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クレープシュゼット

柑橘が好きな友人のリクエストで、クレープシュゼットを作りました。

クレープシュゼットとは一言で言えば、クレープにオレンジのソースをかけたスイーツなわけですが、私の出来栄えはさておいて、どこか高級な雰囲気を持つスイーツであるのは、しばしばクラシックな高級レストランにおいて、お客の目の前で調理される特別なパフォーマンスを伴って提供されるデザートだからではないでしょうか。凛としたブラックスーツや清潔なコックコートに身を包んだメートルディがワゴンでフランベするやつ、と言えば、ああ、と言う人もいるでしょう。

私の一番古いクレープシュゼットの思い出は、仕事で乗った豪華客船QE2のプリンセスグリルのような気がしているのですが、そのメニューを選んだ記憶がありません。エレガントな外国人カップルのテーブルの傍で、柔和な紳士によって調理されるそれを見て、なんだろうと興味津々に聞いてみたら、それがいつも選択メニューの欄外に特別感を持って記載されているクレープシュゼットと聞き、がっかりして注文しなかった気がします。だって、クレープ。当時日本でクレープと言えば、原宿で10代の若者たちが食べる安易な食べ物で、しかも生クリームで飾るでもなくオレンジソースがかかっているだけ。自分には他のデザートの方が魅力的でしたし、そもそも仕事があって落ち着いて席に着いていられない上に必ずしも”客”ではない自分にとって、悠長に調理を楽しませていただく余裕などありませんでした。

それでも今回食べてみて、なんとなく記憶があるのはひょっとして、いつも普通のディナータイムが終わる頃に席に戻ってきて一人ぼっちで食事をしていた私に、スタッフが気を利かせて特別なお皿、例えば選択式メニューのハーフ&ハーフとか、デザートにプチフールを盛り付けてくれるとか、そういうサービスをしてくれたことがあり、その中に、このクレープも入っていたのかもしれません。英語もさほど流暢でない小娘の私には笑顔しかお返しすることができませんでしたが、今になって、それが本当に特別なサービスだったとわかります。

現在はクルーズはもちろんのこと、海外旅行全体が制限されていますが、近年はクルーズ船を含めた宿泊施設が近代化、効率化され、よほど古きよき伝統にポリシーを持っている所しか、こんな人手のかかるサービスは続けていないと思われます。QE2は引退し、新造船は巨大化しました。今はレストラン客が格上のグリルに出入りすることが許されないばかりか、私は船内で業務を行うことすらできません。最上級のクイーンズグリルでなら、今でもフランベが見られると思います。とはいえ対面調理は感染対策で、できないでしょうね。

作ってみてわかりましたが、クレープシュゼットは鮮度が命です。クレープは作り置きすれば油分が浮いてしまいますし、カラメルがかったソースは冷ますことができず、オレンジもリキュールも香りがあるうちしかフレッシな感動がありません。ソースはかかっているだけではなく、クレープを煮含めるようにして作られるので、冷えてぺったりする前、温かくて柔らかいうちに、香りと共に召し上がっていただくのがよいと思われます。

とはいえ、クレープはクレープです。単純な材料で、セレブリティだけの食べ物ではありません。そうにも関わらず、セレブリティたちが特別にこのデザートを愛しているのは、もちろんどのデザートも素敵なものの、鮮度という時間、つまり、そこそこかかるクレープが焼き上がるまでの時間に、メートルディや自分の大切な人たちと会話した、その時限りの幸せな思い出こそが、お金には替えられない贅沢だと分かっている心の豊かな人にしか、真には楽しめないものなのではないかということに、作ってみて初めて気づきました。

私のように”食べたような食べなかったような気がする”などと言い出す心の貧しい者は、わざわざ誰かに作ってもらう必要がないのです。自分のために作るには、クレープを焼いている間にせっかちを起こすので、もう二度と作らないと思います。誰か、たかがクレープを焼いているだけの間を一緒に楽しめるような素敵な仲間がいれば、その人のために作ってあげてもよいような気がします。かつて紳士たちが私にしてくれたように。

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