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自己嫌悪上等という話
あなたは自分のこと好きですか。
私は嫌いです、ええ。とても嫌い。
もしかしたら、私以外の多くの人には「自分を好きか嫌いか」という概念がそもそもないのかもしれない。自己嫌悪という言葉はあるものの、人は常に好きとか嫌いとかを自分に対してそんなに考えたりしていないのかも。自分が起こしてしまった失敗に対して「ああ、本当に私はダメな奴だ」という感情をもてば、それは自己嫌悪ではあるものの、だからと言ってその失敗が自己の評価のすべてに繋がる訳ではない。ただの失敗ひとつで自分を嫌いになってしまったら、そんなもんこの先人生やって行けねぇ。
では逆に、自分大好き!という人間はいるのだろうか。
個人の感覚だが、「ああ自分嫌いだ。ほんと嫌になる」という人はいるものの、「私ほんとに自分好き!!私の人生最高!」なんて公に口に出す人って、なかなか会ったことがない。多くの人は自分のことに対して「好き」と思えることはないんじゃないか。どちらかというとネガティブな感情を持つことの方が多いのではないか、と勝手に思っている。
それはきっと、人の心が満たされることが、なかなか難しいことだから。
「好き」という感情は、なにかに心が満たされ、溢れた時に出るものだ。人への好きも、物への好きも、食べ物への好きも。ああ、私この人と会えるとしあわせだわ。さみしくないわ。きっとそういう、心が満たされる感覚を味わえるものに対して「好き」という気持ちを持つのだと思う。 己に対して、すべてが満たされることは稀だ。だから、自分大好き!という人間はなかなか居ないのではないか。
私はというと、ずっと、それこそ幼少期からずっと、「自分嫌い」だ。
本当に私はだめだ、ブスだし、頭も性格も悪い。人に好かれるわけがない。こんな自分なんの役にも立たない。何か失敗をしたとき、恥ずかしい思いをしたとき、自分が思うように振る舞えなかったとき、まず自分を否定して嫌うところから思考が進んでしまう。
これはもはや癖みたいなものだと思う。
ひとつ成功したとしても、もっとやれた、本当はこうしたかった、が次から次へと出てきてしまう。あの時の私格好悪かったなぁとか、あの一言は余計だったんじゃないかなぁとか。うまくいったとしても、脳内ではいつでも反省会。そして自己否定。自己嫌悪。成功して調子に乗ってる自分ですら気持ち悪くなってしまう。
だからこそ、「このままではだめだ」と思える。自分を嫌って否定し続けたままでは生きていけない。どこかで歯止めをかけて、嫌いなら、せめて少しでもマシだと思える自分になるにはどうしたらいいか、考えて動くしかない。
20代の半ばから、たぶん、その頃から今までで経験した人間関係やら家庭関係やらいろいろなことがきっかけで、自己否定し続けていた私の思考が少しずつ、変わっていった。
自分のことを好きだと思えない私は、きっとまだ満たされたことがないだけなのだ。
そう思えるようになった最近、すこし気持ちが楽になった。満たされていない私は、きっとまだまだたくさんのことを、心に取り入れることが出来る。見た目が嫌いならばすこしでも好きに近づけるように努力すればいい。スキンケアとか、お化粧の練習とか、やれることはたくさんある。つまり、自分にはまだ伸びしろがあるということだ。
自分が嫌いなら、自分以外の何かで自分を満たすしかない。人でも物でもいい。好きな服を着るとすこし自信が持てるならそうすればいい。
もし、私が自分のことを好きだったなら、自分以外の何かに今ほど目を向けていることはなかったかもしれない。大好きな古着に目を向けることもなく、音楽が心の栄養になることも知らないまま、甘んじて現状を受け入れて過ごしていたかもしれない。そんな人生を送るくらいならば、私は、自分を嫌いな自分でいた方がよっぽど楽しい。
いつだったか、まだ自己嫌悪と折り合いを付つけられていなかった頃、当時付き合っていた人に、投げかけられた歌詞がある。
『自分を嫌えば許される それは間違い
自意識が過剰 そもそも嫌えていない』
私が愛するBUMP OF CHIKENの曲、イノセントの一節だ。その頃の私はとにかく、何かがあれば自分を責め、でもそんな自分を嫌いにならないで欲しい、と彼に泣いて懇願するような本当にめんどくさい女だった。この歌詞を投げられた時、頭を殴られたような衝撃を受けた。
自分を嫌うこと、何かの責任が全て自分にあると思うこと、自分が悪いと思うこと、それは本当に自意識が過剰でないとできない。意識が自分に向いているからこそ、自分を責めることのほうがずっと簡単なのだ。その方法は、当時の私にとって、自分を守るひとつの術だったのだと思う。
自分を嫌うことは悪いことではない。
少なくとも、私にとっては。
だって、自分を嫌いだからこそこんなにも自分について考えられるのだし、大好きなものをたくさん身につけて、見つけられるから。それに、嫌いな自分と一緒にいてくれる、こんなどうしようもない私を大切にしてくれる人たちを、もっともっと大切にしなきゃと思えるから。
私の人生は、私自身を好きになるための旅なんだ。
大好きなあれもこれもそれも、これを読んでくれたあなたも、あなたがいてくれるお陰で私は私自身をすこしだけ好きになれます。
自己嫌悪上等。
嫌いな自分を武装してあげるために、たくさんの好きを集めていこう。
次は好きなことについて書こうかな。