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【本】「泉に聴く」東山魁夷

講談社文芸文庫/1990/360p
画家の東山魁夷は1999年に90歳で亡くなっている。この本は1972年に刊行された本を下敷きにしており、戦前の話も出てくるので、文体も含めて古さは否めず、読みやすい本とは言えない。

内容はエッセイとされており、生い立ちや、制作や取材にまつわる話、国内外の旅行記、展覧会の感想などで、特に、青色に関する考察、川端康成との交友、代表作『道』『朝明の潮』の制作話などは興味深かった。渡り鳥を例にとって、自分は生かされているという感覚が常にある、とも書かれていた。

正直言って、父からこの本を薦められた時はうんざりした。読みたい本はたくさん積まれているのに、端の黄ばみはじめた日本画家の随筆など誰が読みたいか。そもそも東山魁夷が好きではない。あのスフマートのような茫洋とした輪郭線は、私を落ち着かない気持ちにさせる。

この本を読んでわかったことは、「風景画」と呼ばれている東山魁夷の絵画のほとんどは風景画ではない。心象風景だ。きちんと教育を受け評価されている人がナイーブアートに挑んでいるような気さえするが、心象風景だとわかると納得できることも多い。東山魁夷の絵を見て「わーきれい」と言う人への違和感はきっと間違っていない。「日本人の平均的な顔」と言う画像を見たことがあるが、東山魁夷の絵と言うのはおそらくあれなのだと思う。日本中の具体的な風景の中から、一般化、抽象化された美を取り出したものであって、取材地はあっても、具体的な場所を描いたものではない。「現実にはない風景画」が風景画として一人歩きしているところが、どうにも気持ちが悪いのだ。これは東山魁夷のせいではない。

そして、この本が何よりすごいのは、旅行記にしろ展覧会の感想にしろ、言葉の描写力がすごい。まさに一筆ずつ描くように語られていて、画家というのはこういうこともできるのかと愕然とした。文章を書くために絵を描き始めようかと思うくらい。『海は静かに凪いで、沖の方から淡い幾条もの縞が僅かに揺らいでいる』とかさらっと書かれているけど上手い。上手すぎる。画家が全部こうではないとは思うけれど。

読まず嫌いをしないでよかったかもしれない。
得られた知見として、「東山魁夷は文章も上手い」。

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