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揺れながら創る

2月のワークインプログレスに向けて、少しずつ試行錯誤をしています。前に少しノートに書いていた、過去の作品「枠」の再創作に取り組んでいるところです。

年末年始は余りにも寒い日々が続き、山の近い田舎の家に住む私は、寒い寒い家で稽古する気にもなれず…一回撮ったっきりの動画を頼りに頭の中でコツコツと進め、遠隔でチェリストと音楽のやり取りをしていました。

こんな時、オンライン化が進んで良かった…とも思う。何せ、一人きりで創作を進めるためにはモチベーションをどのように維持するかが重要だからだ。

私の場合は、コロナ禍でずっと創作に伴走してくれているチェリストの仲間と、同じくダンサー・振付家の夫が同居していて、話し相手になってくれるから何とか続けられているようなもんだ。


さて、この再創作のワークインプログレス発表が2月半ばを予定しているのですが、このコロナ真っ只中、感染者数の多い場所へ出向くのがとても不安だったりもします。

かと言って、折角の機会を棒に振るのもなぁ…と心の中で葛藤中です。

結局何のために踊りを創り、発表するのか?
その問いを突きつけられている気がします。


No other cases.
This is the case.
他にはない。これだけだ。 
ー映画『評決』より

先程カフェで目にした雑誌で、映画監督の西川美和さんが「生き方を教えてくれた物語の台詞」というコーナーでこの台詞を紹介していた。

映画とも西川さんとも全く状況の違う自分だが、とても共感できる。

人生の中で与えられるチャンスは有限であり、どんなに条件が微妙であってもその時、それしかないものを掴むしかないときがある。

それはやらなければならない仕事でもなく、お金にもならない、しかし場と繋がりを得られるひと時のチャンス。

沢山の機会を自分で作れたり、沢山の機会を人から与えられる場合は、そんな小さな儚いチャンスはいとも簡単に断ち切れてしまう。

しかし自分の「創りたい」という想いと場の提供がたまたまリンクした場合だったらどうだろう?そして、何のチャンスもない時期だとしたら?

この歳になっても、小さなことであれこれ不安になってウジウジするもんなんだ…と驚愕しますが、まあ仕方ないよね。歳は関係ない。

ただ、加速するコロナ感染者数をSNSで毎日のように目の当たりにすると、どうしても気持ちよく「行きたい!」とは思えないのだ。

暫くは揺れながら創り、立ち止まりながら最善の策を考えようと思います。

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