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#6 静謐な朝に踊る心
朝五時、起床。頭が上手く回らず、ベッドの中でしばし目を瞑り、意識を整理。ゆっくり体を起こし、カーテンを開くが、外はまだ真っ暗。窓を開ける。今日はあんまり寒くない。いつものストレッチをしながら、今日のこれからを頭の中で整理していく。
朝食を済ませ、七時からの仕事のため、身支度を整えて六時十五分に家を出る。外は、ほんの少しだけ明るくなり始めている。
人のいない住宅街はとても静かで、なんだか贅沢な時間を過ごしている気分にすらなる。すこし進んで、駅に向かう道に出るとぽつぽつと歩いている人が現れた。それでも、街の音がどこかに吸い込まれているみたいに、昼間よりもボリュームがずっと小さい。不思議と、踏切さえも昼や夜に比べて控えめな音で鳴っている気がした。
ジョギングをしている外国人が前を通り過ぎていった。それを見て、去年の今頃は自分も朝早く起きて、代々木公園を走っていたなと思い出す。
村上春樹 著「走ることについて語るときに僕の語ること」という本を読んでまんまと影響され、その勢いで苦手な早起きをして、週に2~3日走っていたはずだ。走り出すまではしんどいのに、走り出すと案外気持ちが良く、たった30分でも走ると心地よい疲労感がやって来て、家でシャワーを浴びると、それは開放感となり、心身ともに健康的になれている気がした。
それを止めてしまったのは、暖かくなってきたからだ。春が近づくと徐々に気温が高くなり始め、冬でも走り終わると汗が出るのに、春になったらそれに耐えられないんじゃないかと、徐々に走る回数が減っていき、ついに走ることを止めてしまった。あと、その時に、膝がすこし痛むなと感じる日が重なったというのもある。まぁ、言い訳か。
だけど、今朝ジョギングをしている人を見たら、今日の暖かさもあったのか、その人がとても気持ちよさそうに見えた。
それから辺りを見回すと、開いているお店も少なく、動き出す前の街には独特な“時間”があり、自分はこんな時間があることも忘れて、毎日ベッド中でただただ眠っているだけなのかと思ったら、時間だけでない人生において大事な何かを数パーセントずつ、無駄に垂れ流している気になった。
そんなことを考えながら電車に乗ると、車内は会社員と思しき人たちで結構混んでいた。ドア前には足にファーのようなものを巻いた女子高生二人組もいた。自分は七時前の電車に乗って学校へ行ったことなどなかったから、こんな時間の電車に乗っているというだけで妙に感心をしてしまう。
この人たちは毎朝こんなに早い時間から電車に揺られ、夜遅くまで仕事をしているのかと改めて思ったら、自分もちゃんと生きなきゃなと少し背筋が伸びた。
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