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感情の歴史をたどって、持続可能なはたらき方をかんがえてみる Vol.1

みなさん、おはようございます。こんにちは。こんばんは。華緒です。

これは私の Stand fmの中で使っている冒頭のあいさつです。海外の人たちと仕事をしていると、時差があるので、向こうの朝がこちらのお昼だったり、夜だったりするので、海外の方が会議の冒頭でこんなあいさつをよく使います。

Good morning, good afternoon, good evening, everyone!
(みなさん、おはようございます。こんにちは。こんばんは!)

わたしは相手の時間を気遣って言うこの発想が大好きで、自分の配信のあいさつでもこれを取り入れるようにしました。ライフスタイルも生活時間も多様になっていく中、いつもこの言葉を使うたびに自分も晴れ晴れとした気分になります。

感情面でのキャリアの整理

水曜日の大木春菜さんのnoteを見て皆さんどんな感想を持ちましたか? 私は春菜さんの記事を見て「感情をベースにしたのキャリアの整理」がしたくなりました。

それは、春菜さんが何にも流されず、自分と向き合いながら自分の心に従って自分のキャリアを築いているような気がしたからなんです。それは、春菜さんが自身の感情にきちんと向き合っているからじゃないか? 私は彼女の運営するオンラインサロンのメンバーでもありますが、そんな「自分の感情と向き合い続ける」スタンスがベースにあるからなんじゃないかと思ったのです。

感情って、あまりポジティブな意味合いでは使われないことが多いけど、最近私は「そうじゃないよね」と思うようになってきました。なぜなら、感情=自分の本当の気持ち だから。

まずは私のキャリアについて簡単に振り返ってみます。STAGE1と2に分けていますが、これがは私の感情が大きく変化した2区分です。

【STAGE 1】
新卒で出版社に。広告営業。(半年)
  ↓
新卒で入った出版社が1年でつぶれかけ、当時の上司が独立して作った広告代理店に就職。仕事はそのまま広告営業(3年ぐらい)
  ↓
仕事に疲れて海外逃亡(1年弱オーストラリア)
  ↓
帰国後、小さな広告制作会社に勤務(3年ぐらい)
※すったもんだで退職
  ↓
派遣で、外資系広告代理店(半年ぐらい)
  ↓
派遣で、某BSテレビ局で宣伝・広報(3年ぐらい)
※この時点で27歳
【STAGE 2】
国内のマーケ系の会社に就職(8年)
※体を壊しかけて辞める
  ↓
外資のマーケ系の会社に就職(8年)
※体を壊して辞める
  ↓
外資のマーケ系の会社に就職(2年)←今ココ

STAGE1の時代

この時代は、とにかく仕事が楽しくて、働くことが大好きでした。
広告営業だったし、数字のプレッシャーは大きかったけど、大好きな紙媒体に携わることができたという達成感が大きかった。自分の名前がスタッフとしてその雑誌に載ったときは本当にうれしかったし、まるで映画のエンドロールに自分の名前が載ったような気分でしたね。

一時的に「海外に行ったことがない」というコンプレックスを払拭するため、海外へ。いろんな国籍の人とつながっていろんな意味で視野が広がった一年でした。その後、フラフラしながらも派遣でしたがBS局で宣伝や広報の仕事に就けたときは本当にうれしくて。テンションMAX!
社長の定例記者会見をセッティングしたり、総務省にリリースを配布しに行ったり、社内報を作ったり、自社のCMを制作したり、担当番組のロケや収録に立ち会ったり、記者さんに売り込みをかけて担当番組を取り上げてもらえるように工夫したり……。すべてがクリエイティブで社員並みの経験をさせてもらったこと、本当に楽しい思い出しかありません。

STAGE2の時代

テレビの仕事は派遣だったので契約最長で3年。本社の人事異動もあって関わる人も変わり、潮時を感じていたタイミングで終えることになりました。そこで見つけた就職先がマーケ系の会社。ここから私のキャリアはこの業界の仕事になります。

もともと、ロジカルにモノを考えることが苦手だった私に数字の世界の仕事ができるのか? でもこれからのことを考えたときに ITの知識と論理的思考は絶対に必要 と思って飛び込みました。

…しかーし。
ふたを開ければめちゃくちゃな長時間労働。
社員は19時過ぎにみんなでコンビニに行って、デスクでご飯を食べ23時とかまで普通に仕事をしている…。一瞬ひるんだけど、何となくやめる勇気もなくてそのままずるずる。「何かおかしい」と思いつつも言い出せず、どんどん会社がキライになっていきました。

上司も好きじゃないし、仕事も好きじゃない。とにかく長時間働きすぎ。終電逃してのタクシー帰りもしょっちゅうで、一人暮らしの私は、完全にセルフネグレクト状態。当時、孫(私の甥)の面倒をみに上京していた母にお願いして、毎週、家の掃除や洗濯をお願いしていたぐらいでした。

そんな状態なので、自分のことも好きになれず会社も嫌いでどんどん反抗的な態度に。。上司からも扱いにくい人と思われていたので昇進もせず、本当に孤独な状態が続きました。

でも、その中でとある女性上司の下で働くことになったんです。

泣く前に怒れ

彼女はベンチャー企業に入社してくる中途社員としては結構年齢が上でした。しかし、ものすごい負けず嫌いな性格と仕事一筋の性格で、半年に1回の昇格会議で毎回昇進し、あっという間にマネージャー。全社会議の出し物ではAKBの格好で踊ったり、本当にいろんなことをしていました。
半面、普段は物腰がやわらかい感じに見えていました。それまでは業務で関わることもなかったのですが、単発で仕事を一緒にしたときに、とても丁寧な仕事ぶりだったことを覚えています。

その彼女が、何かの時に言っていたこと。

みんな仕事がつらくて、面談で泣きだすんだよね。
でも泣く前に怒るとかすればいいのにって思うんだよね

私は泣くことはしてなかったと思うんですが、長時間労働に辟易してふてくされ続けていたので、この言葉は衝撃でした。

え? 会社に対して怒っていいの??

彼女は、私のいいところを活かしたマネジメントをしてくれたと思います。他のマネージャーが私のことを悪く言っても「じゃあ、あんたたちはそうじゃないのかよ! そんなにみんな完ぺきなのかよ!」って言ってくれたりしていました。(何せベンチャーなのでみんな若い! 大学のサークルの集まりみたいな会社だったので、こんな感じはしょっちゅうだったんだと思います……)

そう、彼女のパワーの源は「怒り」だったのです。おかしいと思うことたいしては忖度せず、おかしいという。正当に怒る。ゴリゴリの男性社会の中でそこを突き進むのには想像を絶する体力と知力(そして政治力)も必要だったと思いますが、彼女は怒りをパワーに変えて、多くの働く女性たちを守ってくれました。

そこから、私は彼女に昇進もさせてもらい、チームも持つように。ただ、相変わらず長時間労働は続いていたので、途中体調を崩し戦線離脱することになってしまいました。
※ちなみに彼女はその会社で女性初の役員に。今でも何か大きな選択を必要とするときには、彼女に相談しています。

そうやって「怒り」というオプションを得た私でしたが、もともとは平和主義者。政治や忖度、長時間労働に疲れてしまい、実力だけで勝負する外資に挑戦します(と言っても声をかけられたので入っただけですが…)。

続きは次回に

もう3000文字近くなってしまったので、続きは次回に書こうと思います。感情をベースに書くと、自分が当時何が本当に嫌だったのかがクリアになる……。
次回は、外資に入り仕事をする私の感情~そして今に続く思いを書いていきたいと思います。


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