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日々を綴る、「この道の先ならきっと大丈夫」

1/23 mon

週末観に行ったアイカツ!の感想を書きたいなあと思うも「26日までネタバレ禁止にご協力ください」の案内が出ていたことを思い出し、書いたらとりあえずすぐ載せたい習性を持つ私は書くこと自体を踏み止まっている。そうこうするうちに書きそびれてしまうのだけれど。でも、情熱は落ち着いたなあと感じていたアイカツでやっぱり終始ボロボロ泣いてしまい、病気療養中に見つけたあのまばゆさ、本当に一筋の流れ星のようだったいちごちゃんのきらめきは褪せずに私の胸の奥で今も確かに光っていて、これまでもこれからも道標には違いないのだと思った。映画としてはだいぶひどかったが。40点でもつけすぎだというくらい。思い入れ補正と新曲の良さで加点して5億点。スターウェイ早く欲しいな。

冬の日本海側北国のあるあるだけれど日光が足りていないので憂鬱が増す。人間だって植物みたいなものだ。頭に靄が掛かったようにぼんやりとしてやりたいことはたくさんあるはずなのにいっかな手が追いつかない。ツイートをスクロールする指だけがいつまでも活動的で、あぁこの時間が無駄だなあとわかってはいるのに、他の能動さは全て喪失してしまったかのよう。寒さも雪も、マフラーのぬくもりも吐いた息の白さも、冬の中だけで格別に美しく光る信号機やロードサインも、私は大好きだけれど、停滞に微睡んでいるときばかりは夏が恋しいと思う。


1/24 tue

相手に伝わるように書くのと自分を好く見せられるように書くのは別物で、前者は磨きたいけれど後者はできるかぎり削ぎ落していきたい。まあなんか私はそういうことばっかり考えているからいけないんだろうなとも思う。あなたの綴る言葉が好きですって言ってもらえるとき、一番には私の言葉が優れているのではなくあなたの読む力があってこそのものですよと考えるのだけど、だからといって私は伝えようとする努力を怠ってはいけないしその積み重ねの上で言葉が届いたというのなら、あなたも私もお互いを愛する力を磨いてきたからこそ出会えたんですね、幸せですね、となるのが理想なのかもしれない。読者の想像力を信じるし、私の書く力も信じる。

コピーライターがどうしてああもひらがなを使いたがるのか長年の謎だった。し、糸井重里の数々の発言のたちの悪さによって、私も含めたある一定の人々には「ひらがなコピーは胡散臭い」と受け取られている節があると思うのだけど、勉強していると、どうも、彼らはひらがなをしなやかな強さと考えているようである。漢字は字面こそ強いが伝わりづらく、ひらがなこそが本質的に強い、伝えるべき言葉をまっすぐにここぞというタイミングで伝えるにはひらがな、みたいな。ひらがな信仰みたいだなと思っている。私は思春期に十二国記を読んでそれを養分にして感性を育ててきた女なので漢字や漢語がえらく好きだし、やっぱり大学で人文学の論文を書いたりしてくると漢語を細分化させて使いこなせることが大事だったりするので、はぁそれは生きる階層の違いかもしれないですねという気持ちになるのだった。他方で理解してもいる、学習環境に依存せず老若男女誰にでも読めて伝わる一文を書くって結局ひらがなになるんだよ、みたいなことは。たぶん。

新しい世界を学ぶと咀嚼するものが増えて頭の中が常にぐるぐるしている。腹落ちするまでまた何年も掛かるんだろうなあ。学習はいつだって旅だ。知の旅。


1/25 wed

大雪になりはしなかったけれどずっと氷点下だった。朝起きたらシャワーが出せない、いい加減に風呂場の壊れた窓を修理しなくてはなあと思いつつ、冷え切った洗面台で顔を洗う。夜中にちょろちょろ水を出しておいてよかった。

1時間15分くらい早く家を出て会社に向かった。道すがらあまりにも車がいなくてなんだみんな休みじゃんかよと毒づく。いや、弊社もこういう日はリモート可なんだけれどもバックオフィスは出社せざるを得ないのだった。出社したら殆ど人がいなかった。ですよね。静かでいいけど。

寒すぎて一日中マフラーを巻いていた。

帰りはさらに道が凍結していてつるつるで、前を走っていた車が坂道で止まれず、赤信号の中交差点へ突っ込んでいった。ガソリン満タンでスタッドレスタイヤを買い替えて修理から戻ってきたばかりでバンパーがぴかぴかの私の車は無敵!


