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燈花火 (とうはなび)

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燈花火                   

                           花宮てまり


 夏のある日、幸輝(こうき)は寝苦しさを感じ、夜中に目を覚ました。部屋はまだ暗く、スマホを見ると夜中の二時二十分を指していた。
最近は夢見が悪い。大体いつも砂漠の真ん中に一人ぼっちでいて、地面に膝をつき砂を両手で掘り、何かを一生懸命探している夢だ。あるときは水、またある時は宝物、汗だくになりながらどれだけ掘っても何も見つからない夢。疲れて失望感に襲われる夢。
そして夜中に目が覚める。

 ゆっくりと起き上がり部屋を出て、音を立てないように静かに階段を下りていった。台所へ行き暗闇の中、手探りで冷蔵庫を開けた。冷蔵庫のオレンジ色の光だけが辺りを照らしていた。冷たい水を出して一口飲むと、冷たい水が喉を通り体に広がっていくのが分かった。
足元に柔らかさを感じ、下を見るとリビングで寝ていた猫が目を覚まし、幸輝を見上げながら嬉しそうにすり寄ってきていた。
「あ、起こしちゃったか、ごめんごめん」
優しく頭を撫でると幸せそうにノドをゴロゴロと鳴らしていた。この猫は昔、幸輝が小学校低学年だった頃に拾ってきた猫だ。雨の中びしょ濡れになりヨチヨチと道路を渡ろうとしていたのを幸輝が助けたのだった。家に連れて帰ってくると、
「なんでそんな汚い子拾ってくるの!元の場所に戻してきなさい!」
動物嫌いの母はすぐに子猫を捨ててくるように言った。
「そんな事できるわけないじゃん!今捨てたらこの子死んじゃうよ!」
「誰か他の人が拾ってくれるから大丈夫!」
「もしも拾ってくれなかったら、どうするんだよ!」
泣きながら拒否する幸輝を見ていた祖父が
「まあまあ、わしと幸輝でこの猫の面倒は見るから」
と母に色々と交渉してくれ、この猫は無事に家族の一員となったのだ。

 リビングのドアを開け静かに自分の部屋に戻ろうとした時、階段そばの祖父母の部屋から祖父が喋っている声が聞こえた。
「じいちゃん?」
ふすまを開けて声をかけてみたけど、部屋は小さな電気がついているだけで薄暗く、祖父の静かな寝息だけが聞こえてきた。
「なんだ、寝言か」
一年前に祖母が亡くなって、その数か月後から祖父の様子がおかしくなっていった。一日何時間も壁の一点をボーっと見つめ続けていたり、何時間も仏壇に向かって話しかけては、よく
「ばあさんの所へ行きたいな……」
とつぶやいていた。祖父と祖母はとても仲が良く、どこへ行くにも大体いつも一緒だった。

家族が祖父を病院に連れて行くと、そこまで酷くはないが鬱と痴呆が出てきていると言われた。その頃から祖父は自分の部屋で一人でテレビを見たりして過ごす事が多くなった。食事も部屋で食べることが増えていった。
仕事で両親が忙しく、あまり家族みんなで一緒に食事をする事が少なかったので、普段はダイニングで幸輝と祖父の二人で食事をする事が多かった。祖父が食事を部屋で食べることが増えてからは、幸輝は一人で食事をしていた。祖父と二人で食事をしていた時も、幸輝は食事中にテレビを見ているかスマホをいじっており、祖父との会話はあまりなく、気まずくなっていたので、祖父にとっては祖母の仏壇が置いてある祖父母の部屋の方が落ち着くのだろう。
小さな声で祖父に「おやすみ」を言い、静かにふすまを閉めて自分の部屋へ戻り、再び眠りについた。
 
 
 翌朝、うっかり二度寝をし、寝坊をしてしまった。高校は少し遠いので、朝食を食べる時間もない位にギリギリだ。ドタバタと急いで着替えをした。急いでいる時にかぎってネクタイが上手く結べない。カバンをつかみ教科書を投げ入れ、大きな音をさせて階段を下り、リビングにいた家族に
「行ってきます!」
と挨拶をし玄関で急ぎ靴を履いた。慌てた様子で祖父が朝食のトーストにジャムを塗り、玄関に持って来て
「幸輝や」
と声をかけトーストを渡そうとした。幸輝は急いでいたので
「そんなのいらないから!」
と強く言い祖父の手を振りほどいた瞬間、トーストは地面に落ちた。そのまま家を出た幸輝の背中で祖父が何か喋っていたが聞こえなかった。

