24.02.20 対話・グルーヴ・ソサエティ8

 オードリーのANN in 東京ドームを配信で見た。(チケットはちっとも当たらなかった)
 若林が、このライブを「お守り」のようにしてほしい、と話していたのが印象的だった。「お守り」とは、自分でこれが宗教イベントであることを自覚しているかのようで面白い例えだった。

 星野源が出てきたり、フワちゃんが出てきたりする中で、それでも漫才の出囃子がアナログフィッシュだったことには安堵を覚えた。「おともだち」が流れるんじゃないかという心配もなんとなくあった。あそこでアナログフィッシュが流れ続ける限りはオードリーを信頼できる気がする。

 興奮冷めやらぬまま、下岡さんの少し前のインタビュー記事を読んだ。

自分はいつもレベルミュージックであり、プロテストソングをつくっているつもりです。そういうものに影響を受けてきたし。「プロテストソング」って大袈裟に捉えられがちだけど「ラブソング」と変わらないと思っています。

 記事を読みながら、「ネオ・プロレタリア」という言葉が自分の中で浮かんだ。僕らはもはや資本主義の中で生きていて、それに対抗しようとした社会主義・共産主義が全くもって資本主義的な失敗によりうまくいかなかったことを知ってしまっている。そして、動物としての自己にも、いつぞやに比べればだいぶ自覚的であるようにも思うのである。そんな中で歌われるプロテストというのが、すなわちアナログフィッシュであるのだと思う。若林がキューバに行ったこともなんとなくここに繋がる。

 インタビューの中で、東浩紀の「シラス」にも触れられていた。オードリー、アナログフィッシュ、東浩紀と繋がる。そこに、「千夜千冊」で東を評していた松岡正剛が逆の矢印で繋がり、養老孟司や宮台真司、落合陽一といった人たちもそこから繋がっていく。(個人的にはここから小熊英二につながって欲しい)
 この繋がりがなんとなく自分には心地良い。「心地よい」以外に適した言葉があるような気もするがあまり思いつかないので、それを選ぶことにする。

もしよければ、コメントとか、サポートをいただけると、とても嬉しいです。そこから関係が始まって、つながっていけるといいな〜というのが、僕の願いです。