苦しさを見るか、楽しさを見るか。
苦あれば楽あり。
なかなか気付けない。
若い時はとにかく人生苦しいな。しかない。わからないことだらけで、自分がどんな人間か、なんてわかるわけもなく、
占い見たり
ファッション誌読んだり
小説を読んだり
友だちとあれこれ話したり
とにかくそれなりに模索するわけだ。そのデータは結果的にあてになる場合というのはとても少ないわけで。私が生きた時代から言えるのはまぁメディアがなぜかパソコンやアニメが好きな人を『オタク』と命名し、
『オタクはダサい。恥ずかしい存在だ』と定義した。背景としてある事件の存在があったのだが、日本の村社会としては
失敗したものを許さない。というアレで、すべてのパソコン好きとアニメ好きを排除する動きとして『オタク』と名称化したわけだ。それはオタクという踏み絵で、ほとんど隠れキリシタン的な感じで、隠れパソコンファンや隠れアニメファンみたいな?感じになっていった。のだが
海外ではピンポイントで、この2つのコンテンツは大ウケで、現在はドル箱産業になっているわけで。。。そういうので、メディアの動きは経済的予測としては
大はずれだった。
上記のようなことを見てきたので、メディアはあてにならないといえる。部分がある。
タイトルの
苦しさを見るか
楽しさを見るか
なんだけど、たいていこの2つはくるくる回っているのです。嫌なことの次はいいことのパターンなんですけど、ある一定期間嫌なことがつづいて、次にある一定期間良いことがつづく。という感じなわけで。そうしたら、『いいこと日記』みたいなやつがあるじゃないですか。
そういう生き方の方がいいと思いませんか?という話なんです。
まぁくるくる回っている中で、『今日は電車間に合った!よかった!』とか、その日ドイヒーだったとしても、電車に間に合ったことは良かったな。ということで。
楽しい日はもちろん楽しい日で。
要は、自分の人生を『楽しい人生を過ごしている』と騙す。それだけなんですけど、
実はこの話はつづきます。
つづく。
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