 * * * * * * *

 体育の時間、みんなが走っているのを校庭の隅で見ていた。日影がなく頭のてっぺんが熱くなっていた。小さな頃から体が強い方ではなく、免疫力や抵抗力が低いので、よく熱を出すし、感染症にかかり体調を崩す。走ると時々心臓が痛くなる。詳しく言うと心臓から背中の右上肩甲骨辺りまで細い矢が刺さっているように痛み、喉を絞められているように痛く、苦しくなる。だから体育の授業は時々こうして見学をしていた。
周りからはどう思われているのだろうか。もしかしたら、サボってばかりでずるい奴だと思われているのかもしれない。そんな事を思いながら、クラスメイトを眺めたり、空に目を向けたりして、暇を持て余していた。

 その日最後の授業では、進路希望のプリントを渡された。なりたい職業をいくつか書き、それになるために必要な学部や学科を詳しく調べて書き込まないといけない。
「今の時期から自分の進路についてしっかりと考えて、候補をいくつか挙げておくんだぞ。この授業の終わりに回収するからなー」
先生はそう言った。
「どこの大学行く?」
「この大学は評判良いよね!」
クラスメイトは楽しそうに話したり、プリントを書く手が進んでいた。幸輝は何を書いたら良いのか分からず、手が止まっていた。なりたいものなんて何もなかった。自分には何の才能もないし、情熱もないし、そもそも健康な大人になれるかだって微妙だ。どんなに望んだって、頑張ったって叶わない事だってある。幸輝という名前は、祖父が幸輝の幸福な輝く未来を願ってつけたのだが、幸輝は自分に幸福な輝く未来が待っているとは到底思えなかった。健康で自分がちゃんと大人になれると信じて疑わない周りが羨ましかった。
小さい頃は望めば何にでもなれると思っていた。空すら飛べるかもしれないと思っていたのに……。
窓から涼しい風が吹いてきた。窓際の一番後ろの席の幸輝は、視線をプリントから窓の外へと向けると、綺麗な水色の空が広がっていた。鳥たちが数羽で楽しそうに飛んでいた。空は平和そのものだった。
ふと下の街へ目をやると、少し離れた歩道橋の真ん中に学生服を着た女の子らしき人物が見えた。ずっと歩道橋下の道路を見ているようだった。何を見ているのだろうと不思議に思った。

 学校からの帰り道、さっきの歩道橋のそばを通った。中学生くらいの女の子はまだ歩道橋の真ん中にいた。歩道橋の手すりを持ち、少しのぼり下を覗き込むように眺めては、手すりから歩道橋の少し奥に戻りうつむく、を繰り返していた。少し気になりはしたが、知り合いでもないのでその場を離れた。しばらくすると雨がポツリポツリと降り始めた。
『少し降ってきたな。急いで帰らないと』
そう思い、足を早めた。だが、雨はすぐに激しくなってしまった。街の人々は折りたたみ傘を取り出し傘をさしたりしていた。中には傘を忘れたのかカバンを頭の上に置いて走る人や、雨宿りをしている人もいた。そういえば、朝、祖父がトーストと一緒に傘を幸輝に差し出していたことを思い出した。祖父の話を聞かずに朝は家を出てしまったが、その時に雨が降る事も伝えてくれていたのかもしれない。少し肌寒い中、雨でびしょ濡れになりながら帰り道を急いだ。運が悪くその日に限って全ての信号と踏切につかまってしまい、家に着くころにはすっかり体が冷え切ってしまいクシャミの連発だった。


 帰宅後、体が重く力が入らず酷い寒気がした。その日仕事が休みで家にいた母を呼び体温を測ると熱が少しあった。
「こんな雨の中傘もささないで帰ってきたから……」
「雨降るなんて知らなかったし」
「今朝、天気予報でやってたでしょ」
「そんなの急いでたから見てないし」

