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日々を綴る、愛と勇気だけが友達

1/30 mon

いつまで経っても心底人に心をひらくのが難しい自分に気づくとき、この貧しさはどこから来るのだろうと考える。年単位で続いた思春期のいじめのせいなのか、それとも正しさと抑圧と差別に晒され続けた家庭環境のせいなのか。実は嫌われているのではないか、この言葉は迷惑なのではないか、どこまでなら関わっていいのか。相手を傷つけるのが恐ろしいというよりも私は、やはり私自身が傷つくのが怖いだけで、そこにあるのはまごうことなく親切とやさしさだとわかっているのに怯えるさまを、情けない以上にさもしいなと思うのだった。人の愛を試してはいないか。可哀想で不幸なふりをしていたいだけなのではないか。

だけどこの孤独こそが私を創作へと駆り立てるのもよく知っていて、もうずっと何年も、孤独を失うのは身体の一部を抉り取られるようだとも感じる。


1/31 tue

果たして私は仕事に面白さを求めているのだろうかと退屈を持て余しながら考える。退屈だと言ってしまうとやりたくもない業務がよっこらせとばかりに私のところへやってきそうなので、なるべく考えないようにしている。しているものの退屈である。入社してからこちら、波はあれども平均して退屈だと思う。ヤリガイとかセイチョウとかなんかそーいうの、空虚。どこの職場に行っても永遠にライスワークだとしか感じられないかもしれない自分に時々怖くなる。SNSを覗き込む。みんな何でそんなに楽しそうに働いているんだろう、実際はいろいろあるとわかっているけれど。私は、死ぬまでか定年になるまでか退職するまでかあるいは会社が倒産するまではこれが繰り返されるのだと思うと途方もなく感じてしまう。雇い止めになったときはあんなに泣いていたのに。

私は私がよくわからない。ずっとよくわからない。


2/1 wed

この日記、全部本当のことだと思います?
と、私に向けて残しておくのもいいかもしれない。誰だって自分自身にこそ人生最大の嘘を吐いて生きているに違いないからね。

毎日毎日通勤時の交通量が異なりすぎてうんざりする。この車はどこからやってきてどこへ消えていくのだろう。普段はバスや電車通勤している人が車に乗っているということなのだろうか? 車道も歩道も相変わらず雪と氷まみれで到底自転車に乗れるはずもないので、そういう人たちが車通勤しているんですよって言われたらはぁまあそうでしょうねと思うのだけれど、それにしたって本当に交通量に差が出すぎなのではないかしら。二日に一回リモートしているとか? いつ会社に到着するか読めないのはストレス。早く着いても鍵の開いていない会社なのもストレス。

家族に聞かれてディズニーのことを調べていると余裕で帰宅後の時間が全て溶けてしまう。私20年来のオタクだからいいけどさあ、あまりにもシステムが多岐かつ煩雑になりすぎではないだろうか。かといって「まあ行ければそれでいいよね」と諦めると絶対情弱は敗北する世界だとわかっているので、GoogleとTwitterで検索を掛けまくるわけです。いくつも読んで見比べて精査して一番真相に近そうな情報を選ぶのが大事。その日の状況やキャストによって言い分・対応が違うとかザラにあるのでね。って考えると本当に素人は容易には楽しめないなって思う。職場の先輩が去年家族旅行に行って愚痴っていたのを思い出した。コロナ禍前には、マップに細かく情報を書いて渡したこととかもあったな……。懐かしい。

私はディオール展のチケットと格闘しています。当日朝一から凸予定だけど拾えるなら予約チケットを拾いたい。


2/2 thu

ディオール展のチケットを拾えた。しかも丁度いい時間。家族も無事ディズニーホテルの予約に成功して万々歳。帰宅してからの時間を丸々全部予約準備に捧げたかいがありましたよ。おかげで自分で言い出したイベントの作業は何も進んでいない。これから情報整理と今後のスケジュールカレンダーを作る必要がある。体力がない。眠い。

2、3年前から冬になると乳首の痒みがひどく、今年もまたひどくなってきた。皮膚科に行かなくてはと思いながらこれは本当に皮膚科で大丈夫なのだろうかと心配が首を擡げる。軽々に死にたがるくせに心配が首を擡げるのだ。脇や背中が痛いこともあり乳腺外科へ行くべきか悩みつつ、予約を取るために電話をして症状を伝えたら「とりあえず皮膚科で大丈夫でしょう」と言われたことを思い出ししこりはないしマンモグラフィーの検査も何もなかったからなあと自己を慰める。とりあえず皮膚科へ行く。皮膚科の薬で症状は落ち着くので皮膚科でいいんだろうたぶん。わかんないけど。

こうやって騙し騙し暮らしていたら27歳のときはメニエール病の症状ですねって言われたわけなんですけれども。癌だったら笑えないね。メニエール病も別に笑えなかったけどね、いや、当初は笑ってたか?

