見出し画像

才能

“「死ぬほどあなたを愛してます」とか そういう奴ほど死ねません”とワイヤレスイヤホンから「負け犬にアンコールはいらない」が流れてきて、n-bunaというのは軽妙に言葉を駆使するくせに言葉の軽薄さを嫌っている節があるよなと思いながら電車の窓にもたれた。言葉の軽薄さっていうか真実性を希求してんのかな、いや愛の真実性ってなんだよ。「自分のためには何も望まない愛は、おそらく実現するのがもっともむずかしい愛の形」と語ったのはフロムだけれど、自分のためには何も望まない愛なんてものが果たして存在するのか、子供が欲しいと思った女が母になるわけで「欲しい」と思っている時点で自分のためには何も望まない愛なんてものは破綻しているんじゃないか、がたごとと身体を揺らす振動の合間で考える。

近くの座席に座っている大学生くらいの女性がスマホの画面を見ながら前髪を直す、その様子を見ないふりで見ながら、今度は玻璃に映った自分を見て咽喉の奥でため息を殺した。マスクで誤魔化せてもいない目の下のクマがひどかった。まあ皺とか張りとかは言及するほどでもないと思いたいけれど、ブリーチを繰り返し紫外線対策もろくにせず朝慌ててシャワーを浴びている髪の毛の艶のなさは一目瞭然で、けれどもそれを今この瞬間こそ気にはしても家に帰ったらどうでもよくなるだろうことが簡単に想像できて、それが何よりしんどいなと思うのだった。

“もう一回、もう一歩だって歩いたら負けだ”本当だよいつもそう思っている。だけど“負け犬が吠えるように生きていたいんだ”そんなふうには思えない。生きてたくないね、一分一秒でも早く死ねるならそのほうがいいしそれがひいては社会のためのようにも思う、だけどそんなことを考えている三十代女マジでキツすぎるんだよな十代じゃあるまいしもう少し建設的な? 建設的で合ってるのかわかんないけどもう少しまともな人生観を持ってほしいと自分に対して幾度となく思ってきたことを反芻した。今すぐ電車の窓を割ってそこから飛び出して河に落ちる気概くらい持てたらいいのに。

“もう一回、もう一歩だって歩いたら負けだ”“世界平和でも歌うか 早く全部を救えよ愛とやらで”n-buna君キミ24時間テレビ好きじゃなさそうだよねと知りもしないのに勝手な相槌を打ち、愛で全部が救えたらどんなによかっただろうとはいえ愛じゃなければ何で世界が救える? と窓硝子に薄っすら映る自分には嘯く。河の果て、河の果てというのはつまり海だけれどこの路線から海は見えないので河の果て、の水平線へ金色をまとわせながら震えを帯びて沈んでゆく朱い夕陽に目を細める。光が走る。永遠のようにも刹那のようにも見える、長い光がすうっと走って、走って、波打つ水面で乱反射し、鉄道橋の上からはそれはさらに激しく瞬いて見え、まぶしさに眉を顰めながらも、閃光が白く染めあげていくさまには救済なのかもしれないよなと思う。流されてゆくままの水すらも燃やすように。光が走る。強烈な光が走る。

この記事が参加している募集

#私のプレイリスト

10,771件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?