僕と君の日記

花屋/フラワーデザイナー ハンドメイドレジン作家 まれにイラスト 世界一幸せな花屋を…

僕と君の日記

花屋/フラワーデザイナー ハンドメイドレジン作家 まれにイラスト 世界一幸せな花屋を 目指して毎日幸せとは何かを 模索中。花屋のことや 幸せなこと、彼女との 何気ない日常を投稿しようと思ってます。

最近の記事

noteの再開

ルーティンのひとつに入れてみたいnoteの更新。何回かやってみたけど朝の更新は今の僕だと難しいのでお昼にやろうと思う。 そこで僕が話す内容は 世界一僕がかわええと思う彼女さんのこと お仕事のお花屋さんのこと https://www.instagram.com/hanatumugi_official

    • お出かけ【僕】

      久しぶりに彼女ちゃんとお出かけ。 かれこれ2ヶ月ぶりくらいになったのかな。 介護の仕事にも復帰して、結構順調みたい。 画像あげたいけど めちゃくちゃお顔が写ってたのでこれは、大事にしまっておこう。 手を繋いでみたり、パン屋さん巡ったり、なんだかんだ2人らしいデートやったなー 誕生日おめでとう。去年は直接祝えなかったから、直接会って言えるのは嬉しいね。笑ってるところ見れるし。 ほんと、めちゃくちゃ好きで、幸せやな。

      • 『愛の課題』

        アドラー心理学における最も難しい課題。ただし、これが良好だと全てが好転するようなそんな課題。 こうも、言っていた。愛の課題は「二人で幸福なる生(人生)を成し遂げること。」 そして、私を優先するのでもなく、相手を優先するのでもなく、私たち二人にとっての幸せを一番に考えること。 そして、さらに幸せとは貢献感である。共同体(愛するあなた)にとって有益なことをしたと感じること。ただし、自己犠牲はしてはならない。 つまり、ありのままの自分で(今日の自分のコンディション)で無理な

        • 【これ以上下がることはない】

          伝えられない想いがある。 届かない想いがある。 好きもありがとうも届かないことがあることを知ってしまった。 主観の世界に生きるとは、受け取る側の状況、状態で、解釈されること、突っぱねられることを知れた。 悲しいさ、寂しいし、痛い。 僕にとって、それが唯一、君の為になってると思ってたことが 僕の思い違いだったわけだから。 アドラーの問題行動の5段階目は 無力の証明。 私は無価値だ。と周りに知らしめたい状態。つまり、価値を与えようとする者や言葉は、弾かれる。

          『否定』

          この言葉を見る度に少し、重たい気持ちになる。 ネットが発展し、正しいと言われる情報や比較を容易に出来るようになった。 同時に、他者とのコミュニケーションのハードルはかなり下がったと思う。 容姿に劣等感、声に劣等感を感じる人は、この文字でのコミュニケーションは救いなんだと思う。 その裏で、要らない正義や自身の意見の勝利を求めるようになった。 私は正しい。ゆえに勝たねばならない。 僕は、世界がそんなにも危なく、人を陥れる場所とは思わない。そういう人がいないとは言わない

          『後悔なく生きる』

          明日死んでも大丈夫! そう心から言えた時期があった。並々ならぬ底知れぬ謎の自信。 前に進んでる感覚と貢献感。 今、僕はちゃんと前を歩けてる? それとも全力でかけて疲れてちょっと休憩。みたいなかんじなのかな。 そうだと少し心が助かりそうw

          『後悔なく生きる』

          『不幸を選んだのも自分』

          改善する努力をしているだろうか。 その努力をどんな思いで行っているだろうか。 弱さを認めたつもりになってる自分がいる。 弱さを未熟さを見せたくない自分がいる。 なんでと何度も聞いても 今回は答えがまだ帰ってこない。

          『不幸を選んだのも自分』

          『あなたはどんな人でありたい?』

          完璧超人にはなれない。 だけど、これとこれとこれは出来なきゃいけない!みたいなのがある。 僕は、一言集約するなら 『嘘をつかない自分でありたい』 誰と居たい、こんなことがしたい、でも僕はこれがしたい、これをやってみたい。この人が好き。この人とは一緒にいたくない。 プラスの面は、案外見つけられる。だけど、マイナスの面は、ずっーと奥にしまってたりなんなら南京錠がかけられてたりする。 こんなことしたくない、こんな自分じゃダメなんだ!(だけど...)人を疑いたくない、でも

