アイカツ!楽曲に救われた私の話 − 「受け取った勇気でもっと未来までいけそうだよ」
病気らしいよ。メニエール病じゃないかって。とりあえず薬出して1週間様子見、でも発症してから半年近く経ってるっぽいから治らないかも、大学病院で検査しないとだめかもねって言われた。
子どものころから通っていた耳鼻科がいつの間にか移転していて、院長先生も世代交代し、まったく面識のない先生に言われた言葉を反芻しながら、広くなった駐車場の端っこに停めた車の中で、ポツポツと母親にLINEをした。27歳になって1ヶ月が経ったくらいのことだ。半年以上続いていためまいが段々ひどくなってきていたのは知っていた。社長と常務が長期海外出張で不在になって、ようやく休みを取れた私は医者にかかった。
そのときは、悲しくなかった。なんか、そっかあ、という感じだった。メニエール病にも全然ピンと来なかった。出された薬は人生最悪にマズかった。
1週間後、やっぱり大学病院のほうがいいから、と言われた。ちょうどメニエール病がご専門の先生が赴任されたから診てもらいなさい。渡された紹介状、その封筒の字が随分な丸文字だったことが、印象に残っている。そのときもやっぱり悲しくはなく、数日後が〆切だった原稿のことを考えていた。やばいなあアンソロの原稿、まだできてないんだけどなあ、いつ書こう、てか書けるのか? ──〆切間際に「遅れる場合は連絡くださいね」と主催がツイートしたのを横目に、申し訳なくも30分無断遅刻した。
病気だとわかってからも、私は、社長の秘書をしながら学芸員業務をしていた。絵を運ぶ、足許がたまに覚束ない。同僚と焼き肉に行った。なんかねえ、病気らしいですよ、知らんけど。他人事みたいに話した。従姉の結婚式で、痩せたよね、と言われけど、大学時代に38kgしかなかった実績があったせいで、そうか? と思った。そういえばこの間の健康診断、血圧が82の46しかなかった、死ぬかな、と笑った。祝い事の席で、縁起でもない。アルバイトで死ぬほど見た結婚式も、幼いころから一緒に育った従姉のものはちょっと泣けた。感情が高ぶったら目の前がぐらぐらした。メインディッシュは気持ち悪くて食べられなかった。水だけ飲んでいた。
少しずつ、おかしくなっていった。病気だと知覚するまではどうにかコントロールできていた何かが、ぐずぐずと、崩れていく。パソコンの画面がずっと波打っている。頼まれる仕事ができない。感情を吐き出したいのにパソコンを見ると世界が回転するから小説を書けない、ツイッターも気持ち悪い。なんだかよくわからない。なんだこれ。朝一番に、一人で社長室の準備をしていると、ざあざあ、ざあざあ、耳鳴りがしている。お昼ご飯は、自分で握った小さなおにぎりと、インスタントのお味噌汁だけになった。
ねえ、ディズニー行こうよ。どっち行く。1泊してどっちも行こうよ。シーとランド。いいね。おけ。私、ホテル予約する。じゃあ私チケット買っておく。それなら私はひとりで楽しみにしてる。なんだよそれ。
病気がわかるより前、GWにした約束。ずっと待ちに待っていた9月。22時。楽しかったはずの時間を、私は全部、ぶち壊しにした。
大丈夫ですか、と話しかけるキャストの声に応えられない。一度横になったらあまりに気持ち悪くてもう起き上がれなかった。閉園時間なので救護室はもう閉めてしまって。今日は宿泊ですか。そうです。どちらに。サンルートです。でしたらタクシー乗り場まで救急車でお連れするのでもいいですか。けい、いい? いいよね、大丈夫です。友だちとキャストが話しているのだけはわかるのに、声を出せない。しゃべったら吐く。吐くのは嫌だ。担架の音がして、身体持ち上げますよ、いいですか、と声が降る。目を閉じるとよけいにぐるぐるして気持ち悪いから、見開いたままの目で動き出す世界をどこともなく見ていた。グランドオープンからずっと通っていて初めて見た、今までで一番真っ暗で静かなアメリカンウォーターフロント。帰っていくゲストもいなくなって、誘導に並んでいたキャストたちが隊列を崩す。サイレンの鳴らない救急車が、バックステージを通り抜けていったらしかった。