双子の姪っ子が3歳になったらみんなでディズニーへ行きましょうとLINEが来た。このご時世だし親も歳だし私はいつだって簡単に死にたくなるし3年後もみんな元気だったらいいねと思った。これからの3年という月日を空恐ろしく感じたのは初めてだ。死について懊悩する日々は10代の頃からずっとあったけれどそれは常に想像、どころか妄想の範疇でしかなかったのに、死の実感が嫌にリアルになっていることに気づく。死の生温い手触りのようなもの。きっと3年後は当たり前に来ると信じられているような周囲に、私はまたしても取り残されている。幸せの永続性にあまりにも懐疑的。


2/3 fri

帰宅してパソコンを開くのが億劫すぎるので今日の分は試しにスマホで書いてみる。投稿するときにパソコンで読み返すので行間・スペースや文末の語感みたいなのはそのときに修整しよう、果たしてそれは日記なのか? まあどうせ他の日の話も必ずしもその日に書いているわけじゃないからいいか。ちなみに私はフリック入力派。スマホ入力は常に誤字脱字との闘い。

昨日TLで金原ひとみ「デクリネゾン」が流れてきてよし次はデクリネゾンを読もう、早速読もう、と仕事帰りに本屋へ寄ったけれど、想定の範囲内ながら置いていなかった。発刊されたばかりの「fishy」文庫版を横目に見ながらそれは単行本で夜な夜な読んだんだよなあと思い、縮小されまくった文芸の棚の端から端までを眺める。金原ひとみ、fishy以外には「アタラクシア」が一冊だけあったので結局アタラクシアを買った。アタラクシアを買いますとTwitterに呟いたら推しに推してもらったので私はこの日記を書いたらアタラクシアを読みます。

去年、いや一昨年後半かな? くらいから読書意欲が増加傾向で毎月結構な冊数を買っているのだが、本を読むって心の体力と財布の余裕がいるのだとしみじみしている。本を読まなくなったというのは本当ではあるけれど真実ではなく、正確に表現するなら「読めなくなっていた」のほうだと知った。しかし読めるようになって改めて地域の本屋を見渡してみると本屋の減少は著しく、さらには文芸の売り場面積があまりにも縮小されすぎだな、東京に行くとそこらの駅にたくさん本屋があるのに地方の本屋過疎ぶりはひどいと思わざるを得ない。

あぁスマホで長文入力って疲れる。もっと書きたいことはある気がするけれど面倒が勝ってきたので今日はここでやめる。慣れれば楽勝だろうかね。


2/4 sat

朝から皮膚科へ行き、そのまま映画館へ。アイカツ!2回目の鑑賞。2回目のほうがより泣けた。MY STARWAYはもちろんTRAVEL RIBBONもすごくいい、新しい感動っていい言葉だなあと噛みしめながら聴いた。織姫学園長の「自分の心に正直でいられるか」という話がグサグサ刺さるのは大人だからこそなんだろうなあ、そう、だからやっぱりこの映画はあの頃アイカツ!が好きだった子どもたちへのエールなんだよね。ED氷の森を聴きながらすごくすごく寂しい気持ちになって、思わず行かないでと叫びだしたくなったけれど、武道館でわかさんが「歌を聴けばいつだってそばにいるよ」と言ってくれたのを思い出して、私はSTARWAYの「きっと大丈夫」という言葉を口の中で何度もなぞりながら帰った。きっと大丈夫。あぁ感想を書かなくては。

夜になってミアレジも休止するのを知った。こうしてみんな進んでいくんだ。寂しいし嬉しいし悲しいし喜ばしい。大好きなぶんだけいつだって。もう生では観られないかもな、何で現地行かないんだ私はとまた考えたけど。でもね、行かないことがあの日どこにも行けずに泣き暮らしていた私が進んでいる証明なんだと思うんだよ。どこに立っていたってみんなが頑張っているのはわかっていて、だから私も頑張れるんだって。今のここから、配信で見るね。

20時半から1時間半ほどシーメイトさんと壁打ちさせてもらった。とてもありがたい時間。一人ひとりの人生が素敵で、それを物語にできたらなって思った。それにしてもアンパンマンのマーチの歌詞は深い。


2/5 sun

睡魔と空腹と闘いながら美容室。担当してくれている人が研修で別店舗勤務だったのでそちらへ。行ったことのない店舗だったので楽しかったしめちゃお洒落で静かでよかった……。髪色は赤みの強いブラウンになった。そろそろボブに戻したいんだけど宣言した髪型を一度やるまでは切れない。

とにかく眠い。ずっと眠い。

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