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治ったその先にあるものは?②


潰瘍性大腸炎が治ったとして、どうしたい?

という問いをし続けて一週間が経ったので、これまであれこれ出て来た思考を纏めてみようと思う。

前回、思いを巡らせてみたときは、どうやら【病が続くメリット】として、「人間関係」に鍵がありそうだと思い、元々私は自分と他者とのバウンダリー(境界線)を引くのがとても苦手だということと関連しているのかと思っていたけど、それはあくまでも、顕在意識によって自覚出来るレベルの問題だということに気がついた。


潰瘍性大腸炎は、自己免疫疾患。

つまり、自分で自分の細胞を攻撃してしまうという誤作動が起きている状態で、炎症を起こしている。

深いレベルで私自身の癖や問題を見てみると、
🟰人と比べて劣っている、だから人より努力し、優れていなければならない

というのがあり、それらが
・思うように物事が進まない時
・誰かの人生と比較してしまう時
・理想と現実のギャップを感じる時

感情を燻らせ、病となって現れていたことに気づく。

心の癖、潜在意識のパターンというのは無意識に刷り込まれているので、ある刺激が来ると考えもしないまま反応し、それを繰り返してしまう。

これが、私の潰瘍性大腸炎の症状となって繰り返し現れていたのだなぁ…。
良くも悪くも、潰瘍性大腸炎というのは私のアイデンティティの一部であり、それが当たり前のように共存していたわけ。

じゃあ今後、私はどう在りたいのか?
というところにようやく行き着くわけだけど、もし変わりたいのであれば、その変化を受け入れる覚悟も必要になってくるのだ。

・他者とのバウンダリーを引き、比較せず
・自分の選択に信念を持って
・私が私であることを許し、感謝する

そうなることを、私自身が受け入れられるかどうか?

私は昔から、誰が何と言おうと静かに信念を貫き、自信に満ちているような人が苦手だった。いつもそういう人に会うと、「怖い」と反応していた。

私の内側がバタバタと慌ただしく、迷いや恐れを悟られないように強く見せていても、それらを全て見透かされているような気になった。だけどそれは逆に、私の憧れであり、私の在るべき一部だったのかも知れない。

全く縁のない人、気にならない人には反応が起こらない。反応が起こるというのは、どこか見えない部分で、「それは私がまだ認めていないけど確かにある一面なんだよ」と教えてくれているのだと思う。  

ふー。
ひとまず一週間、一つの問いを思考し続けるという訓練?をやってみて、大きな収穫を得られたなぁと思います。

例えばホロスコープや霊視やなんかでも、何でその病気を引き起こすのか?というのはある程度示唆されるかもしれない。

だけど私の場合は人から言われたことや調べたことは直ぐ忘れてしまうので、「一日5分、思考し続ける」というのはとても良かったです。

瞑想の前には、ルドルフ・シュタイナーの「魂のこよみ」を音読しています。週ごとの季節と魂の関係がすーっと入って来て、とても面白くてオススメですよ。

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