 ただの風邪かと思ったが、数日間食欲も全くなく、とうとう熱が四十度を超えたので、かかりつけの少し大きな病院へ母親が車で連れて行ってくれた。検査の結果、感染症だと分かり合併症を併発するのが心配なので入院する事に。約一年ぶりの入院。
最近は風邪を軽くひく程度で元気だったから安心していたが、その油断が駄目だったのかもしれない。もうすぐ熱は四十二度になりそうだった。体が辛くて入院着に着替えるのもしんどかった。母親に着替えを手伝ってもらい横になり点滴を始めた。頭がもうろうとする。まぶたが重くてあけていられなかった。

 何日間も高熱が続き、意識が途切れ途切れだった。お医者さんや看護師さん、父母が何回も話しかけてくれていたような気がするが、よく覚えていない。入院から一週間程たち、体はだいぶ楽になった。病室から見える街並みはいつもと何も変わっていなかった。
そう、自分がいてもいなくても世界は何も変わらない。何も変わらず毎日が過ぎていく・・・。
熱が上がったり下がったりしながら数週間入院し、やっと退院できた。

 * * * * * * *

 久しぶりの家の香りに『帰ってきた』と実感し安心した。母親は幸輝を家へ送り届けると
「ごめんね、お母さんもう仕事に戻らないといけないから。ご飯は冷蔵庫にあるから」
と再び仕事へと向かった。
夕食はもう用意してくれているらしい。

 幸輝が階段を上がり、部屋に入ると机の上にお菓子がいくつも置いてあった。祖父が好きなお菓子ばかりなので、恐らく祖父が机の上に置いて行ったのだろう。昔から忙しい両親に代わり祖父母が幸輝の面倒をよく見てくれていた。特に祖父は心配性であれこれと幸輝の世話をやいていた。小さい頃はお散歩で祖父と近所の身代り不動尊や公園へ二人でよく行った。不動尊でお揃いの人形のお守りを買ったり、おみくじをひいた思い出がある。お揃いのお守りは紐の部分が祖父は緑で幸輝は青で、とても気に入っていた。
幸輝が小学生の頃のある日、学校帰りに友達数人と空き地にランドセルを置き遊んでいたが、ランドセルの外側に付けていた祖父とお揃いのお守りを何かに引っ掛けてしまったのか、家へ帰るとランドセルに付けていたお守りがなくなっていたことがあった。お守りを失くしてしまい、落ち込む幸輝に、
「幸輝や、じいちゃんのお守りやるから。な?」
と、祖父が緑色の紐が付いた自分のお守りをくれた事があった。あの時に貰ったお守りはまだランドセルに付けたままどこかにあるだろう。祖父も以前はこの部屋にも時々来ては色々な話をしてくれたが、年を取り膝が痛くなり、持病が悪化し体調不良の日が多くなってからは段々と部屋へは来なくなっていた。机の上のお菓子は祖父が好きな物ばかりだが、幸輝の好みとは違った。幸輝は疲れたのでベッドに少し寝転がったが、そのまま眠ってしまった。

 次の日の夜、幸輝の街では空に花火が打ちあがる中、川で灯篭流しが行われる『燈花火(とうはなび)』と呼ばれるお盆の行事が行われていた。亡くなった方の魂を弔い、花火を打ち上げ灯篭を川に流す鎮魂の意味がある。
この花火大会は毎年家族で見に来ていた。今年は父親が仕事で忙しくて来れず、祖父は体調が悪いのか部屋から一切出てこなく、母親も気にする様子がなかったため、仕事から早く帰って来た母親と二人で花火大会を見に行った。会場に着いた時、思ったより人が少なく花火を見やすい場所に行くことができた。暗い夜空に明るい鮮やかな花火が次から次へと咲いていた。下に流れる川には色とりどりの花火が水面に映り、沢山の優しい灯りをともして灯籠が流れていた。
それを眺めていると、不意にひどい目眩がしてきた。周囲の風景がゆがんで見え、音がきこえなくなった。なぜか体も動かなくなった。『やばい!このままじゃ倒れる!』と思った瞬間、体の感覚がスッと元に戻った。
「おじいちゃんにも見せたかったわね」
と母親が言った。祖父は毎年燈花火をとても楽しみにしていた。若い頃から祖母と一緒に見ていたそうだ。花火大会が終わり、帰る頃、いつの間にか河川敷は沢山の人であふれていた。例年になくとても混んでいて知らない顔も多かったので隣町からも人が沢山来ていたのだろう。ただ、無表情な人が多かったのが少し気になった。

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