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日々を綴る、夜風が春の匂いだった

2/20 mon

面倒臭いと思う隙もなく動き出してしまえばさっさと終わる。というのでさっさとやりたくない仕事の遂行プランを立て先輩に簡単に伺いを立て社長に投げて終わった。如何せん暇なので暇を持て余すのが日頃は嫌でだらだら仕事をしているのだけれど、暇というのはくだらなかったり些末だったり動いてみれば大したこともなかったりする余計なことを考えすぎるので仕事は多少忙しいくらいのほうがいいよなと思っている。円形脱毛症になるのはもう勘弁だが、あれくらいになってやっと、余計なことをうだうだと考えすぎる私には丁度いいという感じがする。

電話番がないし封詰めもないしコピー取りもない。電話番も封詰めもコピー取りも好きだったんだなと今改めて考えている。好きを度外視しても、メールやチャットは案外非効率で話したほうが早くね?とよく思うし、画面で複雑な文章を読むと目が滑るのでやっぱり印刷したほうがいいのかもしれない気がする。ecologyとeconomyの観点からはムダなんだろうけど。淘汰しきれないのにはたぶんそれなりに理由がある。

夜遅くになって友達からLINEが来た。めずらしい時間だし月曜日に送ってくることはあまりないからどうしたと思った。1か月先の予定、ご飯行きたいとのこと。最後に会ったとき楽しそうじゃなかったからしばらく会わないほうがいいのかなあとこれもまたうだうだ悩んで連絡せずにいたけれど、彼女は日々色々盛りだくさんで死にそうになっていただけだった。私はこういうところが本当にだめだな。いつまで経ってもだめ。もちろん大丈夫だよと返す。相手の気持ちを勝手に決めずに生きられるようになるまで、あと何回生まれ変わったらいいだろう。


2/21 tue

チェロのレッスン費は結構な負担で、辞めてしまえば楽になるとはわかっているけれど続けている。続ける理由は何だろうと思う。単にチェロという楽器が好きとか、芸術的感性を育むためとか、簡単な譜面であれば初見で弾けるようになった楽しさもあるし、音楽は上達がわかりやすくて何かに取り組んでいる実感とか、理由をつけようと思えばいくらでもつけられるのだけれど。でも一番は、たぶん、この行為が自分の楽しみ以外になんの意味も成さないことだ。無理に何かの役に立たなくてもいいということ。チェロを弾いているだけのこの無益さが、毎週30分、私を安堵させるのだ。


2/22 wed


2/23 thu

天皇誕生日。ありがたい休日。2023年は土曜日に祝日が被りまくっているので飛び石だろうがなんだろうが休みがあるのはありがたい。感謝。溜まりまくっていたタスクを片付ける。カラオケに行きたいような気もするしそうじゃないような気もする、という気持ちがずっと続いている。

思えば前職(正確には前々職だが私の中で臨職の仕事はわりとなかったことになっている)の5年目は、帰ってくるなり徒歩3分の満喫に飛び込んでカラオケをするというのをよくやっていた。延々ヨルシカ「爆弾魔」とハチ「砂の惑星」を歌うだけ。いつも職場には爆発してほしかったしあとは勝手にどうぞとやけくそに思っていた。爆弾魔は一向にうまくならなかったが砂の惑星はそらで歌えるようになった。この頃帰宅してすぐカラオケに行かないのは主には帰宅時間が遅いからだけれど、あの頃ほど切迫して、叫ばずにはいられない衝動を抱えていないからかもしれない。それはよいことなのかもしれないし、悲しいことのような気もする。


2/24 fri

終業18時、ビルの外に出たら春の匂いがした。夜は一番季節の変化がわかりやすいなと思う。もう冬も終わりなのか、そうかそうだよなだって2月は28日までしかないんだもの。冬が去るのは寂しい、なぜだかいつも寂しい。


2/25 sat

朝からグループコーチング、午後からはコピーライティング講座の5回目。コピーを本格的に学んだこともないのに書けるのかと思いながら課題も4本目に入り、それっぽい体裁だけは作れるようになった気だけはしていたけれど、講評は相変わらず下の下という感じ。今回は長すぎるねって言われた。読み手のために書く。読み手の受け取る力を信じて書く。

前回はこう言われたから今回はこうしてみた、というのを振り子のように繰り返す。今はまだ振り幅が大きいけれど、続ければ収斂していくのかもしれない。キャッチコピーはセンス皆無でハァ嫌んなるね!って万事感じているがステートメントは楽しいので、ステートメントの勉強は続けたいなあと思っている。でもステートメント(ないしボディコピー)の講座はあまりないんだよね。本も少ない。基礎コースかあ。SHEに続いて16万を出費する余裕が見当たらない。油田を掘り当てたい。

私はどういう文章を書けるようになりたいんだろう。中高生の頃はずっと秋田禎信のような文章が書きたくて筆写などもしていたけれど、影響を脱するようになってからはとにかく美しいものが書きたかった。しかし美しい文章って改めて考えると何だろうなと思う。私はずっと過飾された文章を美しいと感じ入ってきたけれど、コピーのような削ぎ切った美しさというのもやっぱりあって、あるいは金原ひとみのような息つく間もなく清濁の奔流に飲み込んでいく美しさみたいなものも、あると思うわけで。書き続けないと見つけられないことだけはわかっている。書き続けるしかないんだよね。


2/26 sun

怠さが抜けずに午後に食い込むほど寝ていた。天気がいいので窓際のソファの上で日向ぼっこ。ソファで寝ると姿勢が悪くなって起きたときに後悔するのだけれども、この場所が一番好きだ。いつまででも寝ていられる。

最後の課題だというのに1文字も思いつかなくて結局夜になった。こういうところがダメなんだよなあと激凹みしつつ、コミュニティに参加してやっぱりそれっぽい体裁のものを仕上げる。講座の中で何度も言われていたことを反芻しながら23:58。どうも文末の語感がよくない気がする、そんなモヤモヤを抱きつつもリミットなので23:59提出。思いつくのが遅かったし何なら思いつかなくてもとりあえず延々発散しておけばよかったんだよなあと脳内で大反省会が始まりそうだったので、ジャンプラでヒロアカを読んで寝た。夢は見なかった。たぶん。


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