24.02.25 対話・グルーヴ・ソサエティ9

 ちょこちょこ本を買う。「サピエンス全史」の文庫版は目次だけ読んで若干満足してしまった感がある。あと、なぜか買っていなかった「生き返っても、あの世」を買った。「死んで生き返りましたれぽ」がどこか行ってしまって、実家に置いてきたのかなあ、など考えている。

 今週は中々に仕事が盛り上がり、せっかくの3連休だったのにほとんど体を休めることに時間を使ってしまった。もうちょっとどこかに出かけたいのだけれど、なかなかそういう気分にならない。出不精。先週が仕事的にも山場だったのと、オードリーのこともあって、なんとなく燃え尽きた感もあるのかもしれない。何か書きたかったことがあったような気がする。何だっただろうか。

 やっぱり気がつくとレトロなものに回帰してしまう感はある。チョコボスタリオンに久しぶりに手を付けたり、やったことのなかったマリオ&ルイージRPGに手を出してみたりしている。あとふぐすけのスマブラ実況を延々と見ていたりする。レトロなものというのは新しいものに比べてエネルギーの消費が少ないままに楽しむことができるので気がつくと手を出してしまうのだけど、今までの経験上あまり良くない状態ではある。体に毒素が溜まっていく感じがあるというか、循環が起こらない感じみたいなものがある。

 代謝が必要。いつぞや書いた「リビング・イン・ニア・トーキョー」でいうところの「流体である」というのはそういうことだと思っているが、疲れが溜まっていたり、雨が降っていたりすると割とあっという間に固体になってしまう。
 リストアップしようと思えばやりたいことはいくらでも出てくるが、まあ消費しきれない。そして、うまいこと消費しようというつもりで計画を立ててみると、チョコボだのスマブラだのといった目先のものは綺麗に優先順位が下がり、どこかへ行ってしまう。ほんとはそうやって、生産性の無い様なもの達を遠くに追いやってしまえた方がいいんだと思う(し、実際ニア・トーキョーに来る時はそんなふうにしてゲームも楽器も置いてきた)んだけど、果たして本当にそれでいいのかいな?という自分も長らく佇んでいて、この二人はずーっと長い戦いを続けているのである。お前は分刻みのスケジュールを作って決めた通りに進んでいくために生まれたわけじゃ無いだろう、筋トレも早寝早起きも、「本当にやりたいこと」じゃないだろう、と余計な口出しをしてくるもう一人の自分が、ずっとそこにいる。

 この前、六本木で見た様な風景に身を委ねられてしまえたらどんなに楽だろうか。決まった時間に起きてランニング、朝食はトーストとコーヒー、少し本を読んで出勤、定時で上がってジム、帰って夕食、少しニュースを見て決まった時間に寝る。こんな機械的な生活を途方もなく積み上げた先にあのヒルズでの暮らしがあるのだろうか。これだけ書くと別に六本木じゃなくたってやれそうな気がしないでもないが、どちらかと言えばあの風景の中に溶け込んだほうが、そんな機械的な暮らしができそうな気はする。たまに踏み外したとしてもプラスマイナスを計算して丁寧に戻ってこられるような、そんな暮らし。
 でも、でも、うまく説明はできないけれども、なんだかそんな暮らしはちっとも正解では無いような気もするのである。まあ、ここ最近の怠惰な生活の結果、体重が増えるだけ増えて寝起きの頭痛と高血圧、膝の痛みに悩まされる暮らしがそれで正解かと言えば、それもまた全く間違いだとは思うが。うーん。なぜ自分はこうも「ちょうどいい具合」というのを続けていられないのだろうか。ひとまずは明日、しばらく行っていないジムにいくところから始めてみようか、、、

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