絵画をインスタレーション化する試み
もうだいぶ時間が経ってしまったけど、「横浜ダンスコレクション2021・振付家のための構成力養成講座」にて、過去ダンコレ受賞者が作品の再創作を試みる企画に参加しました。
私は2015年にHAGISOというスペースで「顔」というユニットでおこなった「枠」というソロ作品の振付と構成を再創作したいと考え、今回「Waku」とタイトルを変えて挑戦した。
なかなか時間がなくて、この作品がどのような取り組みだったかを書き残せていなかったので、ひとまずこのnoteにしたためようと思う。
「Waku」 2021年2月21日
構成・振付・出演:伊東歌織
チェロ楽曲提供:成田千絵
協力:京極朋彦、黒沼千春
会場:横浜赤レンガ倉庫3階ホール
photo by 菅原康太
【プロジェクトにあたって】
今年2月に再創作をおこなった「Waku」という作品は、フェルディナント・ホドラーの「昼」という絵画作品を手掛かりに「感情の身体化」と「絵画のインスタレーション化」を試みるダンス作品でした。
そもそもホドラーは絵画において「感情」を見える形で拡張させ、「感情の身体化」を試みている画家であり、またある時は壁画に「リズム」を作動させようとするなど、ダンスを想起させる絵画作品を世の中に数多く生み出しました。振付の手掛かりに選んだ「昼」という絵画作品は、【光ある世界でいくつかの身振りをとる、女たちの覚醒の状態】を表していると言われています。
振付の抽出方法も、初演時の「4つのポーズを行き来することで感情を想起させる」という方法から変更し、「一つの身振りを起点にした上下運動を繰り返す」ことで、より感情が想起されるような工夫を試みました。
私はいつも作品を創作するとき、踊るダンサー自身の中に想起される「感情」や「物語」だけでなく、ダンスを見る観客に想起される「感情」や「物語」に興味があり、それこそがダンスなのではないか、と思っています。
2020年、コロナ禍で非接触型コミュニケーションが浸透していく中、私たちが気づかぬうちに失っているものは何だろう、と考えた時、私は他者の感情に直接触れる機会が圧倒的に減ってしまったように思いました。そしてその一方で、過去の記録を「見直す」「振り返る」機会も増えたことにより、自己の記憶と対話することも増えていきました。
感情に直接触れる機会が少なくなった今、ダンスで観る人の奥底に潜む「感情」や「物語」を想起させるものが出来たらと思います。少ない動きの微妙な変化、一見つまらない退屈な時間の積み重ねを経て、見える景色が変わっていくこと、見る人の数だけ物語が生まれていくこと。
そんなものをこの創作活動を通して発見できればと思います。
【作品再演の動機】
なんとなく、ぱらぱらとホドラーの画集を見返してた2020年のある冬のこと。ぼーっとした頭で久しぶりに「昼」という絵画を見つめ、何て美しく、希望に満ちた女性達なんだろうと思った。
そういえば「昼」にはいくつもの習作がある。
2015年に私が選んだ絵は習作で、女たちが顔を覆い隠し、もう少し陰鬱な印象だったっけ。でも今、私が惹かれるのは女たちの表情がわかる、もっと明るくみずみずしい印象の「昼Ⅲ」だった。
【光ある世界でいくつかの身振りをとる、女たちの覚醒の状態】
その絵と解説は、その時の私にとって希望に近かった。それくらい明るいものに触れていたかったのかも知れない。
わたしが2020年を機に覚醒したかは正直分からない。でも、今までと違うやり方を模索せざるを得なかったことは確かで、「変わること・変えてくこと」を静かに受け入れていった気がする。
もしもひとりひとりが自分のリズムを見直し、日々のカラダや心の変化を見つめることが出来たら?
見過ごしてしまいそうな、些細な動きに触れることが出来たら?
地味な記録の蓄積と、ささやかな共有。
その先に、今までの誰かの概念に縛られない、ダンスの分野に捉われない表現があるのかもしれない。
と、この作品を終えた後にこんなことを考えていました。更にそこから2ヶ月が経過し、季節と心身の変化、コロナの状態も変わってきたところでまた立ち止まってこの先を見つめようとしています。
ひとまず、これまでの纏めはここまで。
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