そう簡単には変わらない。
すっかり季節が変わってしまい、2月、3月が余りにも忙し過ぎて、個人的な創作noteはストップしてしまっていた。
季節は既に5月。
ゴールデンウィーク真っ只中はとても暇。
なので、今回は超個人的な話を書き留めておこうと思う。
唐突ですが…
「妊娠によってヒトはどれだけ変わるのか?」
子を宿すことにより、何か目覚ましく意識や思考が変わるのかと思いきや、現在のところ、大きな変化は感じられない。
そう。今、ちょうど妊娠6ヶ月に入ったところでこれを書いています。(公開したのはその1週間後)
「自然なお産」に憧れていた20代の頃、ミュージシャンの助産院での出産レポや、玄米菜食に切り替わってすっかり生活が変わったという話にいちいち感動していた。
(雑誌クーヨンやリンカランを読んでいた)
私も妊娠したら玄米食に変えて、オーガニックなものしか口にしないぞ。甘いものが欲しくなったら玄米甘酒のアイスクリームを作るぞ!
そんな風に憧れていたことは、まず妊娠するのは簡単ではないという現実に打ちのめされた数年の中ですっかり忘れ去り、マックでポテトのLを注文する。
あ、ケチャップも下さい。
“悪阻になると気持ち悪くて食べられなくなり、酷い人は10キロ痩せる人も居ます”というベビママサイトに投稿されてる話が幻なのかと思うほど、私には縁のない話であった。
カレー・コロッケ・ドリア・ラーメン・ピザがローテーションで食べたくなり、玄米や味噌汁の匂いを嗅ぐだけで吐き気がした。(悪阻は人並みにアリ。)
4ヶ月過ぎた辺りで妊娠前と比べ2キロ太り、(この時期、基本的に体重増加は殆どないと言われている)今現在、気を抜くと4キロ太っている。しかし昨日と今日で0.5〜1キロ変わるので、この時期の体重変動については驚きでしかない。
よく、
「ダンサーだから人より体力あるし、筋肉あるでしょ、大丈夫だよ!」
と、「ダンサー」であることのイメージによって体重管理がきちんと出来る人に思われることが多い。
しかし残念ながら、安定期に入るまでウォーキングや運動が出来なかった。やろうとしても、動くと「オエーーー!!」となってしまう。
ダンサー魂なのか、人前で踊る時と教室で教えている時だけは何とか大丈夫だった。
しかし唯一、どうにもならないのが
「尿もれ」である。
恐らく年齢もあるのだろうが、もともと尿もれしやすいタイプなのでは?とうっすら気づいていた。
2017年10月、移住前の最後の舞台となった東京デスロック「再/生」。この作品では劇中に飲み食いをするため、頻尿族にとって中々大変な作品だ。しかも、飲み食いしては暴れるのだ。
飲み食い×3回+ジャンプ=尿もれる
という計算式は普通に頷ける。
勿論この時期、妊娠などしておらず、出産経験もなし。まあ…何とか無事に、誰にも気づかれずに一応終演しましたけど、もしも再びこの作品に参加するのであれば、かなり気を引き締める必要があるでしょう!
妊娠前で既にそんな状態だったので、妊娠初期は子宮がとにかく下がってくる為、頻尿×くしゃみによる尿漏れに悩まされました。
いやー…
そういうこと、お洒落な雑誌や育児誌に書いてないもんね。現実はこんな感じですよ。
身体を気遣い、オーガニックなものを食べて、肌に優しい服を着てゆったりと過ごす。ダンスはお休みして、赤ちゃんのことを考えたり育児書を読んで編み物をする。
↑殆どやってません…
むしろ、子供が出来てからの方が創作活動をしたくなったし、(産まれたら出来なくなるんじゃないかという焦り)、ジャンクフードや甘い物が大好きになり(やめられない)、上演後に廊下でオエーーー!っと涙ぐみながらも踊ることを手放せなかった。
胎教に良さそうなモーツァルトも聴かず、オザケンとフィッシュマンズを車で爆音でかけながら歌い、泣く。
そう、私は何も変わっちゃいない。
フィッシュマンズの「Melody」は先程話に出てきた2017年の「再/生」で使われた音楽の一つであり、何でかふと思い出して聴いていたのだけど、そこで一つ気づいたことがあった。
2017年、私はまだ東京に居た。
それから4年程経った今、私の生活と仕事、そして現在の身体の状態大きく変化している。
だけど、この「Melody」の歌詞に含まれるような甘い闇に包まれた世界観、そして「再/生」での強烈な演劇体験はしっかりと私の身体に染みついていて、決してなくなることはなかった。
むしろ、これがあるから今があるのだとも言える。
窓からカッと飛び込んだ光で
頭がカチッと鳴って
20年前に見てたような
何もない世界が見えた
すぐに終わる幸せさ すぐに終わる喜びさ
なんでこんなに 悲しいんだろう
フィッシュマンズに特別入れ込んでいた訳ではない。でも暗く甘い、闇のようなメロディにはいつだって共感してしまう。
そう、私には確かにこんな時期があった。
この歌詞を歌うと、何故か泣いてしまう。
劇中ではこの歌詞に合わせて動きをつけていたので、その時の風景も鮮明に蘇る。
死にたいと生きたいがないまぜになって必死こいていた頃とこの演劇体験は、私の中でリンクしているのだ。
「幸せ」になってしまったら、芸術と付き合えないのではないかと本気で信じていた頃があった。
誰と付き合っても終わりが見え、一生自分は一人で生きていくしかないのだと思っていたあの頃。
結婚し、田舎暮らしでのほほんと過ごし、子供が出来たらダンスなんて出来なくなる、芸術から見放されると本気で思っていた頃が、確かにあったのだ。
今思うととても痛々しく、愛おしい体験たちよ。それらを抱えながら、私は母になるのか。
環境と身体が変わり、昔よりはだいぶ気楽に生きることが出来るようになった。でも闇にのまれそうな私も私であり、それは母になろうが変わりがない。
あ、唯一変わったことといえば!
メールの返信が死ぬほど遅くなっても、スルーしても気にならなくなったこと!
ホルモンの影響なのか、気乗りしないことには返信出来なくなってしまったようです◎
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?