けいのおかげでめずらしいもん見た。バックヤードおもしろかったよね。でもさ、今日はやめようね。私一緒に帰れないけど、ゆきはいるからね。別れる前に東京駅でなんか食べようよ。あ、フルーツだったらいけるんじゃない。それなら千疋屋行きたい、ケーキ食お。いいね。決定。
ディズニーシーで倒れた数日後に台風が来た。仕事へは行けなかった。這って動くのもままならなくなっていた。つけっぱなしのテレビと、窓の外の嵐の境界が消失している。氾濫した河川に、沈んでいく家、屋根の上で救助を待つ人、ヘリコプターの音。安全なところから中継を見て、アナウンサーがやんややんや叫んでいる。私は、ソファの上に蹲って見ていた。助けてあげてほしい。助けてほしい。早く助けてほしい。早く助けてほしい。なんだ、なんなんだよ、いったい。どうしてこんなことになってるんだ。洪水に飲み込まれてゆく、私も、世界も、何もかも。ぐちゃぐちゃに。
翌日は吐き気と闘いながら出勤したけど、顔色が悪い、帰っていいと追い出された。3日間休んだ。ようやっと出勤したそのときに、辞めます、と私は言った。退職を決めた後も、職場で何度か倒れて、泣いた。
すぐに再就職はできそうになかった。ハローワークで手続きをしながら、足許だけを見ていた。大学病院で主治医になった先生は、環境が変われば症状の改善する病気ですから少しゆっくり休んでください、とやわらかい京都弁で話してくれた。処方されたジアゼパムを飲むたび、昏い気持ちだけが澱を成していく。
自分が何に躓いて、何ができなくなって、何を失ったのか、整理ができなかった。辿り着いた夢も、ずっと愛してきた趣味も、指の間から液状化して全部落ちていったみたいだった。かつて論文を敷き詰めていた場所で、研究書の上で眠りに落ちていた日々は遠く、最早万年床になってしまった布団の上で、私は、何日もただ寝ているだけの生活をした。
第一印象は、意味がわからんアニメだ、だった。土曜日の朝、アイカツ159話、ギャラクシー・スターライト。見ようと思って見たわけじゃなかった。テレビがたまたま、いつもとちがうチャンネルになっていた。飛び込んできた映像では、アイドルだという女の子がロボットに乗って戦っている。いや、これアイドルか?
あー、でも、金髪の女の子めっちゃかわいいな。ホシミヤセンパイ。アカリちゃんが主人公みたいだけど、ホシミヤセンパイのほうが主人公ぽくない?
とりあえず、ツイッターに「なにこれ意味がわからんのだが」と呟いたら、フォロワーから「めちゃくちゃいいので見てください」とすぐエアリプされた。それで、ああこれが噂のアイカツ!なんだなあ、と私はぼんやり認識した。アニメもマンガも、この数年、ろくに見ていないし読んでいないから全然わからないんだよなあと、思考力の落ちた頭でそう思いながら(よくないんだけど)ウェブに放流されているいくつかの話と、劇中で披露されるステージ映像を掻い摘まんで観た。
アイカツ!のストーリーは、お弁当屋さんの女の子がある日トップアイドルのステージを観て、おしゃもじをマイクに持ち替えて、アイドル学校に編入してライバルと切磋琢磨しながらトップアイドルを目指す、かわいいけどちょっとスポ根ぽい話だった。そして、初代主人公は第一印象のとおり「ホシミヤセンパイ」だった。星宮いちごちゃん。
いちごちゃんが、憧れに突き進む姿がまぶしかった。
学芸員になりたいって、ひた走っていた自分のことを強く想った。
気づいたときにはめちゃくちゃハマっていて、映像を見続けると体調が悪くなるとわかっていたのに、私は有料配信サイトに登録して、夜通しアイカツ!を観ていた。ある日は観すぎて夜中に吐いた。でも観た。2期を見終わったあと、すぐに劇場版のBlu-rayを買った。観た。すごく観た。超観た。観まくって、濃霧の心から感情を取り戻していくみたいに、泣きまくった。
観ていると、なんだか自然と元気になって、自分にもまだできることがあるような気がして、立ち上がれるんじゃないかって、私は、その感覚を必死になって追い掛けた。物語もよかったけど、アイカツ!は音楽と歌詞がすごくよくて、とにかく、彼女たちのステージを観るのが大好きになった。レンタルしたアルバムもすぐにiTunesに入れたし、貸出のなかったものは買った。
