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「ありがとう」ってたくさん言いたい。

小さいころの私の口癖は「ごめんね」だった。

生まれつきの不器用さもあり、ミスばかりを繰り返していて、いろんな人から嫌悪感を丸出しにされ続けていたことが大きかったのかもしれない。

自分は気を付けているつもりでも、周りから見れば「当たり前のこともできないやつ」というレッテルを貼りつけて、それ相応の態度をとるなんてことは至極全うなことだった。

もちろん私はそんな空気を吸っているうちに、できない自分への失望感、周りの人の足を引っ張る息苦しさを覚えていた。

そんな私はいつからか「ごめんね」と謝ることが当たり前のようになっていた。

もちろん、これはネガティブな思いを相手にさせたことへの罪悪感からやってきたものでもあったが、自分の殻にこもるための常とう手段としてもつかっていた。

そうでもしなければ、また誰かを苦しめるだけのダメ人間になってしまう。
当たり前のことをしていなければならない。できない私が悪い。

そんな世界から一刻も目を背けたい気持ちがふつふつを沸き起こる。

また失敗してごめんね。
あなたに手を伸ばすことができなくてごめんね。
正直な気持ちを伝えられなくてごめんね。

そんな刺々しい気持ちを抱えて生きて早十数年。
私はYouTubeでとあるアニメに出会った。

「ポケットモンスター サン&ムーン 108話」

ある日突然YouTubeにポケモンのアニメが流れてきたのだ。

ポケモンのアニメなんてしばらく見ていないため、どんなストーリーなのか全くわからなかったが、どことなく興味をひかれたため、軽い気持ちで見てみた。

この話に出てくるマオとマオの母の話は涙なしで見ることができなかった。

「謝っているばかりのお母さんが嫌いだった」と亡き母への後悔の念を抱くマオのところが私に刺さり、とても苦しい。

そんな出来事もあり、奇跡的に再会した母と子の会話で私の心を大きく揺さぶる言葉ばかりだった。

二人は「ごめんね」からたくさんの「ありがとう」と感謝を言い合っていた。

後悔よりも感謝の気持ちを伝えるととても暖かい気持ちに、気が付けば画面が歪んでいた。
頬には、温かいものがとどめなく流れ続けている。

「ありがとう」ってこんな力があったんだ。
普段至極当然のようなことであったとしても、感謝をし続けることは、誰かの心だけではなく、自分のことも救うきっかけになるんだって。

軽い気持ちで使っていた言葉もいつの間に重く、深い意味を込められていたんだ。

私は「ごめんね」ばかり言っていたけれども、今度から「ありがとう」って言葉をたくさん届けていきたい。


できないことばかりに目を向けるんじゃなくて、少しでもできたことを感謝していきたい。



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