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凸凹ってどういうこと?

我が家の
ADHDの子どもたちも
早いもので気がついたら成人になっている

あんなことこんなこと
思い出はたくさん

発達しょうがいであろうとなかろうと
愛しい我が子であることにはなんら変わらず
ただただ可愛くて、愛しくて
自分の命よりも大切だった


わたし自身は母子家庭で育ったひとりっ子で
仕事のため家にはいない母の帰りを
いつも夕方の陽が落ちる頃になると
マンションの通路に出て
目の前の通りを行き交う人々の中を
帰路につく母の姿を探し求めていた

そしてそれは大抵が徒労に終わり
冬なら身体が冷え切ってしまって
スゴスゴとマンションの部屋に入るのだった

そんな生活を寂しく思っていたので
自分の家庭を持ち、子どもたちと賑やかに暮らしたい
そう思ったのかもしれない


前の夫との間に授かった子どもたちは
2人とも発達しょうがいで
自閉傾向と、不注意、学習しょうがいと診断された
小学校の4、5年生くらいのころだったと思う

それまでに至る生活は、やっぱり大変だったんだなぁと、子どもたちも私もよく頑張った! そう思います

そもそも幼児教育現場で仕事をしている私は
我が子の成長発達に、ん? あれ? 同じ年齢の子どもたちとはちょっと違う? そう感じていました

当時はまだ今ほどには発達しょうがいに関する情報もなく、教育関係の仕事をしていたこともあって
一般の保護者よりもその事に関する情報はたくさん
そして新しいものを手に入れられていたように思う

当時は、『気になる子』という言葉だったように記憶している発達しょうがい

その『気になる子』の項目に
我が子2人とも
あれもこれも当てはまる

子どもの発達に関する機関、かかりつけの小児科、信頼する知り合いの園長先生方、職場の保育士さんたち
あらゆる方々に相談してみたが
「教育現場で働くママはそういう事に敏感過ぎるからね、気にしすぎ! お子さんたち2人とも素直で良い子じゃないの! 大丈夫よ!」
そんな回答ばかりだった

素直で良い子、それはそれで嬉しいけれど
今思えば
素直→自分でどうしたら良いか分からないから言われたままに行動する
良い子→保育園や学校の先生に言われたことに、疑問を感じないので、言われた通りにやろうとする
そんな感じだったんだと思います

子どもたちの実父(前夫)とは離婚し、
今の夫は子どもたちが小学校高学年の時に再婚しました

その今の夫がとても理解があるというか
深い情の人と言うか
ともかく子どもたちの発達しょうがいに
私よりも真正面から取り組んでくれた

療育機関、発達しょうがい専門小児科、子どものための精神発達医、調べることはもちろん
その全てに一緒に行き、子どもたちの最善を医師と話し合い、子どもたちの意志も確認しながら
子どもたちが学校で過ごしやすいよう
考えて取り組んでくれた

そうしてやっと、2人それぞれが
小学校高学年の終わりくらいになって
療育という通院がスタートしました


発達しょうがい育児に
正解も、お手本も、最高もないと思っていて

今でも、もっと色々とやってあげていたらとか
思わないことはありません
けれど、母として親として、誇れることも
立派なことも、アドバイス出来るようなことも
私は全然出来ていません

むしろダメな方です

ただあったのは
どんなことがあっても
一つだけあった真実は

愛している
それだけでした

ただただ愛おしい

愛してあげることしか出来ない
私にはそれしかなかったと思うくらい


ただ愛しているそれだけ
子どもたちがどんなでも
私の子であることに変わりはない

私の元へ生まれてくれて良かった
私の元へ生まれてくれて嬉しかった
それだけの想い

それしかない私を
むしろ親として許してくれているこの子たち

愛しているのは
愛されているのはわたしのほうなのかもしれなかった

すっかり成人した2人
私よりもとっくに背も高くて
最近では買い物でも荷物を持ってくれたりする

大きくなったなぁ
今でもぎゅーってしたい
近寄ると嫌がられるけど

発達しょうがい育児に悩んでいる方は
たくさんいるのかな?
今は情報もたくさんあって
余計に悩んでしまうのかな?

こんな私の発達しょうがい育児の思い出が
もしも誰かのこころを柔らかく出来たら
子どもたちに感謝しようと思います

育てたのはわたしではなくて
わたしが人として在ることを
この子たちに育ててもらえたから


長くなってしまったので
続きはまた🙂

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