いちごちゃん、入試ですごいアピール決めた以外、最初は全然なんにもできないし、まわりにも負けまくるのに、なんにも諦めないしめげない。いちごちゃんだけじゃない、あおいちゃんも蘭も、おとめもユリカ様も、さくらちゃんもかえでちゃんも、トップアイドルの美月さんでさえ、みんなそれぞれに葛藤しながら自分が信じているアイドルを目指している。うまくいかない日も、誰かとすれちがうときがあっても、なりたい私を見つけに行く。
音楽が彼女たちのがんばる姿に寄り添って、重なって、キラキラ、キラキラ、輝いていく。
毎朝、きちんと起きるようになった。パジャマを脱いで普段着を着る。食べられるときと食べられないときがあったけど、食べられるものはちゃんと食べるようにした。お風呂はシャワーで済ませないで、浴槽に浸かった。当たり前のことを少しずつ、少しずつ丁寧に行うようになって、ハローワークにも通いだした。その日できたことを、日記代わりにしている鍵アカウントに箇条書きにする。できないことがあってもいい、つらいときも悲しいときも病めるときも自分を責めなくていい、だから、その日、何かひとつだけできたことを、えらかったねと褒めながら、私だけのツイッターに呟く。
私はそうして、木っ端微塵に頽れたところから立ち上がった。
就活はあんまりうまくいかなかった。県下有数の有名企業を変な時期に退職したことと、そこからまだ3ヶ月程度しか経っていないことを問い質されて、いくら準備をしておいても、相手に威圧的に出られると畏縮した私はうまく答えられなかった。運よく求人が出た学芸員試験も、筆記は通過できても、最終面接で不安が露呈した。全然、なんにも、うまくいかなかった。アニメを観て、音楽に心を救われて、それで全部がよくなったわけでも、丸く収まったわけでもなかった。
だけど、アイカツ!の音楽はずっとそばにいてくれた。心強かったのはまちがいなかった。大丈夫、きっと私もがんばれる。
失業給付金が終わるころ、最後に受けていたところから不採用通知が来た。人生そううまくはいかない。アニメみたいに都合よく展開してくれない。風邪を引いて寝込んでいるときにその通知を受け取って、なんとはなしに、そうだ京都へ行こうと思った。安井神社の縁切り縁結び碑をくぐってこよう。ディズニーシーで倒れてから一人で遠出する自信がまるでなくなっていたけど、行こうと思ったら行ける気がして、勢いでバスと宿を予約した。
それから数日後、不採用になったところから電話が来た。採用した人が3日で辞めたからもしまだ決まっていなかったらどうですか、という話だった。まだくぐっていないのに、行くと決めただけで縁がやってきた。安井神社の縁切り縁結び碑の力が偉大すぎておののいた。
もちろん、3日で人が辞める職場ってどうなんだ、とは、思った。考えるから少し時間をくれと答え、ハローワークにも相談した。でも、ここより好条件の職場は県内にはないですよ、病歴があるならなおさらです、と言われて、安井神社のことも頭をよぎり、繰り上げ合格で採用してもらった。3月中旬、冬の匂いがまだ残る、ほころび始めた春先のことだった。
まあ、3日で辞めるのもありうるよね。非正規雇用なのに業務負担が大きすぎるんだが? 仕事内容は正規と何も変わらないじゃん。──1ヶ月後にはそう頷かざるを得ない職場だったけど、やるしかないと腹を括った4月。
まるで知識のない業種で自分の業務を2つ動かしながら、3人の手伝いをしていたら手がまわらなくなって、結果、よそのお偉いさんに大目玉を喰らうことになった10月。ストレスで体調を崩して、症状が出ることが増え、仕事中に1時間寝かせてもらっていた11月。
