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なくしもの

前置きですが、実はこの記事、年末の少し前からずーーーっとあげようとしていたのですが、内容が内容だけになかなか書き進められず、結局今になってしまった、という感じのやつです。

ということでタイムラグがありますが、なんとか冬の間に、と思って書いてみました。これ書くだけでメンタルHPを8割使い果たしてしまった。 

今夜はゆっくり猫を撫でて過ごそうと思います。
では、拙い文書ですが、ちょっと読んでいってやってください。






父について書きかけていたnoteの下書きがあったはずだけど、どうやら消してしまったみたい。書かなきゃ、自分のために、ってずっと思っていたのに、とうとう年末になってしまった。今年の総括を含めてなにか書いてみようと思ったけれど、何をどう書いていいのやら。

2021年について思い出そうとすると、心臓が苦しくなって、涙が出てしまう。

私にとっての2021年は「喪失」の年だったからだ。


今年の春の終わり、祖母を亡くし、

そして、

9月に、父が、逝ってしまった。
 

私の2021年を語ろうとすると、父のことについて触れない訳にはいかないんだけれど、父を思い出すだけで堰を切ったように涙が溢れてしまう。本気で嗚咽するくらい泣いてしまうし、苦しくて、情けなくて、ずっと書けないでいた。
悲しいというより、どうしようも無く寂しくなってしまう。その寂しさと向き合う覚悟がなかなかつかなかった。

どうしようもなく父が恋しい。会いたい。もっとたくさん話をすればよかった。行きたいと言った場所に連れて行ってあげればよかった。

溢れるのは寂しさと自責の念ばかりで、すぐに胸が苦しくなって涙として溢れ出してしまう。
寂しさに溺れてしまう自分が情けないとも思う。
この先こんな感情を背負って生きていかなければいけない、そう思うととにかく憂鬱だ。


父の死について、本当は詳細に残して置こうと思ったのだけれど、やめた。父が死んだ時のことを、その日から今まで何度も何度も思い出しては自傷行為みたいに心を傷つけて、文字にしたらもう立ち直れなくなってしまいそうだから。
ひとつ残すとしたら、私は父が息を引き取る瞬間を見届けたし、1番上の兄も、少し遠くに住んでいる2番目の兄も父の死に目に会えた。(意識の無くなった父は、兄が家に着くまで頑張って生きてくれていた) それだけでじゅうぶん、奇跡みたいな事だった。


父が死んでしばらくして、ある日の夢に父がでてきた。

父は生前、お風呂から上がると自室に戻る前に、台所のテーブルについて休憩していた。その時間に私もテーブルを挟んで父の話し相手をするのが日課になっていた。夢の中でも台所で、いつものように父と向き合ってたわいのない話をしていた。夢の中の私は父が死んだことをわかっていて、でも、いつもと変わらない会話をしていた。

それで、いつものように「もう寝るか」と言って、父が2階の自室に戻ろうとした。それはほんとうに、いつも通りの、日常だった。
夢の中の私は、うん、と言って、父の大きくて綺麗な手をとった。「お父さん、大好きだよ。大好きだからね」と、まっすぐ父の目を見て言った。
父は、笑っていた。ただ、その目はすこし潤んで見えた。泣き出しそうな顔で、それは私が今まで、見たことがない父の表情だった。

そこで私は目が覚めた。

いつもと変わらない自分の布団。父の手を握った感触が、まだ自分の手に残っているようだった。私はどうしようもなく寂しくて泣いた。きっと父も寂しかったんだろう。死んだ母も、祖父も、祖母も、一度も夢に出てきたことなんてなかったのに、父はこんなに早く会いに来た。
夢の中でも、最後に父の手に触れた。父が死ぬ間際も私はずっと父の手を握っていた。私は父の手が大好きだ。大きくて、でも細くてシュッとした指で、入院中もよく看護師さんに綺麗な手だと褒められていた。私の手はあまり父には似てないけれど、それでも女にしてはちょっと大きくて、男っぽくて、父の手を思い出せる。自分のてのひらを見つめると、そこに父が宿っているみたいに感じるのだ。

その夢は、父とのお別れの儀式みたいだった。
まだまだ父を思い出すと寂しいけど、父はきっと私の中にも居る。寂しがりの父がひとりで大人しく天国にいるわけも無い。あ、でも、天国で20数年ぶりに母に会えてるといいな。愛した人に先立たれて、こんなに頑張ってきたんだから。私や兄達の成長を、母に伝えていて欲しい。





年末にこれを書いて、ずっと続きを書かなければ、と思ってトライしては諦めて、を繰り返していた。
これを書きたかったのは私の記録のためで、父との寂しさを断ち切るための儀式みたいなものだったけれど、寂しさなんて、多分生きてる限り無くならないと思う。現に今も、これを読み返してちょっと加筆しただけで、阿呆みたいに泣けてくるのだ。
身近な人の死を受け入れるのに、少なくとも半年はかかるよ、とどこかで聞いたことがある。心の整理がついてくるのが半年だと。

父の居ない我が家は今1番上の兄と、猫と、亀の4人暮らし。猫は祖母と父がいなくなってから、私の部屋に入り浸るようになった。単純に私の部屋が暖かいからかもしれないけれど、一緒に寝てくれても、話し相手にはなってくれない。
私は結構おしゃべり好きで、どうでもいいことでもなんでもいいから、とにかく誰かと話したいという欲求が強い。それは父に似ていて、父といちばん対等に話をしていたのは私だったと思う。父は口が悪くて、偉そうで、理屈臭くて、自分の興味がある話しかしない。私にもそういう所があって、だからこそ父のことをすごく憎んだ時期もあった。父もその頃、私とのコミュニケーションを持て余していたと思う。結局、似た者同士だった。

ああ、お父さんと話したいな。

寂しくて観葉植物をたくさん買ってしまうこと、もねが一緒に寝るとき体の一部を私にくっつけていてとても可愛いこと、お客さんに結婚相手を本気で紹介されそうになったこと、父が好きな横山剣のカヴァーアルバムが私もとても好きなこと。
父が興味なくても私は一方的に話して、父も私が興味無い素振りでもお構い無しでしゃべる。そんなふうに接してくれる人は、きっとこの先の人生で現れることはないだろう。

私は、私の人生において、とてつもなく大きなものを喪ってしまった。

この喪失感が果たして半年ぽっちで薄まるんだろうか。

ちょうど次の父の誕生日の頃、父が死んで半年を迎える。その頃にまた、父や家族について書けたらいいなと思う。