24.02.04 対話・グルーヴ・ソサエティ6

 松岡正剛さん、という人に触れる。どこかで接したことのあるような気もするが、気のせいのような気もする。当時の自分にはまだまだ視野に入らない世界だったんじゃないかと思う。田中泯さんと関係が深いということで、それでなんとなく人となりも見えてくる。

 「日本人とはどんな民族か?」という問いを立てたとする。それに対する答えは、歴史を読めば読むほどあやふやになる。「真面目で」「勤勉で」などと語られるようになったのは、2000年近い歴史の中でも本当にごく一部でしかない。明治維新以降に、しかも極めて作為的に生み出されている。
 中学校の歴史の教科書を紐解いて見ると分かるが、日本の主体というのはこれでもかというくらい入れ替わる。天皇が握り、武士が握り、ぐちゃぐちゃになり、また武士が握り、天皇が握る。その節目節目には「出会い」が存在していて、日本というものたちはその「出会い」を節操なく取り込み、加工して、自分たちの糧にしてしまう。「出会いとかかわり」とは、聖徳太子の時代であればそれは「隋」であり、鎌倉→室町の移り変わりでいば「元」ということになる。江戸を経て明治に入れば、「ヨーロッパ」「欧米列強」と言われるものがそれにあたり、今の時代は何かと問われれば「アメリカ」と答えるのが最適であるように思う。

 そんな「かかわり」を経てこの2000年を「日本」として生き延びてこられたのは、ひとえに島国であるから、という地理的な要因が大きいようにも思う。地理的な要因から、逆説的に私たちは「かかわりを糧にする」を体現してくることに成功してきたのではないだろうか。この「かかわり」が次にどのように転んでいくかは分からないが、どのように転んでも受け身を取れるようにしていく。そのために身につけたものが「曖昧さ」だったりするのかもしれない。そう思えば、私たちがこのまま暮らしていくためには「曖昧さ」と呼ばれるものは必要不可欠なものなのではないか、とも言える。確立させすぎてしまうと、凝り固まることにもつながる。それはそれでどこにも行けなくなることがある。

 仕事柄、いわゆる「福祉」に思いを馳せる。聞いた話によれば、福祉とは、枠にはめるところから思考が始まるという。この要件があればこの支援メニューが使える、なければ使えない、という具合である。0と1を定義づけていくこのスタンスは、ある種歴史から浮かび上がる日本の在り方とは相当に逆行しているような印象を受けなくもない。そうではなく、常に0と1の間を揺蕩っていくような、そんな形であることが日本の在り方であるようにも思う。そういう意味では、私たちの役割はこうした「当てはまる」「当てはまらない」に対するカウンターパートで在り続けることであるようにも思う。間違っても、自分たちの役割を0と1に「自分たちから」分けていくようなことはするべきではないような。
 例えば「定住」なんてこともする必要はないのかもしれない。「自己決定」という考え方にも思いを馳せる。決定されるべき自己というのは何か、「じぶん」とは何で、どこにあるのか。「社会」ではなく「世間」という方がしっくりくるのかもしれない。なんてことを考えたらおそらくそういう本も出ているのだろう。socialとcompanyとは。などなど。

 そうした「曖昧さ」みたいなものを、いかに人に伝播させていくか、というのが松岡正剛のいうところの「編集」ということなのだと思う。そう思ったときにふと脳裏をかすめる糸井重里。何を伝播させたいかというのは全くさておいて、二人のやっていることは実は同じ…のような、そんな気がしなくもないが、この二人の名前を検索にかけても重なる様子はほとんどなく、「押井守の映画につけられたキャッチコピーがひどくつまらない」という松岡の糸井評だけが浮かび上がってきた。

 「千夜千冊」の源氏物語をさっと読んだが、面白かった。源氏物語についてもうちょっと色々深掘りしたい気持ちにさせられる…と思ったところで、そういえば今年の大河は紫式部であったことを思い出す。源氏物語の書かれた背景が、ここから書かれていくのだろうか。そう思うと、完全に乗り遅れているがこれから見てみたい気持ちにもなった。


 今週もなかなか仕事が忙しく、自分のことに割ける時間はほとんどなかったような気がする。そんな中で、ついに中村佳穂の「リピー塔がたつ」を買ってしまった!中学生〜高校生の頃は、1枚3,000円もするようなアルバムCDなど絶対買わないと思っていたが、今はこういう投資も躊躇わないことにしている。

 何気なく再販のサイトを見ていたら「残り1点」となっていたので、もはや買うしかなかった。こういう時に「ポチり」できるぐらいのお給料にはなったので本当に良かった。届いて開けて聴くまでの間、本当にワクワクが止まらんぜ!という感じで、これもまた久しぶりの感覚だった。CD、しかも相当に待ち侘びたCDでないと味わえない感覚。歌詞カードを開く瞬間の高揚感。そして期待にそぐわぬ素敵な楽曲たち。いやーいいですわ。松岡正剛も、中村佳穂も京都だ。京都には何かがある。


 あとはずっと旅行の動画を見ていた。「しげ旅」というのがテンポよくいろんなところに行くのでずっと流していられるが、とにかくひたすら酒を飲んでいて笑う。観光であちこちに行っても10〜20秒もしないうちに次の展開に行ってしまい、気づけばまた酒を飲んでいる。毎回同じポーズで酒を飲み干していたり、動画の末尾で「チャンネル登録、よろしくねー」と語りかけるときの表情に一切ブレが無いのも笑う。もうちょっと笑顔になったらいいのに、と思うけど、これが笑顔になると多分ターゲット層の男性は見なくなるんだろう。基本相部屋のドミトリーだったり、入場料の節約を理由にして大きな観光施設に入らなかったりするところも男性を惹きつけるものがあって良い。
 嫁がよく見ている「女性ひとり旅」的な動画とは全く対照的で、自分が見ている動画を覗き見する嫁が「もっと雑貨屋の品揃えを紹介しろ!」と言っていて、面白かった。性差に対する言及を公の場で行うことも今ではすっかり難しいものになってしまったが、こういうシーンに出くわすたびに、やはり男性と女性の違いというのは全てそうとは言わないにせよ、あるような気がしてしまうのである。


 あとはnewspicksに課金するかどうかをずっと逡巡したり(たぶんWEEKLY OCHIAI以外見ない)、会社の命で購入したマネジメントを語る書籍に辟易したり、望郷太郎の面白さにやっと気付いたり、友達の重めな人生相談を引き受けたり、などした今週。「『社会』を扱う新たなモード」もやっと手をつけ始めたが、そもそも「社会」ってなんだ?というのが今のクエスチョンになっているので、もうちょっとその辺を語れるような書籍を読みたい今日この頃ではある。


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