『否定』

この言葉を見る度に少し、重たい気持ちになる。

ネットが発展し、正しいと言われる情報や比較を容易に出来るようになった。

同時に、他者とのコミュニケーションのハードルはかなり下がったと思う。

容姿に劣等感、声に劣等感を感じる人は、この文字でのコミュニケーションは救いなんだと思う。

その裏で、要らない正義や自身の意見の勝利を求めるようになった。

私は正しい。ゆえに勝たねばならない。

僕は、世界がそんなにも危なく、人を陥れる場所とは思わない。そういう人がいないとは言わないけど、万人がそうとは言わない。

というか、そんな人と付き合ってたいと思わない。

誰かの仕事を評価し、否定する。(そんなつもりがないことは多々あるだろうけど。)

そうやって、たくさんの人が勇気をくじかれてる。そーすると、みんな言ったことがある。

『もーいいや』に発展する。

何を言っても伝わらず、聞く耳はもってもらえず、否定されて、尊厳を傷つけられるくらいなら、何も言わない方がいいと。

もっと優しくあって欲しい。

僕は、優しく、思いやって生きていこうと思う。怖いさ。足取りが軽くはないけど、自分の子供がいた時に、胸をはれるようにしたいよね。

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