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おばあちゃん

すこしセンチメンタルなお話です。

うっ、てなっちゃう人は、元気な時に読んで欲しいです。





うちには母親がいません。

私が小学校1年生の時にがんで亡くなりました。


まだ小学生の子供を3人も残して、ひとり息子に遠くから嫁いでくれた義娘がいなくなってしまいました。責任感のとても強かった祖母は、私たち兄妹を厳しく育て、末の孫娘の私にはとりわけ愛情をくれました。

あの家は母親がいない家だから、子供たちもあんなんだ、なんて言われないように。私たちが母親なしでも強く生きられるように。厳しく優しく、料理が苦手な祖母なりに、高校生のころには毎日お弁当も作ってくれて。スーパーの惣菜や冷凍食品ばかりだったけど、それでも嬉しかったです。

そんな祖母は、わりと早くに認知症になりました。

耳が遠くなって、すぐに忘れてしまって、同じ話ばかりする。少しでも帰りが遅くなると、携帯に電話がかかって来ました。認知症が進んで電話がうまくかけられなくなってからも、「電話したのに!なんででないの!」と怒られました。その度に、その心配が、私の心を掻き乱してたくさん怒鳴ってしまいました。イライラが頂点に達した私は、携帯を投げて家のガラスを割ったこともあります。その頃には祖母の認知症はそれなりにひどくなっていて、でも、ブチ切れで癇癪を起こした私に、「ごめんなぁ、おばあちゃんはあんたが心配でなぁ…ごめんなぁ」と何度も謝りました。

謝らなければいけないのは私の方だったのに。こんなに心配されて、大切にされて、愛情をもらっていたのに。あの頃の私は、あなたを鬱陶しいとさえ思ってしまっていた。


祖母は、もうすぐ92歳になります。認知症は随分進んでしまって、ひとりで着替えることや、歩くことができません。私をみても、「しま子か?」と、戦争後はやくに亡くなった自分の妹の名前を言います。そんな祖母の着替えを手伝うのや、リハビリパンツを変えるのが私の毎日です。

まだリハビリパンツに慣れなかった頃、粗相をしてトイレや服を汚してしまう祖母のことも、たくさん怒ってしまいました。私だけではなく、同居している私の父や兄も、たくさん祖母のことを怒鳴りました。

数年前の祖母は、認知症の影響で怒りの感情がよく出てしまいやすく、父や兄と喧嘩しては「もう生きていたくない」と言いました。

ある日、私は些細なことで祖母を怒鳴り、祖母が泣きながら「もう生きていたくない。殺してくれ」と言ったことが、あって。積み重なった介護のイライラや、同時期に病気になった父へのストレスが引き金になり、気づいたら祖母の体に馬乗りになっていました。そうして、祖母の細くなってしまった首に手をかけて、ああ、いっそこのまま楽にしてあげた方がいいんじゃないか、と恐ろしい考えが過りました。この人と私が死ねば、2人とも苦しまないで済む、と本気で思ってしまったのです。

祖母と目が合った私は、思いとどまって怒りを収め、ごめんね、と謝りました。

それからすこし、祖母の事をもう少し優しくみてあげよう、と思いました。



そんなこんなあって。今日。

最近の祖母の不調をみてもらいに行った大きな病院で、色々な検査の後、医者に言われた言葉です。


「老衰、って言うんですよ。食べられないっていうのは、老いた動物として自然なことで。もう、してあげられることは、なにもないです。」


祖母は、少し前からご飯が食べられなくなりました。

以前は、多少の体調不良があっても、食欲だけは落ちなかった。戦前生まれだから、認知症はあっても体は強くて。何度か転んで骨折をしても、ちゃんと歩けるまでに回復していました。

そんな祖母の脚が、今はとても浮腫んでしまっていて。

綺麗な手も、指輪がめり込むくらいぶくぶくで。

タンパク質がとれない体は、細胞壁が壊れて、水分が徐々に染み出して。手足が浮腫んだり、胸や腹にも水が溜まってしまっていました。そういえば最近、祖母を動かす時に少し重たくなった気がする。検査のために図った体重は思っていたよりも5キロくらい重くて、それは体の中で漏れだした水分のためでした。

老いた祖母の体は、食べられなくなって、少しずつ少しずつ、機能するのをやめていました。

それを聞いた私は、泣くでもなく、悲しむでもなく、ああそういう事だ、と、とても納得して。そして少し、ほっとしました。

ああ、これでおばあちゃんは、ゆっくりゆっくり、本当の休息に向かえるのだ、と。


静かに終わりが来るのならば、それが一番いい。機能するのをやめようとする体を無理に長らえるくらいなら、なるべく苦痛を取り除きながら、自然に任せてあげるほうが、祖母のためなんだ、と。

おばあちゃん、もう疲れちゃったよね。たぶんずいぶん前から。

あなたが、大切な一人息子や、可愛がっていた孫たちに怒鳴られているのを見る度、私は「この人はこんなふうにされて死ぬのか。そんな終わり方でいいのか」って、何度も考えたよ。

それなら、いっそ私の手で、と、何度か思ったよ。


祖母の汚れたパンツを替えるのも、お尻を拭くのも、少しも苦ではないとは言いきれないですが、そこまでしんどい事ではありません。

学校へ行けなかった時は何度もお尻を叩かれたけど、祖母の親としての責任を果たすための行動だと、今では理解出来るから、すこしも恨んではいません。

祖母の残された時間の中、私があげられるものは、本当に僅かしかない。本当は自分に費やせるはずだった老後の時間を、祖母は私たち孫のために使ってくれました。

そう思えば、私の今の時間を、祖母に使ってあげたっていい。

そう思えるようにもなりました。



私は、おばあちゃんの綺麗な手を、まだ温かいうちに、何度も握ってあげたい。

誰もわからなくなってしまったおばあちゃんの目を覗き込むと、表情の乏しくなった顔で、ほんの少しだけ笑顔を作ろうとしてくれる。

私の名前を呼ばなくても、きっと私だとわかってくれている。

そんな時間を、一瞬でも長く続けていきたい。



どうしてもしんどくて、吐き出さずにはいられませんでした。人はいつか死にます。絶対に死にます。

お別れの時にあまり後悔しないように。死について考えることもたまには必要だな、と思いました。

永遠なんてない。だから今が愛しいです。使い古された言葉だけど、本当にそう。