通じあわないということもある。
全てが自分の思い通りにはいかない。

「だから僕は時々寂しくなる」
だから、”時々”寂しくなる。いつも寂しい
とは思わない。
ふと考えた時に寂しいと思う。
うまく伝わらない、自分が想っている感覚と
捉え方にGAPがある。時がある。そんな時に
伝わらなくて寂しく感じる時は確かにある。

みんなもそうなら
少しは楽かな
僕だけじゃないと
思えるかな

みんなもそうなら
共感してくれるとしたら
少しはこの寂しさも楽に受け止めることができるかな
自分だけが感じるというわけではない。
そう思うことが自分にはできるかな?
孤独感を感じること、疎外感を感じること
少しでもそんな風に捉える気持ちから
解放されるかな?
実際のところはわからないけれどね。

2番目サビ

ああ なんて素敵な日だ
誰かを好きでいる今日も
頬濡らし眠れる今日も

今日も”あぁ”と息が漏れるほど
素敵な1日。
「誰かを好きでいる今日」
好きな人がいる。大事・大切
愛しい・愛らしい・ひっくるめて好き!
と思える人がいる今日も

「頬濡らし眠れる今日も」
頬濡らし眠”れる”今日。
泣いている。泣くほどに悲しい・感情的になる
何か自分自身に感情を動かすような
出来事があった。
それでも泣くことができて
眠ることができているそんな今日も


ああ 嘆くにはほど遠い
狭い広い世界で
僕らは唄う

嘆くには程遠い
それでも、悲しい思いを口にするまでではない。
まだまだそんなことするなんて
それまでには程遠いくらいの
そんな出来事だ。

今生きている世界
”狭い”自分の周りの世界だけで見ているととても狭い
”広い”周りの世界から少しづつ遠くを見ていくことで
それはそれは広い世界に変わっていく
そういう”世界”で”僕ら”は唄う
僕ら。自分だけではない。
自分以外の人も唄う。

サビ前の新しいメロディライン

冬に咲く花に
命が芽吹くよ
駆けるは 雪の大地
「冬に咲く花」厳しい環境下でも
見事に咲いた花
咲くという行動を成し遂げた強い花
命が芽吹く咲いたお花に命がやどる
駆ける。花びらが空を飛び舞うのは雪の大地。

青すぎた春を
忘れずに居たいと
語るは 友との地図

「青すぎた春」青春のことか。
忘れずに居たい青春の記憶を
忘れずにそこに存在していたい。
語る言葉は友人との出来事・思い出・物語。
友との地図 青春を表す宝の地図的なイメージ。

駆けるは 人の旅路
「駆けるは」
走り続ける。
「人の旅路」旅路のお供は地図。
”人”行き先の間になくてはならないのは
友との地図
旅路というのは人生。1日1日をまとめたもの。
 

大サビ前

僕らは知っている
奇跡は死んでいる
努力も孤独も
報われないことがある

僕らは知っている
”奇跡”は死んでいる。
常識では理解できないような出来事は
死んでいるから起こることはない
自分が頑張ってやってきたことや
頑張ることにおいて一人で頑張ったことも
そんな苦労が水の泡となってしまうことがある
(実際にはそんなことはないと想っているけれど)

だけどね
それでもね
今日まで歩いてきた
日々を人は呼ぶ
それがね、軌跡だと

そんな風に”報われない”ことがあっても
「今日」までたどり着いてきた歩いてきた
歩き続けてきた”日々”を
”軌跡だと”歩いてきた辿ってきた道と人は呼ぶ。

大サビ

ああ なんて素敵な日だ
幸せに悩める今日も
ボロボロになれている今日も

あぁ。なんて素敵、素晴らしい日。
「幸せに悩める今日」
”なんて幸せなんだろう?”と悩んでしまうくらいな日
「ボロボロになれている今日」
ボロボロになれている
ボロボロになれるくらい強い自分でいれている今日。
ボロボロになれる・できる。それくらい強い自分でいる!いれてる!
そんな今日。も

ああ 息をして足宛いている
全て僕のこと
あの日の僕らのこと

息をしてジタバタと動き回っている
全て自分のことであり
”あの日”の自分やあなたや自分お周りの人全てのこと

ラスト

僕と君とでは何が違う?
それぞれ見てきた景色がある
僕は僕として、いまを生きてゆく
とても愛しい事だ

自分とあなたとでは
一体どんな違いがあるのだろうか?
それは今までに見てきた景色・環境・生活
全てが違う、見方はそれぞれ違う。
僕は僕としていまを生きてゆく。

自分のありのままで
”いま”を生きていくいまの連続を生きてゆく
それはとても”愛しい事”だ
愛しい、愛のある事だ。


まとめ

まず、最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

あくまで私の個人的な考察であります。
代弁したいわけでもなく
私が想ったことを綴りました。

とても楽しかった。

なので、これからも
自分は
こんな風に考えた。

と、勝手に考察をしていこうと思いました。

「僕のこと」
は何十回聞いたのかわからないくらい聞いていますが
いつも、大サビ前の部分で
泣きそうになる(というか泣いているw)んですが

私の中で
歌って感情が揺さぶられます。

泣きながら歌ったりする時もあるんだけれど
別に情緒不安定ということではなく
ただただ涙出るwww

そんで歌った後にとってもスッキリする。
引きずるとかそういうのはないし
とても深く考え込んでしまうこともない。

でも自分でも理解していない感情が
揺さぶられているのだと
思っています。

唄うのは好きです。

またね。

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