『世界観とありがとう』

(あの人は、私より◯◯)

(あの人は◯◯だから、□□なんだ。)

(こんな私だから◯◯ない)

楽観的、悲観的って言葉がある。でも、どちらもあんまり、よく使われてない気がする。

楽観的は、おっぺけぺー                                      悲観的は、ネガティブ     みたいなね。

でも、僕は、この言葉は                                      「世界をどのように観ているか」=世界観だと思う。

楽しく世界を見てる人、悲しく世界を見てる人。                                                                          楽しいと明るくなる。悲しいと暗くなるように、世界をどう見てるかで、生き方すら変わると思う。周りは、協力してくれる仲間になったり、あるいは、機会を伺って陥れる人たち。

そして、根幹に流れるのは                                  信じることと疑うことだと思う。                      人を信じたら、色んな言葉を素直に受け取れる。疑えば、そんなのは嘘だと、好意や感謝も、はね除けることになる。

相手をよく観察してどんな人なんだろうと考えることは、素敵なことだと思うけど。          疑って、ありがとうや好きを受け取らないのは、相手に対しても失礼だけど、何よりも自己価値を落としてる証拠だと思う。                そんなことを言われるほどに価値がない。大したことじゃない。という世界観が隠されてる。

何より、この世界観は、自分だけじゃなく相手にも適応される。

そんなちょっとのことには、ありがとうと言わない。好きと伝えない。なんだか、そういうのは、すごく寂しいなって感じる。

ありがとうを伝えた側はすごく寂しいと思う。それを受け取り拒否されたのかって。

世界観が相手にも自分にも適応されるからこそ、自分を信じなさいって言葉が生まれるんだと思う。自分の価値を信じてあげれば、相手を信じられるようになる。そしたら、ありがとうも好きも、受け入れられる。

ありがとうって言葉は、貢献=(誰かの為になった)に対する返事なのだから。何かしなきゃ、生まれないんだよね。

自分を信じてあげて。僕の大切な人。              どうか、ありがとうや好きを受け取れる、あなたになって欲しいと僕は願うよ。そして、信じるよ。

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