          『あなたはどんな人でありたい?』

          『ありがとう』

          僕は、普段から彼女に小さなことでもありがとうを言うようにしてた。 LINEするのが苦手な彼女が、朝、挨拶を返してくれること。おやすみと伝えてくれること。頑張ってくれてるんだろうなーって、それにありがとうって。 だけど、彼女ちゃんはメンタルダウンすると人との付き合いを減らそうとする。 そして、言われた。 気を使って、ありがとうって言ってくれてるのか、本当に思って伝えてるのか分からないけど、しんどい時があるって。 僕は、アドラーを知り、アドラー心理学を実践していた。本当

          『ありがとう』

          『受けとった後のこと』

          「ありがとう」「好き」とかなんだか照れくさい言葉がある。 人の悩みは全て対人関係の悩みというアドラー。 今、思うと、この「ありがとう」とか「好き」は、対人関係に踏み入れる勇気をくれる。だけど、ガス欠時、まだ勇気が足りないってとき、人は、こんな私に「ありがとう」「好き」なんて言う人なんか... って、踏み込まない、踏み込みたくない。そんな気持ちなんだと思う。 でも、そうなる相手の気持ちを考えたら、そうだよね。って思える。 余裕のない自分で、傷つくことも、なにより向き合

          『受けとった後のこと』

          『ゆっくりと快晴へ』

          自分を変える。 一瞬で心が軽くなることもあれば、それが月単位の時間が必要なこともある。 毎日研鑽して、無敵モードになっても、たまには、どうしようもなく沈むことがある。そんな時、どうやって、無敵モードに入ったんだっけ。と忘れることがある。 ぶれない心作り。今度は、どのくらい時間がかかるんだろ。長いかもしれないし、短いかもしれない。

          『ゆっくりと快晴へ』

          『理想の自分と劣等感』

          誰かを救うことは出来ない。 自分を変えるのは、自分で。相手は、相手じゃないと変われない。 だけども、支えられる人でありたかったのかなって思う。 彼女が人1倍頑張ってることを知ってた。仕事に行く時に「(...1日分なんとか頑張ろう)」ってしてたこと。 一度休職を頂いて、少し元気になってからまた行こうと考えてたこと。 休職が終わる2日前に、一年なかった営みをしたこと。少しずつ彼女の中でたくさんの勇気で満たされて行くのを実感して、その日、ずっと僕が幸せそうに笑ってたこと。

          『理想の自分と劣等感』

          『全ては鏡ね。』

          専門学生をしていた頃の恩師がよく話してくれた。万集は皆、鏡であること。 その、深いところにたどり着こうとしてるのかもしれないとも思う。 僕は、自分の心が弱くなると誰かに頼まれてもいない意見をしたがる(彼女さんごめんね) これ、もしかすると自分に対して本当は言ってやりたいことなのかもしれないって、ついさっき思った。 頑張ってるよってこと。色んな気持ちを自分に添加してみる。やりたかったことはなんだろう。どんな自分になりたい(でありたい)か。どんな二人で、どんな風に付き合い

          『全ては鏡ね。』

          『心(人生のあり方)の更新』

          それが本当に最良なのか。疑うことがある。そして、その都度、考えを更新しようとしてる。この時、小さからず今までの考え方を一部破棄することになる。とても勇気がいる 最良の別れと共同体感覚そして、自己受容~他者貢献。 本当は伝えたいこと。小さな約束をして、その期間は連絡が取れない。もし、明日にでも亡くなったとして最良の別れなのだろうか。出来るだけのことをしたと僕は言えるだろうか。 アドラーの厳しさと対峙している僕がいる。

          『心(人生のあり方)の更新』

          『世界観とありがとう』

          (あの人は、私より◯◯) (あの人は◯◯だから、□□なんだ。) (こんな私だから◯◯ない) 楽観的、悲観的って言葉がある。でも、どちらもあんまり、よく使われてない気がする。 楽観的は、おっぺけぺー 悲観的は、ネガティブ みたいなね。 でも、僕は、この言葉は 「世界をどのように観ているか」=世界観だと思う。 楽し

          『世界観とありがとう』

          『愛すること難しさ』

          ちょっとのことで好転することもあれば、小さなことで悪い方向にスタスタ...って歩みを進めることもある。 花屋で現在僕は、休職中。 母の日まであと、1週間ほど。 何も出来ずに立ち尽くしてる自分がいる。 あんまり、趣味ってほどの趣味がない。というか花が好きで花屋をしてるから、お花に触れないと気持ちがすこぶる沈む。 そうなると、周りに気持ちや余裕を分けられなくなる。まさに今それ。 彼女にはどうしようもなく会いたくな

          『愛すること難しさ』