衣類にまつわる家事問題は、家のしくみとマインドセットで解消していく
こんにちはモギコです。
ワーママってやつを16年くらいやってます。
現在はフリーランスの住宅アドバイザーとして企業の戸建てプロジェクトの監修などをしています。
心地よく快適に暮らす、ための器としての家。
その中で、日々まわしていくためにも止まらないのが「家事」。
家事が好きって訳ではないが、暮らしが整っている状態が好き。
家事よりやりたいことがある…。という心持で日々を過ごしています。
前回に続き、衣類にまつわる家事について、楽になる仕組みを考えてみました。
これまでの常識から離れてみる
自分の育った家のことを思い出してみました。
我が家はずっと集合住宅暮らし。
毎朝、母は洗濯物を外に干し、夕方になったら取り込んで、夜寝る前に畳の上で畳んでいました。
その光景がずっと胸に残っています。
が、が、が、それがうまく回ってたのか?と現在のわたしが考えてみると
急な雨に洗濯物が濡れてしまったり、濡れた洗濯物を抱えて家を横断したり、
夜、結構疲れていても、寝る部屋に洗濯物を取り込んであるから、畳まざるを得ない。
母自身も、洗濯物を部屋の隅に追いやり布団を敷く、ということを良しとしない性分だったのでしょう。
今にして思えば、そうするしかないからそうしてた、ように感じられます。
結構しんどいんだけど、それでもやらねばならぬ…。ぐぬぬぬ…。
さて、これもまたしんどい思いの原因がどこにあるのか?
という視点で考えてみると、そもそも洗濯物を外に干してるからじゃね?
となりました。
「洗濯物を外に干す」ということをやめる
洗濯物を外に干す、も「外に」と「干す」に分かれます。
この二つのどちらかでも解消すれば、母のあのしんどさはなかったかもしれない。
「外に」をやめる。これについて考察します。
「干す」をやめる。これが乾燥機です。
現在、わたしは自身で設計した戸建て住宅に住んでいます。
家をつくる際に私が選んだのは洗濯物を「外に」干さないの部分でした。
干してる洗濯物が雨に濡れてしまうのは、そもそも濡れる環境下にあるからですね。
ってことは、濡れない環境下、つまり室内や外の濡れない場所に干せばいいのです。
休みの日にシーツを洗ったり、なんだか大物を洗ったりしたら外に干すこともできる。
ただ、日々のオペレーションは室内干しで完結するようにしています。
室内干し一択です。
濡れた洗濯物を抱えて家を横断するのも、「外に」干すから。
または洗う場所と干す場所が遠いからです。
洗う場所と干す場所が近ければ、重たい洗濯物を抱えて移動する距離も短くする事ができる。
洗濯物(乾いていようが濡れていようが)を抱えて移動したくなければ
洗う場所と干す場所が限りなく近ければいいのです。
慌てて取り込んだ洗濯物に囲まれて、せっかくのリビングが洗濯物だらけ…
と言うのも、日当たりのいいリビングの前に洗濯物を干す場所があって、取り込んですぐにちょっと置ける場所がリビングだからです。
洗濯ものを干す場所が洗濯機の近くにあれば、そうはなりません。
「洗う」と「干す(乾かす)」と「しまう」この衣類にまつわる家事の3点をできる限り近くに配置する。
そうすることで、これまで衣類に費やしてた家事労働をかなり低減できるはず。
少なくとも、洗濯ものを抱えて家の中をバタバタと移動することは減るのです。
洗濯物はたたまなてくてもいい
夜、眠くても洗濯物を畳まなければならないのは、寝る場所だったり、またはリビングなど「使う場所」にあるから。
そういう場所でなければ、ちょっとそのままにしておいてもいいのです。
布団を敷く場所に洗濯物がてんこ盛りになっていると
さすがに畳むなり除けるなりしないと、布団が敷けませんね。
リビングのソファーにドサッとなってると、畳んでしまうか
またはそのままにしておいて洗濯物に囲まれて暮らすか、になる訳です。
これがほかの場所であればあまり気にならない。
脱衣所に干していれば、干してるところから下着をとるということもできます。(むしろ家族にはそれを推奨している。)
そうすると、洗濯物を取り外す、という行為も削減できる!(各自がやるから)
洗濯物に悩み続けて16年。
家をつくるときに、一番考えたのが洗濯物と言っても過言ではないでしょう。
「干しっぱなしにできる場所をつくる」
我が家の場合は、脱衣室に洗濯機を置いてそこに干しています。
そしてその隣に洗面室とクローゼットルームがあります。
下着とタオルは洗面室の引き出しへ。畳むのはタオルくらい。
他は可能な限り干したハンガーのままクローゼットルームへかけています。
親の呪縛から解き放たれよう
なぜ、私たちはこんなにも「丁寧な家事」を行おうとするのでしょう。
洗濯物を毎日たたんでしまいこみ、キチっと整った部屋で過ごす。
と言うことに、とてつもない労力をかけているように思います。
なぜか?
おそらく、親を見て育っている、と言うのが大きいのではないでしょうか。
私の母親は家事がマメな方だったと思います。
本人の性分か、彼女の夫(つまり私の父親)によるプレッシャーだったのかは分かりません。母親が好きでやっていたのか、はたまたグッタリしながら、ぐぬぬぬ…。とやっていたのか。
でも、実際家の中は隅々まできれいだったし、洗濯物はいつも畳まれていました。
なぜ、母親にできて私にできないのか?
わたしがダメなのか。私がだらしないのか?
それもずっと悩んできました。
ちゃんとやろう、とがんばってみたこともあります。
でも、がんばる=無理をする、なので、その後がへとへとで何もできません。
がんばった後の反動がすさまじい。
(これは我が家の場合ね。家事や育児や収入の負荷でできるできないは人それぞれ。)
『家事をきちんとするもの』
これは、暗に親に刷り込まれた価値観だったのです。
現代に生きる私たちと、私の両親が「親」として生活してた頃とは
時代背景が大きく違う。
母親が、何かしらの収入を得る(ための時間を割く)のも一般的になっているし、
給料はちーーーーーっとも増えないけど
社会保険料や、税金、子供の教育費なんかはうなぎのぼりに上がっていきました。
生きていく上でのプレッシャーがそもそも全然違うのです。
違う土俵の上で比べてもどうにもなりません。
「親がしてくれたことは子どもにもしてあげたい」
一番離れた方がいいのは、この考えだと気付きました。
やらなくても大丈夫なことは極力やらない。
しんどいしんどいって言いながら、家のことする不満げな大人がいるより
おおざっぱでも、いっつも楽しそうにしている大人がそばにいた方が
子どもにとってはいい。と思うのです。
まとめ
みなさんの暮らしはいかがでしょうか。
これは私の場合、と言う話ですが、
なんかやだなーと思うことは、一歩下がって
「常識」とされてきものを疑ってみることで、
『がんばる』以外の解決法が見えてくるように思えました。
同じがんばるなら、やってて楽しい未来が見える方に注力したい。
暮らしを整える心持ち、どうぞお試しください。
読んでくださってありがとうございました。
いいね!やフォロー嬉しいです。
モギコでした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?