努力が出来るのは才能か【ブルーピリオド 9巻感想、雑記】

こんにちは、花坂もみじです。

本日1/21に、愛読しているブルーピリオドの新巻が発売されたので、日付が変わって早速購入しました。2021年にアニメ化も決まったとのことで、キャストの発表や今後の展開が待ち遠しいですね。
一部若干のネタバレ等含むと思いますので、気になる方はお気をつけ下さい。


最新巻について詳しい内容については割愛しますが、話の中で『努力が出来るのは才能か』という話題がありました。
私自身の意見としては、まさしくその通りだと思っていまして、その背景には自身が染まりやすく飽きやすい性格な事が由来していると思います。
気が弱く周りに流されることはあるのですが、継続して何かに打ち込むのが苦手で、色んなことに手を出しては中途半端なことが多くありました。
なので、長い期間継続して努力し続け、評価や結果を手にした友人や知人を見ると、羨ましくもあり、努力し続けられる事は才能だなと思って生きていました。
実際、世間で大成された方の多くは、たくさんの時間、労力、気力を尽くしたからこそ、その地位を確立されたとものと考えています。

ブルーピリオドの主人公 八虎はまさに努力の人で、周囲の天才だと思う人達との壁や差を感じながらも、それに立ち向かい、努力し続け成長していきました。
そんな八虎が作中で、『努力出来るのは才能』という言葉を投げかけられ、それは違うと強く反発します。
八虎にとって、『才能』とは生まれながらに持っているギフトで、先天的なもの。そして、それによる差を埋めるためのものが『努力』でした。
なので、『才能埋めるための方法=努力』が『才能』だと言われ、自身の努力で得たものが、先天的なもの=努力として認められなかった、と感じて反発した訳です。

この事は個人的に目から鱗でした。
今まで私は先述の通り、努力が出来る人こそが才ある人だと思い、それを称賛してきました。
努力を才能と言われることを、八虎の様に受け取ってしまう事にも、称賛したつもりが相手の逆鱗に触れている事にも驚きました。
実際、私自身このブルーピリオドという作品で、無謀とも思える努力をし続けられる八虎に対して、今回投げかけられた様に、努力することの出来る才能ある人だと思っていまして、今回のシーンでの八虎の心情が読み進めるまで、上手く理解できていませんでした。
これに対して作中では、そもそも論点がずれているとの解が提示されました。
努力をコストと見るか性質として見るかというずれが生じている点。そして、人は結果のみで判断してしまい、その背景や相手のことを広い視野で見れていないのでは無いかと提示がありました。
そして、落とし所としてまた別のキャラが『努力は才能ではなく環境だ』と新たな視点を提示して話は転換して行きました。

この様な新しい気づきがあり、9巻はとても印象的でした。
今回取り上げた話は、特にわかりやすく、才能と努力について触れていましたが、この二点は常にブルーピリオドに寄り添った題材だと感じています。(八虎、世田介、猫屋敷など然り。)今後も影の様に見え隠れするんだろうなと思います。
そして、ここまで複数のキャラの視点を描ける作者に驚嘆しています。
この先の展開もとても楽しみです。面白い作品をありがとうございます。

つらつらと隙あらば自分語りを書き殴ってしまいましたが、とても面白いのでみなさんブルーピリオドを読みましょう。
言われなくても既に読んでいるよという方、同士ですね。お会いできて嬉しいです。一緒に応援していきましょうね。

また、明日はゲームの事でも書こうと思います。
それでは

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