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「人生の価値は、終わり方だろうから」


金曜日が週に5回はある気がする。
と思いながら帰宅して、靴を脱ぐよりさきに普段どおりポストを覗いたら、手書きの文字が書き連ねられた葉書が1枚入っていた。なんだろうと思って翻すと、私宛、送り主は3月末に退職した上司からだった。お礼状だ。

いくら日が長くなったとはいえ18時を過ぎればもうほとんど暗い夕方、玄関の電気もつけずに磨りガラス越しに落ちてくる鈍い光を頼りに、その葉書を読んだ。ただ、淡々と、退職してから数日間の近況とこれからのことが書いてあった。

素っ気ないような、あたたかいような、いつもと変わらない人柄の滲む文字を眺めて、何回目かもわからない金曜日の疲労感が少し軽くなったような気がした。


いまの職場に来てからの4年間、ずっと一緒に仕事をしていた上司だった。
職場イチ、几帳面で気難しい人だった。また、頭の回転が速く、きわめて理論的で、むだな労力を嫌った。そんな上司の下で働くために、担当業務が法令を扱う必要があったのもあって、入った当初は毎日勉強漬けだった(あまりにも仕事が細かいので、最初のころはちょっとうるさいとすら思っていた)。4年のうち、軽口を言い合うほど仲良く働いていたときもあったし、意見が対立してしばらく口をきかなかったときもあったけど、お互いだけではなく周囲の目から見ても相性よく仕事をしていたと思う。

だけど、私も相手も「これは仕事」と割り切っているタイプだったから、自宅に直接お礼状が届いたのは、正直に言うと意外だった。
感染症の関係で送別会等が一切中止になり、個人的にお礼を言う時間が全く持てなかったのを多少なり気にしていたのはどうやら私だけではなかったらしいと気づいて、葉書を前にしてなんだか妙に面映ゆくなった。

お礼状と言っても、謝辞はひと言も書いていない。それが「らしい」と感じたし、とにかく、退職後に1枚くらい葉書を送ってやってもいいと上司が思ってくれたことが、私は素直に嬉しかった。


なんだか、私の4年間はなんだったんだろうと、ひと月前に泣いていたのが夢みたいだ。

上司の葉書を前にしたら、職場にとって私という人材の価値がどれほどのものなのかなんて、遠く霞んでしまった。どうでもいいな、そんなもの。

4年間、一番近くで仕事をしていた人が、私のことを見てくれていた。そのことが全てだし、そのことが私の4年間の全てでかまわないし、それ以上の真実はどこにもないのだ。特別なにかを褒めてもらった覚えもなく、毎日やるべき仕事をやるべきタイミングで投げてくる上司だったけど、きっと私の仕事を信頼してくれていたんだというのは、手間を割いて書いてくれた、この葉書1枚で十分だった。

報われるって、たぶん、こういう瞬間を言うんだろう。
私が泣きながら歩いてきた時間は、1秒もむだじゃなかった。葉書のかたちを取りながら、けれど目には見えない「何か」になって、いま、私の手許で光っている。

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