1/26 thu

無敵!とか前日に考えていたせいか、凍結した路面で車が止まらなくなったりそれを避けきっても他の車に追突されそうになって朝から散々だった。車で移動するのが当たり前ではなかった頃は、雪の中をただただひたすら歩き、足許の覚束なさや指先から凍りついていく感覚、マフラーに鼻先を埋めたときのぬくさ、吐いた息が白く凝るのを眺めるのが、何だかんだ好きであったような気がするのに、今ではえいやと意を決さないと外を歩かないものだから雪というのは億劫一辺倒になっているなあ、などと考えた。


1/27 fri

またしてもチームリーダーと先輩が出社できなくなった。さすがにちょっと多すぎない? やれと言われればやるけれども正直しんどい。


1/28 sat

言葉を学ぶと決めたものの課題の提出ぶりが雑なのは自覚していて、私は本気でこれに取り組んでいるのだろうかと自問自答する。講評が始まって課題をきちんと把握していなかったことに気づき乾いた笑いが出た。前回は文字数制限を50文字も見誤っていたっけな……。コピーライターになりたいわけではないけれどもやると決めたならしっかりやれよと自らに毒づき、あぁこれだから私っていうやつは本当にダメとため息を殺す。気づけば課題もあと2回しかないらしい。最後の2個くらいは納得できるものを提出したい。

本気で書いている人とそうではない人は絶対的に質が違っていて、素人目にもそれはわかるのだから講師からしたら私はふざけて受講しているように映るだろうなと思う。真摯になりたいと願っているのに私はいつだって日々の忙しなさに負けて、努力をしない言い訳ならいくらでも思いつく。情けないし不甲斐ないな、けれども心の片隅ではいつも、いつもやはり頑張りたくないと祈るように思ってもいて、自分のどうしようもなさに墜落してゆくだけなのだった。

夜20:00からはミーティング。人を集めて事を動かしていくなんて高校の体育祭ぶりでやり遂げられるかどうか不安しかないのだけれど、参加を決めてくれた人たちの優秀さに頼りながら一つ一つ積み上げていこうと思う。きっとうまくいく。大丈夫。だけど、失敗しても大丈夫。そのためのコミュニティなので。あまり気負わずに、しっかりやらなきゃと考えすぎずに楽しもう。


1/29 sun

朝10:00からコーチング。寝起きの頭でテンション低く受けた。12月は本当に急に忙しかったし大雪に振り回されたし事故にも遭ってめちゃくちゃだったので、なんだか何もできていないなあと思っていたけれど、問われて考えてみれば進んでいたこともやっぱりあって、コーチのやさしい問いかけに思わず泣いてしまった。昨日の私より、少しいい自分でいたい。新しく作り直したドリームマップには米津玄師のインタビューとアイカツ!「ヒラリ/ヒトリ/キラリ」の歌詞のスクショをそのまま貼っている。「誰かのいいところを吸収して育ちながら、あの子も頑張っているから私も頑張ろうと思う関係性でいる。」

午後は寝て過ごした。夕方になっていつものように実家に戻ってご飯を食べ、雪が降りしきる中また自宅へと車を走らせた。白に覆われて静まり返り、ただロードサインだけが煌々と輝いてそれだけが息をしているような街の姿は、私に世界の終わりを想起させた。隣で運転する弟に話しても全く共感を得られなくてこういうときになんとはなしに私は、孤独だ、と思うのだった。

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