いやなこと、悲しいこと、つらいこと。絶望の淵みたいなところから立ち上がってもやっぱり数えきれないほどあった。きれいごとだけで世の中は動いていなかったし、がんばればがんばるほど理不尽な目にも遭った。だけどそれでも、私は、アイカツ!の音楽が好きだった。アイカツ!がくれる勇気で息をして、前を向いて、病気になる前のように走ることはできなくてもあきらめずに一歩ずつ歩くことができた。仕事をしながら学芸員試験も複数回受けた。最終まで行くのに、いつもだめだった。だめなことばっかりだった。だめだったけど、私はだめかもしれないけど、世界はやさしくないことが多いかもしれないけど、それでも。
アイカツ!と出会って2年と少し経つころ、私は武道館にいた。初めての武道館だった。そして、アイカツ!楽曲の歌唱を担当していたSTAR☆ANISとAIKATSU STARS!の2グループがアイカツ!シリーズから卒業する、武道館だった。私にアイカツ!を布教してくれた、先述のフォロワーさんと一緒に聴きに行った。音楽を一人で楽しむことを愛していた私が、まさか武道館ライブに参戦する日が今生に存在するとは思わなかった。
メニエール病だと言われてからの2年と少し、どんなことなら大丈夫で、どんなことをしたら症状が出るのか、私自身、ようやく把握できるようになっていた。中でも、爆音や激しいライティングが負担になることは、倒れて以後も足を運んだディズニーリゾートでわかっていたことだった。
私の病気とライブは、どう考えても相性が悪い。だけど、どうしても行きたかった。私の憧れ。私の勇気。私を立ち上がらせてくれた作品と音楽と人。最後だというのならなおのこと、目に焼きつけて、心臓の奥深くまでその響きを刻んでおきたかった。だから、ウェブで対応策や経験談を調べまくって、策を講じて参加した。音響障害用の耳栓に、イヤマフ。薬と水はたくさん持った。大丈夫。
最高だった。みんなキラキラして、かわいくてカッコよくて、とにかく楽しそうで、アニメの中から全部飛び出してきたみたいだった。
笑って、泣いて、笑った。倒れなかったし、一度トイレ離席した以外は、退場もしなかった。21時をまわって会場を出たとき、同じ時間と空間を共有した人の、興奮さめやらぬ声に包まれている瞬間に、幸せだ、と思った。幸せだ。幸せだった。ごうごうと唸っていた嵐の音が遠ざかる。もっとまばゆくて、あたたかくて、力に満ちた音色が、私に、私たちにずっと響いていた。
最高でしたね。うん、本当に。
ファミレスへ行ってたくさんしゃべったはずなのに、お互いに何かを言ってひたすら頷いていたことだけが、あの日のやさしい夜の記憶だった。
武道館へ向かう日の朝、東京駅。新幹線が到着してすぐ、私は、東京駅一番街店にある京橋千疋屋へ行った。東京駅の千疋屋は、ディズニーシーで倒れた翌日、全然食事をしない私を心配した友人2人が連れて行ってくれたところだった。
カフェスペースに入ってまっすぐ進んだ、一番端の席に座って、朝早くから私はいちごパフェを頼んだ。星宮いちごちゃんの好物。ホシミヤセンパイがかわいい、と思った、アニメのあのほんの一瞬が、私をここまで連れ出してくれた。食べながら、泣いた。座った席から、友人と一緒にケーキを突いた席が視界に入って、あのときの2人の姿や声や言葉が、褪せずに込み上げたせいだった。
私を大事にしてくれる人がいる。心配してくれて、寄り添ってくれて、あれからも変わらずに連絡をくれる友人がいる。私は、病気になって仕事を辞めて、夢には破れたかもしれないけど、それだけだと思った。悲しいことは、それだけだった。
アイカツ!の音楽に突き動かされて辿り着いたいまの環境で、私はようやく5年目になる。年が明けた2月には契約満了が待っている。たぶんまた、いろいろ、うまくいかないんだと思う。転んだり、痛かったりするんだろう。今はまだ、不安のほうが大きいけど、でも、音楽がそばにいてくれる。あの日の私の勇気になってくれた音楽は、これからもずっとそばにいてくれる。アイカツ武道館、星宮いちごちゃんの歌唱担当だったわかさんが、私たちの歌はずっとそばにいるよ、と言ってくれたことを、私は今日も、お守りのように胸に抱いている。
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